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2015/10/31

『現代文学にみる沖縄の自画像』

 書名が示すとおりの「沖縄の自画像」を知りたくて読んだのだが、そういう本ではなかった。もとより、琉球新報企画の「戦後を読む」という連載として書かれているのだから、個別の作品の紹介に留まるのはやむを得ないのかもしれない。

 ただ、それでも単行本化に当たっては、著者、岡本恵徳によるこれら作品を通じた自画像作成の試みは期待したかったところだ。

 特徴としてなら、岡本が言及していることはあって、沖縄戦の小説は少ない、敗戦直後に取材した作品では沖縄内部で書かれたものが少ない。「アメリカ」、「復帰」についてはすぐれた作品が少ない。七〇年代以降に女性作家の活躍が目立つ。沖縄人のアイデンティティを探る作品は多彩で、復帰後に見られる。こういうことだった。

 岡本に望めないとしたら、作品を紹介した文章から、沖縄の自画像を思い浮かべられるかと言えば、それは覚束ない。印象としてやってくるのは、「アメリカ」や「基地」との交渉が描かれているというもので、沖縄人の自画像制作に関わるような手応えは、少なくとも作品の紹介からは得にくかった。

 なんだか無い物ねだりをしているような気がしてくる。もっとも、ひるがえって奄美の自画像は?と聞かれたら、それも回答に窮してしまうだろう。それは、個々のシマ、島ごとに描くしかないと思うばかりだ。そう思うと気づくのは、この本で紹介されているのも、沖縄島中心の作品であり、小さな島々のものは少なかったことだ。それは埋もれているということだろうか。書かれていないということだろうか。こう問えば、それは書かれたものが少ないのだ。

 きっとわざわざ文字にするより、唄と踊りに表現されていると言えばいいのかもしれない。それが島人の自画像だろう。

『現代文学にみる沖縄の自画像』

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2015/10/30

『古琉球の思想』(比嘉実)

 比嘉実の『古琉球の思想』が面白かった。

 比嘉は、ここで「古琉球の思想」を、これであると明言しているわけではないけれど、推し測ると、「上り太陽どぅ拝むどぅ下り太陽や拝まぬ」という諺にしめされるような、「若太陽(わかてぃだ)」と位置づけているようにみえる。

 「若太陽」思想を体現したのは、按司だが、彼らの存在について、比嘉は書いている。

かつて沖縄においても、族長的人物の徳、活力によってその地域の自然摂理が左右され、生命力、活力の枯渇によって、族長的人物が殺されることがあったことを暗示している。

 比嘉は、フレイザーなどの人類学の知見を参照して、こう言っている。たしかにソールイガナシには、絶対専制と絶対服従が同居するようなアフリカ的王権の残響がみられるが、すでにアジア的王権の性格を持ち始めている按司に、「殺害されることがあった」と考えるのは穿ちすぎだと思える。


 南島における国見歌について。土橋寛は、国見歌の成立を「春山入り」に結びつけている。しかし、生命の再生した若々しい木々を身にかざすことで木々の横溢する生命力を身につけようとするタマフリは、常緑樹が年中茂っているような南島では考えられない。

 国見儀礼で、神女が小高い聖なる丘にのぼって海の彼方を遥拝する儀礼は、ニライカナイの神を招請する行為に他ならない。「その祭祀的世界において神女たちのニライ・カナイへの遥拝は祀る者から祀られるものへの転位を意味した。ニライ・カナイの神の憑依した神女は聖なる存在として村落を遥かに見下して付帯する霊威を見る対象に付与するのである」。

