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2015/11/02

「沖縄の自立と日本の自立を考える」(座談会)

 大田昌秀、新川明、稲嶺惠一、新崎盛暉の座談会が面白かった。県知事経験者ふたりを交えて、これだけ日本を相対化した議論ができるのは、沖縄だけじゃないかと思える充実した内容だと思う。後半の座談会をメインのコンテンツにして、各自の論考は後半に、小さ目の字で展開しても、本の力を損なわないと思った。

 そのうえで、感じたことを備忘しておきたい。

 まず、大田がしきりに言う言葉が気になる。

大田 (前略)「いったい日本にとって沖縄とは何なのか」と、改めて問いかける人たちも多くなっている。

 そんなの、辺境にして場末に決まっているではないか。それは、与論に対する鹿児島の扱いっぷりからでも分かる。それに、こういう指摘は、46年前に行われている。

 政治的にみれば、島全体のアメリカの軍事基地化、東南アジアや中国大陸をうかがうアメリカの戦略拠点化、それにともなう住民の不断の脅威と生活の畸型化という切実な課題にくらべれば、そんなことは迂遠な問題にしかすぎないとみなされるかもしれない。しかししそうてきには、この問題の根拠とねばり強い探求なしには、本土に復帰しようと、米軍を追い出そうと、琉球・沖縄はたんなる本土の場末、辺境の貧しいひとつの行政区として無視されつづけるほかはないのである。そして、わたしには、本土中心の国家の歴史を覆滅するだけの起爆力と伝統を抱えこんでいながら、それをみずから発掘しようともしないで、たんに辺境の一つの県として本土に復帰しようなどとかんがえるのは、このうえもない愚行としかおもえない。琉球・沖縄は現状のままでも地獄、本土復帰しても、米軍基地をとりはらっても、地獄にきまっている。ただ、本土の弥生式以後の国家の歴史的な根拠を、みずからの存在理由によって根底から覆えしえたとき、はじめていくばくかの曙光が琉球・沖縄をおとずれるにすぎない。(「異族の論理」1969年)

 大田の嘆きを前に置くと、吉本隆明の「異族の論理」は全く色褪せてないのに驚かされる。吉本が、「本土に復帰しようと、米軍を追い出そうと、琉球・沖縄はたんなる本土の場末、辺境の貧しいひとつの行政区として無視されつづけるほかはないのである」としているのは、大和朝廷以降の歴史的経緯や当時の政府の見識からいってそうだと言っていると思える。と同時に、ここには近代民族国家が、必ず中心と周縁を生み出し、内外に差別を作り出さずにはおかないという認識も控えている。挙げようとすれば、ここには人間の持っている差別感も入れるこことができるかもしれない。けれど、吉本自身は、ここではそのことは含ませていない。それは、人間が今も脱することができないでいる動物性のようなもので、さらに射程を長く取らなければならない問題だからだ。

 大田はこうも言う。

大田 沖縄の人びとが、絶えず人間としては処遇されずにモノ扱いばかりされてきた事実は、否定できないのです。

 これにしても、人間の持つ差別感の層で言っては身も蓋もなくなる。それは別の場面ではブーメランとなって自身に返ってくるものだ。大田の言うことに対応するのは、近代民族国家という層だと思える。げんに現政府は、自衛隊員をモノのように扱う言動をしてはばからない。そしてこの層で考えたとき、ここには、「モノ扱いばかりされてきた」というところには、本土の人もそうなのかもしれない、という内省をさしはさむ必要がある。

 ただ、稲嶺がこう言うとき、感銘に近いものを受けた。

稲嶺 だからやはり本当のマイノリティに対する思いやりとか意識とか、実はなかったと。言われてみて初めてかなり大きな問題だということを認識したと。これはある意味では非常に寂しかったですね。

