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2015/10/21

『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』(若林正丈)

 「躊躇」という言葉に親近感を抱いて読んだが、まるで違って、台湾は実に堂々とした歩みをしてきたのだと思った。ここに言う「躊躇」とは独立と言い切ることに対するものだ。

 これを読んで感じたのは、日本が琉球を併合するときに、国内問題のように仮象せずに、国家として遇していれば、もう少しすっきりしたやりとりができてきたのではないかということだった。

 アイデンティティということでいえば、「台湾民衆のナショナル・アイデンティティ」に関する調査結果が載っている(1992-2000)。

 A:もし中国との間に経済社会政治などの条件に差がなくなれば、中国と統一すべし
 B:もし台湾が独立しても平和が保てるなら台湾が独立すべし

 1.台湾ナショナリスト(A:反対、B:賛成)

 9.3%(1992)-24.0%(2000)

 2.プラグマチスト(A:賛成、B:賛成)

 25.0%(1992)-34.4%(2000)

 3.中国ナショナリスト(A:賛成、B:反対)

 38.0%(1992)-19.3%(2000)

 現在はどうなっているか分からないけれど、経緯は分かりにくいところはない現実的な態度だと思う。


 ところで、台湾海峡危機は、尖閣諸島問題についても示唆を与えてくれるように見えた。

 1949年、アメリカ政府・軍当局はもはや経済的・外交的手段では台湾は守れないとの見通しで一致。1950年、トルーマンは台湾海峡不介入を声明。国務長官は西太平洋防衛ラインに台湾、韓国は除外すると発言。しかし一方、マッカーサーは台湾は「不沈の空母」であり、敵対勢力の手に落ちたときの脅威を強調。

 朝鮮戦争勃発。トルーマンは台湾海峡不干渉方針を破棄、第七艦隊の台湾海峡出動を命令。同時に国民党に対しては、「大陸反攻」行動の停止を要求。アメリカは国府援助を再開。平時においても敵対勢力の下に置くべきではない地域として、台湾を戦略的に位置づける。

 1953年、アイゼンハワーは台湾海峡の中立化を解除。蒋介石は沿岸島嶼に正規軍を配備。1954年、共産党軍は、一江山島、大陳島を占領。米中は対決ムードを高めるが抑制は働いていた。たとえば、第七艦隊の国府軍大陳列島撤退視線作戦中、一切攻撃を控えていた。結果、SEATO(東南アジア防衛条約機構)は、国府(台湾)抜きとなったが、アメリカと国府は、1954年、米華相互防衛条約を調印。

 1958年、共産党軍は金門島に砲火を浴びせる。合計4,277,200発と言われる。国府軍は降伏を勧告される。そこで、アメリカがふたたび介入。しかし今回も抑制的で、第七艦隊に出動命令が下るが、金門島補給護衛が任務。中国に対し、台湾地域における相互の武力行使放棄に関する米中の話したいを提案。

 だいぶ端折った経緯だけれど、少なくとも分かるのは、米国は当たり前だが、国益によって態度を正反対のものに変えることがありうる、しかも頻繁に。もうひとつは、ことが起こってから、あるいはダメージを受けた上で、自らは動くということ。これにしっかり対応してきたのは、台湾にしっかりした意思があったからだろう。

 この本が出版されたのは、2001年。もちろんだが、ひまわり学生運動は含まれていない。


『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』



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