 この観点は、南島の気候条件を加味したもので、興味深い。発見だったのは、次のくだり。

与論島や今帰仁与那嶺あたりでいう島見は、野辺送りの時最後の別れとして小高い丘から死者に故郷の村を見せる儀礼をいう。

 これは知らなんだ。


 雨乞い儀礼の所作も面白い。

 王城内では、「水の入った水甕を中心し据え、神女達が円陣を組んで雨乞いの歌を歌いながら水甕をまわり、水甕の水をかけあう仕草があったという」。

 また、こういう例も引いている。「煤鍋を頭に戴いて激しく回転することによって水を降雨の如く飛ばす儀礼」。

 ぼくたちはこの他に、波照間島のフサマラーが絡んだ雨乞いを知っている。

 しかし、何より驚いたのは、「雨乞儀礼の多くは台風を招来するための祭であったと言ってさしつかえないであろう」、と書かれていることだった。


 比嘉が古琉球の象徴として挙げているのは、「日輪双鳳雲文(にちりんそうほうほうんもん)」。

文様史の現象から見ると、栄華を誇り、古琉球随一の英明をうたわれる尚真王期に形成され、古琉球の終焉と歩を一にして碑文から消えた日輪双鳳雲文は古琉球を実によく象徴しているように思える。


 ここに書くのはメモ書きにすぎないけれど、楽しく読んだ。比嘉実はすでにニライカナイの人になっている。いちどお話しを伺ってみたかった。

 

『古琉球の思想』


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2015/10/29

ニライと「根の国」

 福寛美の整理をもとに、ニライと「根の国」について、仮説しておく。

 福は、『沖縄と本土の信仰にみられる他界観の重層性』のなかで、ニライと「根の国」の相似性について、整理している。

 ニライ

 1.祖神のまします聖域で、そのためにすべての根となり基となる所。根所。
 2.死者の魂の行く所。穢れた底の国。
 3.地上に豊穣をもたらすセヂ(霊力)の源泉地。
 4.海の彼方の楽土。常世の国。

 根の国

 1.黄泉の国
 2.大祓いの際、国中の罪が祓いやられる。
 3.オホナムヂは、根の国でスセリビメ、生大刀、生弓矢を手に入れ、豊穣の神、大国主となりえた。(根の国=豊穣の源)
 4.根の国は富みと長寿の明るい理想郷として海神の国、さらに常世の国へと変換させられた。

 (前略)ニライと日本神話の根の国、常世国とは密接な関係があった、と推定できる。すなわち同じ他界観を日本古代には根の国、または常世国と呼び、沖縄ではニライと呼んだ、ということである。日本神話世界では根の国の一面が常世国=永遠の理想郷とみなされている。沖縄でのニライは生の輝きも豊穣の実りも死の恐怖も地上に害をなすものも、あらゆる聖なるものと穢れたものを包み込んだ他界である。

 これをぼくの言葉に置きなおしてみる。ニライは、生と死の「分離」のあとに、生と死の「移行と円環」を捉えたもの。

 「根の国」も、生と死の「分離」のあとに、生と死の「移行と円環」を捉えたものであるのは同じだ。これが相似性を持つ理由になる。ただ、「根の国」は、「黄泉の国」と一部重複しながら、「黄泉の国」とは別の側面も持つ。つまり、『古事記』においては、生と死の「移行と分離」の両方を捉えた「黄泉の国」が自覚的に捉えられている。また、福が言うように、「常世国=永遠の理想郷」は、「根の国」の一面であるように、「移行」と「円環」も自覚的に捉えられている。

 ニライが「未分化」な状態に見えるのは、生と死の「分離」のあとにも、「移行と円環」が濃密に存在したからだ。「黄泉の国」を分離するようには、生と死が「分離」されなかったのだ。したがって、「根の国」のように、「移行」を示す段階を独自に取り上げることもなかった。ただ、「分離」を経ていることは、ニライが「海の彼方」に遠隔化されていることに示されている。

 


『沖縄と本土の信仰にみられる他界観の重層性』

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2015/10/28

蝶形骨器の時代

 ここで試みようとしているのは、「蝶形骨器」の時代をおおよそ掴むことだ。

 出土場所と蝶形骨器のタイプや土器は、島袋春美の「いわゆる「蝶形骨器」について」に依る(Ⅰb型の画像は、ここで見ることができる。「縄文人の造形美」)。また、貝塚時代に対応させるため、土器の編年については、伊藤慎二の『琉球縄文文化の基礎的研究』に依った。出土場所は、遺跡の場所は正確に突き止める労を厭うたので、だいたいの場所になっているのはご容赦願いたい。