 県知事を務めた者までがこう言う。島人のよさは、やっぱりこういう素朴な、純朴なところだと思う。

 問いの立て方を変えたいと思うのは、「祖国」も同様だ。

新川 沖縄人には日本に対する「祖国」意識が、根っこの部分にまだ強くある。この部分、今後僕たちが突き詰めて考えるべき問題だろうと思います。
新川 「祖国」とは「祖先以来住んできた国。国民の分かれ出たもとの国」(『広辞苑』)という字義に従う限り、かつて独自の主権を有した独立国であった琉球王国が日本国を「祖国」と観念するのはその語義に照らしてもおかしいことは明らかである。

 新川は、日本は「祖国」ではなく、琉球が「祖国」である。日本を「祖国」とする幻想を打破しなければならない、と言うのだが、これまで新川の言説を辿ったかぎりでは、新川の琉球を「祖国」とする幻想も打破したほうがいいのだ。

 この、「祖国」という捉え方のなかに、国家と社会を一体とみなす思考がにじみ出ている。大田の嘆きも、そこを分離できないから、人間の持つ差別感にまで含意が及んでいると思える。

 それに、島人は「祖国」なら、わざわざ決めなくても、すでに持っている。ぼくの場合を挙げれば、与論島がそうで、これ以上の祖国はないし、これで充分である。もっとも与論は小さな島だから、大きな島の島人にしてみれば、シマ(集落)がそれに該当するだろう。島人は、シマ(島)に対して持つ「祖国」感を素朴に国家にも投影するのだ。しかし、島人がそうするのは自然な観方だとしても、構想を立てるときには、少なくとも、国家と社会は分けて考える必要がある。そうするためには、自分のシマ(島)以外には、「祖国」という言葉を適用しないのがいい。

新崎 その頃に新川さんが強調していたのは、これは独立論ではないということでしたよね。それでむしろ精神的独立論とか、日本などに頼るなというか、沖縄の独自性に目覚めよという主張であったと僕は理解していましたし、そのことは当時書いた本の中でも触れています。これがどうして独立論に変化したのかということも疑問です。
新崎 僕なんかからすると、今は独立という形で新しい国家を形成するような時代ではないのではないかという気がします。独立を丸々否定はしていません。独立はあり得るかもしれない。(中略)僕などが目的とするものは、新しい国家を作ることではなくて、むしろ国境を低くして、国境を開いて周辺地域の人たちと平和的な関係を作っていく、そういうことではないだろうか。

 これを読むと、新崎もぼくと同様の疑問を持ったことが分かる。また、見通しとしては、ぼくは新崎の見解に賛成だ。

 新川はどう応答したか。

新川 先ほどから言っている、沖縄はどうあるべきか、その将来構想を問うときに、現時点でその手段として独立論を唱えることが最善の方法じゃないかということなんです。だからといってそれが今すぐ具体化される話ではないということはずっと言っているわけです。(中略)
 それとまた僕は、沖縄が独立をして、それで今の日本と同じようなミニ国家を作るだけなら意味がないよ、といろいろなところで繰り返し言っているんですよ。つまり、僕の言う「独立論」の究極の目標は人間的に解放された社会を目指すことで、新崎さんは「国境を低くして周辺地域と平和な関係を作っていく」と言うわけですが、僕の目指す理想は、国境による領土の囲い込みをなくして、世界連邦的なあり方を意味します。その辺のところが、ちゃんと理解されていないと思います。

 これは回答たりえていない。「独立論」を言ってみてるだけ、と言っているのと同じで、独立論に真剣に取り組んでいる諸兄に失敬ではないだろうか。「今の日本と同じようなミニ国家を作るだけなら意味がないよ」と言うのも、あらゆる国家を否定すると言ってきたことに対して筋が通らない。それに、マルクスを思い出させる「人間的に解放された社会」ということも、どうしてそれが「独立論」と結びつくのか、分からない。というか、独立すればそうなるという考えは、それこそ幻想だ。

