『古琉球の思想』(比嘉実)
比嘉実の『古琉球の思想』が面白かった。
比嘉は、ここで「古琉球の思想」を、これであると明言しているわけではないけれど、推し測ると、「上り太陽どぅ拝むどぅ下り太陽や拝まぬ」という諺にしめされるような、「若太陽(わかてぃだ)」と位置づけているようにみえる。
「若太陽」思想を体現したのは、按司だが、彼らの存在について、比嘉は書いている。
かつて沖縄においても、族長的人物の徳、活力によってその地域の自然摂理が左右され、生命力、活力の枯渇によって、族長的人物が殺されることがあったことを暗示している。
比嘉は、フレイザーなどの人類学の知見を参照して、こう言っている。たしかにソールイガナシには、絶対専制と絶対服従が同居するようなアフリカ的王権の残響がみられるが、すでにアジア的王権の性格を持ち始めている按司に、「殺害されることがあった」と考えるのは穿ちすぎだと思える。
南島における国見歌について。土橋寛は、国見歌の成立を「春山入り」に結びつけている。しかし、生命の再生した若々しい木々を身にかざすことで木々の横溢する生命力を身につけようとするタマフリは、常緑樹が年中茂っているような南島では考えられない。
国見儀礼で、神女が小高い聖なる丘にのぼって海の彼方を遥拝する儀礼は、ニライカナイの神を招請する行為に他ならない。「その祭祀的世界において神女たちのニライ・カナイへの遥拝は祀る者から祀られるものへの転位を意味した。ニライ・カナイの神の憑依した神女は聖なる存在として村落を遥かに見下して付帯する霊威を見る対象に付与するのである」。
この観点は、南島の気候条件を加味したもので、興味深い。発見だったのは、次のくだり。
与論島や今帰仁与那嶺あたりでいう島見は、野辺送りの時最後の別れとして小高い丘から死者に故郷の村を見せる儀礼をいう。
これは知らなんだ。
雨乞い儀礼の所作も面白い。
王城内では、「水の入った水甕を中心し据え、神女達が円陣を組んで雨乞いの歌を歌いながら水甕をまわり、水甕の水をかけあう仕草があったという」。
また、こういう例も引いている。「煤鍋を頭に戴いて激しく回転することによって水を降雨の如く飛ばす儀礼」。
ぼくたちはこの他に、波照間島のフサマラーが絡んだ雨乞いを知っている。
しかし、何より驚いたのは、「雨乞儀礼の多くは台風を招来するための祭であったと言ってさしつかえないであろう」、と書かれていることだった。
比嘉が古琉球の象徴として挙げているのは、「日輪双鳳雲文(にちりんそうほうほうんもん)」。
文様史の現象から見ると、栄華を誇り、古琉球随一の英明をうたわれる尚真王期に形成され、古琉球の終焉と歩を一にして碑文から消えた日輪双鳳雲文は古琉球を実によく象徴しているように思える。
ここに書くのはメモ書きにすぎないけれど、楽しく読んだ。比嘉実はすでにニライカナイの人になっている。いちどお話しを伺ってみたかった。
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