 ここで確認できるのは、蝶形骨器の時代が、貝塚時代前Ⅳ期にほぼ収まることだ。それは約3500~3000年前に当たる。島袋が蝶形骨器の祖形としている「Ⅰ」が出土した古我地原貝塚のみが、前Ⅲ期に属し、約4500~3500年前に当たる。

 ぼくの見立てでは、蝶形骨器が作成されるのは、霊魂(マブイ)概念の成立を根拠にしている。それを認めるなら、琉球弧における霊魂(マブイ)の成立は、約3500年前前後ということだ。また、蝶形骨器が貝塚時代前Ⅳ期に集中しているということは、「霊魂」の成立が、珊瑚礁環境を前提にしていることを想定させる。珊瑚礁ができ、島人が定着することが、霊魂の成立には必要だったということだ。もし、そうなら、前Ⅲ期に属している古我地原貝塚周辺の海域の珊瑚礁形成は早かったと考えられる。

 蝶形骨器とは何であるのか、これでまた少し間合いを詰められるように思う。

 cf.「土器口縁部の文様(伊藤慎二)」


Photo

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2015/10/27

「「日本国家」を相対化するということ」(岡本恵徳)

 川満信一、新川明を経て、こんどは岡本恵徳のいくつかの論考を読み、瑞々しい繊細さを感じた。ここでは、「「日本国家」を相対化するということ」(1972年)を取り上げてみる。

 さきに、「日本国家」の支配構造の特質は、沖縄に住むぼく(たち)からみるならば、人間を専ら機能において捉えるとらえかたと、均質の文化を絶対的な前提とするところの中央集権体制にある、ということを述べておいた。そしてそれは、体制的な死は胃の構造にみられるだけにとどまらず、反体制的な組織においても、そのような機能性を最優先するところの中央集中の組織原理としてみられるということも述べておいた。

 もしかりに、そのようなとらえかたに、現実的な根拠があるとするならば、そのような中央集権を拒否することを通して行なう支配構造の変革、あるいは中央集中にかわる組織原理の確立の試みも、ある程度の意味を持つのかも知れないと考えたりするのである(1972年)。

 これが、相対化によってしていくべきこととして岡本に握られていたことだ。このうち、「人間を専ら機能において捉えるとらえかた」は、この論考から40年以上経ったいまも、継続中であり、継続中だということは強化されている。「均質の文化を絶対的な前提とするところの中央集権体制」については、ある程度、克服されていて、特に「文化」においてはそうだと思う。

 ただ、この結論的な部分より、そこにいたる行間のほうが豊かな印象を与える。

 施政権の返還について、「異民族支配から同民族支配への転換」、「本土」と「沖縄」を対置する捉え方について、「革新」的な人たちから批判がある。それは、「共通に担うところの階級的な支配構造の問題としてとらえなければならない」、という。

 しかし、そのような原理としての正当性と現実的な根拠の有無だけに律することのできないところに、歴史と戦争・戦後の体験につちかわれた沖縄の人たちの独特な意識があった。

 こういうところで、「国家と市民社会を区別すること」という素朴な主張は、ここでいう「革新」的な人の見方と同じに見えることになるのに気づいた。しかし、単純なことで、「本土」と「沖縄」を対置する観点と、「国家と市民社会を区別すること」が、掛け算することが、切り口ではないだろうか。

