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2015/11/17

時間の起点としての「穴」と「頭蓋骨」

 生と死が、移行のなかで「区別」の段階に入ったとき、境界に洞窟が設定され、「この世」と「あの世」は空間的に区別されるようになる。このとき、洞窟の「穴」は、トーテムや人間が出現したはじまりの場所になる。それと同時に、はじまりの時を意味することになる。それは、一方向に進む時間認識の展開でもあった。

 しかし、トロブリアンドで最初は女性だけが出現し、そこから人びとが生まれていったとされるように、はじまりの時と場所、そこから現在までの流れは神話のなかに息づいている。つまり、そこには循環する時間という思考も生きている。

 人間が自然の加工の度合いを増し、「聖なるもの」が「穢れたもの」への反転を進め、その捩じれが一つの結び目を持つまでに極まったとき、生と死が分離する。

 このとき、シャーマンや英雄の頭蓋骨は氏神化の途次にある。琉球弧で、原ユタが根神として、その兄妹の根人と共同体を開設し、その頭蓋骨が祀られたのちは、その共同体にとっての時間が始まる。ここでも神話は生きていて、兄弟始祖神話が語られる。一方向に進む時間の認識は、共同体開設者の頭蓋骨を通じて、展開されることになり、それが共同体のメンバーに、記憶の届かない過去という時間認識の負荷を与える。それが、梃になって御嶽の神が発生する。循環する時間という思考はここで命脈を絶たれる。

 まだ、あいまいな点を残すが、現時点の理解をメモしておく。

 

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