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2015/10/25

「幻像としての<日本>」(新川明)

 新川明の「幻像としての<日本>」。「日本」には、「やまと」とルビが振られている。

 「大大和」の議論が面白い。首里、那覇を中心とした沖縄人にとって死語になった言葉に「大大和」(ウフヤマトゥ)がある。「大和」と「大大和」の違いを、新川は比嘉春潮の言葉を引いて説明している。

沖縄人は本当の日本を、大大和と呼ぶ。薩摩は大和であり、日本人の悪しき代表者としてうけとめられた。この大和と大大和のちがいは、今日でも、沖縄人の意識に生きつづけている。沖縄が期待するのは大大和であって、支配者としてふるう大和ではない。このことの理解なしに、沖縄のこころをつかむことはできない(1970年)。

 これを受け、新川は書いている。

 そこで留意したいのは、当時の沖縄人にとってウフヤマトゥという言葉によって表わされる概念は、決して実在する日本国そのものではなく、二百数十年にわたって現実に権力をふるい、置県処分のあとも依然として横暴のかぎりをつくすヤマトゥ=ヤマトゥンチュの専横という目前の現実をこえてイメージされる楽土の謂にほかならなかっただろうということである。もちろん比嘉春潮が《沖縄人は本当の日本を、大大和と呼ぶ》というときの本当の日本=大大和も、沖縄人の意識の中でのみイメージされ、人々が希求してやまぬ彼方の楽土という意味において理解されるべきであり、それも決して現実の日本国自体をさしているのではないと考えるべきであると思う。

 この分析は的を射ていると思う。「祖国」というとき、それは実体のそれというより、「楽土の謂」として機能していたのだ。

 どうしてそうなるのか。新川は、「一つの世直し的な世界観」としてある「ニライ・カナイへの渇仰」という「伝統意識」があるからだと言う。ぼくは、これを「まれびとコンプレックス」として捉えている。他者の過剰視だ。ただ、新川の言う「伝統意識」では、「ニライ・カナイへの渇仰」をする側は、貧しさの意味に傾いているようにみえるが、ぼくは、無償で自分の身体を提供する乳児にとっての母と同じもので、むしろ恵まれた者の視点だと思っている。

 しかし、復帰後は「楽土」としてイメージできなくなる。「大大和」に幻滅するにつれ、「薩摩(薩摩人)をふくめて日本(日本人)総体が、悪しき代表者=抑圧者を指す言葉であるヤマトゥ(ヤマトゥンチュ)に包括されるようになるのである」。

 違和感の方も書いておく。沖縄人の「ウチナーンチュ」という自己規定についても、新川は書いている。

 沖縄人がみずから表現するとき「ウチナーンチュ」といい、沖縄人以外の日本人を呼ぶのに「ヤマトゥンチュ」または「ヤマトゥー」と規定する。
 相手の「ヤマトゥンチュ」が、九州の男であるのか、東北の女であるのか、あるいは北海道からやってきた人であるのか、そういうことはここでは一切問題にならない。あるいは、相手が会社の社長であるおんか、労働組合の活動家であるのか、学生であるのか、政治家であるのか、牧師であるのかも問題ではない。つまり、その出身地や社会的身分、職業や性別などにかかわりなく、日本(本土)の人間はおしなべて「ヤマトゥンチュ」であり、その人々が住む国土は「ヤマトゥ」である。そして沖縄に住む私たちは、あくまで「ウチナーンチュ」である。

 明快な自己規定として流してもいいのだが、冒頭のこの部分で、ぼくはもう違和感が立ちあがってくる。「沖縄人以外の日本人を呼ぶのに「ヤマトゥンチュ」または「ヤマトゥー」と規定する」という言葉のあとに、「九州の男であるのか、東北の女であるのか」という流れになったところで、そういういっしょくたの見なしを相対化するのかと思いきや、「そういうことはここでは一切問題にならない」と不問が強調されていた。その照り返しとして、「沖縄に住む私たちは、あくまで「ウチナーンチュ」である」と強調されている。

 思い出した。ここで感じる違和感は、かつて新川明の書いた詩に対する違和感と似ている。

 「日本が見える」

 与論島
 よろんじま!
 そこは/日本の最南端
 〈祖国〉のしっぽ
 日本の貧しさが
 集約されて
 ただよう島。

 こう書かれた「与論人」は、「日本」の象徴であるかのように、見なされること、「日本の貧しさが/集約されて/ ただよう島」と書かれたことに激しく戸惑う。

 もうひとつ躓いた箇所がある。

 私の友人で東京に二十年前後住んでいる沖縄人のひとりが、ある集会で沖縄問題を話すことを求められてこれを辞退した。その理由をきくと、「わたしはいま、半沖縄人になっているので激動する沖縄の現状を正しく報告する人間として不適任だと考える」ということだった。その言葉をきいたとき、私は一瞬絶句してその人の沖縄人としての気持の深さと沖縄に寄せる愛惜の思いの大きさに打たれたものである。なぜかといえば、その人がみずから東京に二十年も住む沖縄人であるといい、沖縄人としての主体と責任において揺れ動く沖縄の現状報告をするのに不適任だと自戒することで、沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさがそこに示されているからである。

 要するに話者は遠慮したわけである。東京に二十年前後も住んでいる。動きの激しい沖縄のこともつまびらかにできない。そこで、「不適任」と自覚したわけだ。「集会」というからきっと激しい言説をが望まれている空気も察しただろう。よくわかる対し方だ。けれど、どうしてそれが、「沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさ」の現われなのだろう。

 ぼくは、話者が東京に二十年前後住み、沖縄の現状を的確に知っているわけではないが、思うところは、と言って、話し始めることと、「不適任」と自覚して何もしゃべらないことは等価だと思う。仮に話者がそうしていたら、新川の評価はどうなっただろうか。そこにも、「沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさ」を見るだろうか。きっと、そうはしないのだろう。

 ここには、他者の過剰視と同じものがあるのではなだろうか。言ってみればそれは、自身に対する過剰視だ。沖縄人の「ウチナーンチュ」という自己規定の強さは、ぼくも「与論人」に置き換えればよく分かる。それが、特異な強度を持つことも。けれど、それは「強さ」であって、過剰視するものではない。新川は、「幻像としての<日本>」の過剰視に自覚的ではあっても、「幻像としての<沖縄>」への過剰視には自覚的ではないのではなだろうか。それが、「沖縄人」という自己規定の単色さとなっているのではないだろうか。

 ここにないのは、九州人には九州人のなかでも、東北人には東北人のなかでも違いあるという視点だ。もっといえば、誰だって人間としては同じだという視点が感じられない。

 ぼくは四十年も前だろう文章をくさしたいわけではない。「究極においていかなる政治権力がこれを握ろうと、国家の存立それ自体を否定するものでなければならないはずのものであった」と書く新川が、現在、琉球独立論を割と手放し(に見える)賛同する、その理由を掴みたく思っているものだ。


『反国家の兇区―沖縄・自立への視点』

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