 さきに、沖縄の人間が「日本国民」になる、という言葉を用いたのであるが、「日本国家」のなかで、「日本国民」になるという体験を持つのは、沖縄に生きた人々を除けば存在しない、といってよいのかも知れない。
 おそらく、明治以来のたとえば伊波普猷氏などの努力によって、沖縄人は日本人であることが明らかにされ、それらの影響を受けた大人によって教えられたことによって、ぼくたちが日本人であることに疑問を持つことはなかたのかも知れない。沖縄人であると同時に日本人でもあるけれども、日本国民であるとは意識されない、という錯綜したものがあったのである。
 しかし、現実的・具体的には、つぎつぎと継起するあらゆる難題について、沖縄の人たちは自らの手でそれらの解決を図らなければならず、そのことが、沖縄は沖縄であること以外にはない、という意識を強めることとなった。「日本国民」であることよりも先に、「沖縄人」であり「沖縄人」として生きることが、最もふさわしい生き方であろうこと、あるいはそれしか生きるより他にない、という事情が、沖縄人意識をより強固にしたといえよう。

 まず、「「日本国家」のなかで、「日本国民」になるという体験を持つのは、沖縄に生きた人々を除けば存在しない」ことはなく、奄美の復帰世代や日本の戦中世代も経験している。しかし、驚くのは、「「日本国家」のなかで、「日本国民」になるという体験」に注視したことだ。ぼくは今まで聞いたことがなかったような気がした。

 もうひとつ驚いたのは、岡本が「日本人」を自明視していることだ。ぼくは岡本より後続の世代だが、「日本人」であることを自明視できたことはなかった。それは実感から言うことで、「沖縄人は日本人であることが明らかにされ」たということからではない。

 納得するのは、「沖縄の人たちは自らの手でそれらの解決を図らなければならず、そのことが、沖縄は沖縄であること以外にはない、という意識を強めることとなった」ということ。なるほどこれは、奄美の人たちが敗戦から復帰までの期間で、広く深く醸成できなかったことだ。

 「日本人」であることは自明視され、「日本国民」である前に「沖縄人」という発想で、「日本を相対化する」という視点を持つのであれば、ここから、その足場を持った国民国家構想が生まれてくるのではないか、と、ぼくが当時の読者だったら展望を持ったのかもしれない。


『「沖縄」に生きる思想―岡本恵徳批評集』

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2015/10/26

「「非国民」の思想と論理」(新川明)

 「沖縄側は“本土”を本土国人と本土政府=国家権力=を混同して考える傾向がある」という見解を、新川は退けている。新川によれば、この見解が暗黙の前提にしている「連帯・共闘」は、「軽薄な楽天主義」の発想だ。ここには、「無意識にしろ、沖縄人が日本(人)に対して持つ歴史的な「差意識」=異質感が、大勢破砕の可能性(爆発力)を強く内在させていることを明敏に感知し、ひそかにおそれているからにほかならないとわたしは考える」。

 国家と市民社会の人々は区別されなくてはならない、ということは、ぼくも言っていることだから、ここでの新川の物言いには関心を持つ。

 さきの日本の新聞記者や在日沖縄人の指摘をまつまでもなく、わたしたちがみずからのたたかいにおいて「敵」を明確にすることは重要である。沖縄のたたかいにおいて、日本政府=国家権力と被支配の階級としての日本人民を混同し、これを同一視することの幼稚な誤りはいわれるまでもなく自明のことである。しかしながらそれとともに、「敵」としての国家権力(現時ではその体現者である自民党政府)を打ち破っていくための沖縄のたたかいにおいて、そのエネルギーを思想的に支えていくものは、ほかでもなく、いかなる意味においても、いかなる形においても〈国家〉それ自体の存在を決して容認しないという強固な国家否定の思想、すなわち「非日本国民」の思想でしかないということも、また動かし難いことであるだろう。

 すでに東江平之が、沖縄人の日本(人)に対する「差意識」の知覚現象の研究として、沖縄人にとっても府県間の差が問題にならず、「本土」は全部同質的に知覚される、と心理学的に論証したことからも容易に知ることができるように、沖縄(人)にとって日本(人)とは、国家権力もその国民である被支配者・民衆も、十把ひとからげに同質のヤマトゥであり、ヤマトゥンチュである。沖縄(人)から発せられる土着の言葉としてのヤマトゥ(ヤマトゥンチュ)が包括する概念は、まさにそのような意味内容を備えた言葉として存在するのである。まさしくその点に、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の、思想的弱さがあることは争えない事実だとわたしは考えるが、しかしそれと同時に、まさしくその点にこそまた、沖縄(人)の対ヤマトゥ認識の思想的強さ、その強固なる可能性が深く秘められているといわなければならないと考えるのだ。