 必要なものは何か、という問いに、新川は「琉球人としての自覚と誇り」といい、

新川 (沖縄が独立すべきだと考える沖縄人が少ないのは-引用者注)「復帰」運動で培養された、日本を「祖国」と考えさせられた国民教育(日本化教育)による日本人意識が大きな要因だろうと思います。(中略)  従って、まず琉球人としての自覚と意識を高めていく。

 と言う。これは迷惑だと思う。それは、現政府が教科書を都合のいいように改編しているのが迷惑なのと同じだ。「琉球人としての自覚と意識を高めていく」という、目的の立て方は、かつて、「日本人としての自覚と意識を高めていく」ことを強いられたのと同様のきつさをもたらさずにはいられないだろう。島を知る、ならまだ分かる。

 たとえば、方言は大事だと思う。それは、「琉球人としての自覚と意識を高める」から、ではなく、その言葉でなければ拓かない世界があるからだ。神女はどうだろう。呪詞を標準語で唱える神女など想像できるだろうか。「開けゴマ」と言わなければドアは開かない。どうように、それまで使ってきた言葉でなければ、神女は、呪詞が望んだ世界を拓けなくなるだろう。神女を持ち出さなくても、ぼくたちだって、島言葉で話すときと、標準語で話すときとでは、そこに拓かれる情感や見える世界がまるで違うのを知っている。その世界の奥底にあるものとのつながりを失うのはあまりに「寂しい」。だから、方言は大事だと思う。親が伝えられなくなっているのなら、教育が代替するのも仕方ないと思う。しかし、日本人教育をしたら日本人になり、琉球人教育をしたら琉球人になる、という人工的なものではない。時の政府の意向に沿った教科書で教育を受けたら、その通りの人間になってしまうわけではない。その時は真に受けるかもしれないが、重要なのは、その後、何かのきっかけで、問い返しを行ったとき、自身で考えることができるようにすることだ。そのとき、たとえば、方言は大事な手がかりになるものだ。

 この座談会のなかでは、新崎や稲嶺の立てる現実的な問題意識の方が少しく大切なものに思えた。

稲嶺 戦争経験があるかないかというのは、ものすごく大きいと思うんですね。(中略)野中広努さんが(中略)八重山の皆さんに対して対中国の問題を話しておられたのですが、平和友好裏にやるべきだ、というわけですね。戦争体験者というのは、そういう意識を非常に強く持っておられるんです。

新崎 (前略)いわば最悪の政府に今どう対応していくかを、我々は考えていかなければならない時期なんですね。

稲嶺 本土の知識層の人も、先入観を持っているんですね、今回の基地の問題も、最終的には沖縄は「うん」と言うであろうと。そうした先入観の理由の一つには、昨2012年11月のシンポジウムでもお話ししたように、いま沖縄経済に占める基地関連収入のウェイトは5%なんですが、たしかに昔は30%の時代もあったわけで、何かいまだにそういうイメージを本土の皆さんが持ち続けていることを感じました。

稲嶺 この状況のなかで沖縄の基地問題について本土の人たちに分かってもらうというのは、はっきり言って相当困難だと思います。なぜかというと、防衛の問題を自分たちのことと考えていないんですよ。沖縄に任せて、俺たちは知らないぞと。これは東京など東京電力の管内に住んでおられる皆さんが、原発を新潟に持っていったり、あるいは東北に持っていったりしている、それと同じ意識なんですよ。これが非常に怖いと思います。

稲嶺 私は知事として一つ非常に残念だったのは、他の県の知事というのは、地域産業の問題、教育の問題、福祉の問題にかなり詳しいんです。ところが沖縄の知事は、やるべき仕事七割以上が、実は基地問題なんです。

 稲嶺の原発発言は、ビートたけしも言及したことがある。東京湾の真ん中に作ればいいじゃないか、って。


『沖縄の自立と日本―「復帰」40年の問いかけ』

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