「環状列石初源考」(佐々木藤雄)
佐々木藤雄の「環状列石初源考」(「長野県考古学会誌」109号、120号)。細部の問題はいまのぼくには手に負えないので、論考の要だけに焦点を絞ってみる。佐々木によれば、環状集落、「集落内環状列石」、「集落外環状列石」は、連続的な推移として見ることができる。
環状集落、「集落内環状列石」、「集落外環状列石」の三者を通して認められる際立った連続性・伝統性に着目するならば、環状列石、とりわけ重環状構造をもつ環状列石は大野のような「集落内環状列石」として環状集落内部に出現した後、大規模な「集落外環状列石」へと発達した蓋然性が高く、またこのような「集落内環状列石」成立の背景には環状集落内の中核を占める中央広場-中央墓地に対する明瞭な結界の形成、区画の特別化という事情があったことは疑いない。(「環状列石初源考(上)-環状集落中央墓地の形成と環状列石-」)
ぼくたちはこれを生者と死者の関係、生と死の段階から捉えている。
1.環状集落
2.集落内環状列石
3.集落外環状列石
これらはいずれも、生と死が「移行」とみなされたなかで、生者と死者の空間が「区別」された段階に当たるものだ。1~3の推移は、その段階のグラデーションを示している。
1.環状集落 区別・共存
2.集落内環状列石 区別1
3.集落外環状列石 区別2
1では、まだ「共存」の感覚も強い。住居と中央墓地の間に環状列石が敷かれる2は、「区別」の明瞭な印となる。3では、区別はさらに進んでいるのが伺える。中央墓地の中心には、モニュメントがあってもおかしくない。環状集落では、中心ということ、そのこと自体がモニュメントとしての意味を持ったのかもしれない。ここでの「中心」は、琉球弧で言う「洞窟」を指している。その意味は、「この世」と「あの世」の境界だ。そしてここでの「あの世」は、地上的な場所の身近などこかにある。
ぼくは、「共存」から「区別」の段階に入るのは、死者との共存に矛盾の意識が芽生えたときだと考えている。環状集落が人口密集地に出現することを考えれば、ここでは、それは生者と生者の共存に対する矛盾の意識が表出されたものだと考えることができる。また、1~3の過程における中央墓地からの距離の遠隔化は、死者との距離の遠隔化に対応している。それは「あの世」の遠隔化にも対応するはずだ。言い換えれば、生と死の「円環」の解体過程だ。
また、安部明典によれば、
環状列石は、往々にして台地や丘陵の縁辺部に立地し、周辺の景色が眺望できる場所や二至二分と特定の山が重なる場所に占地していることもあり、その機能・用途に適する場所が選ばれたものであろう。これらは彼らの世界観に基づくものであると想定される。(「東北北部における環状列石の受容と集落構造」「古代文化」2011年vol.63所収)。
この立地は、「あの世」との接点であると見なすと理解しやすい。同様に、立地についても、琉球弧の「洞窟」と同位相にあると言えるものだ。
cf.「環状集落・環状列石・環濠集落」、「谷口康浩の「祖先祭祀」」、「丹羽佑一の「縄文人の他界観念」」
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