 国家と人々を混同するのは、「幼稚な誤り」なのは自明だ。しかし、国家権力を打ち破っていく闘いのエネルギーを支えるのは、「非日本国民」の思想だ。沖縄人が、「十把ひとからげ」に日本人をヤマトゥンチューとして同質的に扱うのは、「思想的弱さ」であるが、同時に「思想的強さ」が秘められている。

 ここはよくよく読まないと、何を言っているのかが分からなくなる。国家と市民社会の人々を混同するのは、誤りで思想的な弱さであるが、反日本(非日本国民)であることによって、国家否定の思想的強さを持つのである。こう言っていることになるだろうか。反日本を通じた国家否定。その足場としての沖縄。

 国家権力とその走狗たちによる、政治的、経済的な圧倒的な専横と蹂躙による沖縄に対する新しい形での徹底的な収奪と抑圧は、沖縄(人)を再び破滅的な被抑圧者として苦渋と悲惨の底に突き落し、呻吟させることだろう。しかしその時こそ沖縄(人)が、こんどこそ〈国家としての日本〉の、国家権力それ自体のすさまじく冷酷な本性をいやおうなく知覚させられるにちがいない。単にその国家権力を支える独占資本のそれだけでなく、どのような形にせよ、国家権力それ自体の、苛烈な本性を、生活感覚的にも知覚させられるにちがいない。沖縄(人)はその時、ようやくその意識の基層を規定している「日本」に対する決定的な異質感を、実感として蘇らせ、みずからをそこに落し込めた日本志向の「復帰」思想の欺瞞性と反人民性に、具体的に気づくことを期待するほかないのである。

 その時、沖縄(人)が、〈国家としての日本〉に対して、本当の意味でのたたかいに目覚めるを得ない状況の到来を意味するし、被抑圧の歴史を歩みつづけた沖縄(人)が、〈国家〉に対する執拗な加害者としてみずからを転化させ得る時でもある。沖縄(人)がこのようにいま再び、みずからが幻想した「母なる祖国」の徹底的な蹂躙と抑圧に身をさらすという、地獄の底に身を落すことによってしか、みずからが歴史的に所有してきたたたかいの本来的な可能性を、みずからの手に取り戻すことができないとすれば、思えば愚かしくも悲しいことである。

 しかもその時、当然のこととして政治的にも経済的にも、もろもろの痛苦として果てしない混乱が沖縄(人)のたたかう部分に招来されることだろう。

 が、その痛苦と混乱の中で、「革新」の面相をもって沖縄(人)のたたかいの可能性を、〈国家としての日本〉に埋没させてきたニセ者たちの仮面は容赦なく剥ぎ落され、言葉の正しい意味における「変革」の担い手たち―いうまでもなくそれは日本との決定的な異質感に立つ無告の民衆たちなのだが、―は、混乱と痛苦の中からその真実の姿をあらわしてくるにちがいない。(1971年)

 新川の目には、いまがその時である、と見えているだろうか。前半で、国家と人々を区別しないのは、「国家否定の思想」のためだと書いていたが、この後半では、「国家否定」の文言は無くなり、「国家としての日本否定の思想」になっているように見える。新川明の「国家否定」は看板に偽りありで、「国家としての日本否定」のための方便になってしまったのではないだろうか。

 しかし、新川の言説を追っていくと、なぜ、国家と市民社会の人々は区別されなくてはならないという素朴で基本的なことを指摘しなければならないのか、なぜ、琉球という民族性が素朴に主張されるのか、理由が分かる気がしてくる。ウチナーンチュとヤマトゥンチュという図式の単純化と絶対化、国家と市民社会を区別しないという視点の許容あるいは推進は、新川自身がやってきたことだったのだ。

 
 
『反国家の兇区―沖縄・自立への視点』


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2015/10/25

「幻像としての<日本>」(新川明)

 新川明の「幻像としての<日本>」。「日本」には、「やまと」とルビが振られている。

 「大大和」の議論が面白い。首里、那覇を中心とした沖縄人にとって死語になった言葉に「大大和」(ウフヤマトゥ)がある。「大和」と「大大和」の違いを、新川は比嘉春潮の言葉を引いて説明している。

沖縄人は本当の日本を、大大和と呼ぶ。薩摩は大和であり、日本人の悪しき代表者としてうけとめられた。この大和と大大和のちがいは、今日でも、沖縄人の意識に生きつづけている。沖縄が期待するのは大大和であって、支配者としてふるう大和ではない。このことの理解なしに、沖縄のこころをつかむことはできない(1970年)。

 これを受け、新川は書いている。

 そこで留意したいのは、当時の沖縄人にとってウフヤマトゥという言葉によって表わされる概念は、決して実在する日本国そのものではなく、二百数十年にわたって現実に権力をふるい、置県処分のあとも依然として横暴のかぎりをつくすヤマトゥ=ヤマトゥンチュの専横という目前の現実をこえてイメージされる楽土の謂にほかならなかっただろうということである。もちろん比嘉春潮が《沖縄人は本当の日本を、大大和と呼ぶ》というときの本当の日本=大大和も、沖縄人の意識の中でのみイメージされ、人々が希求してやまぬ彼方の楽土という意味において理解されるべきであり、それも決して現実の日本国自体をさしているのではないと考えるべきであると思う。

 この分析は的を射ていると思う。「祖国」というとき、それは実体のそれというより、「楽土の謂」として機能していたのだ。

 どうしてそうなるのか。新川は、「一つの世直し的な世界観」としてある「ニライ・カナイへの渇仰」という「伝統意識」があるからだと言う。ぼくは、これを「まれびとコンプレックス」として捉えている。他者の過剰視だ。ただ、新川の言う「伝統意識」では、「ニライ・カナイへの渇仰」をする側は、貧しさの意味に傾いているようにみえるが、ぼくは、無償で自分の身体を提供する乳児にとっての母と同じもので、むしろ恵まれた者の視点だと思っている。

 しかし、復帰後は「楽土」としてイメージできなくなる。「大大和」に幻滅するにつれ、「薩摩(薩摩人)をふくめて日本(日本人)総体が、悪しき代表者=抑圧者を指す言葉であるヤマトゥ(ヤマトゥンチュ)に包括されるようになるのである」。

 違和感の方も書いておく。沖縄人の「ウチナーンチュ」という自己規定についても、新川は書いている。

 沖縄人がみずから表現するとき「ウチナーンチュ」といい、沖縄人以外の日本人を呼ぶのに「ヤマトゥンチュ」または「ヤマトゥー」と規定する。
 相手の「ヤマトゥンチュ」が、九州の男であるのか、東北の女であるのか、あるいは北海道からやってきた人であるのか、そういうことはここでは一切問題にならない。あるいは、相手が会社の社長であるおんか、労働組合の活動家であるのか、学生であるのか、政治家であるのか、牧師であるのかも問題ではない。つまり、その出身地や社会的身分、職業や性別などにかかわりなく、日本(本土)の人間はおしなべて「ヤマトゥンチュ」であり、その人々が住む国土は「ヤマトゥ」である。そして沖縄に住む私たちは、あくまで「ウチナーンチュ」である。

 明快な自己規定として流してもいいのだが、冒頭のこの部分で、ぼくはもう違和感が立ちあがってくる。「沖縄人以外の日本人を呼ぶのに「ヤマトゥンチュ」または「ヤマトゥー」と規定する」という言葉のあとに、「九州の男であるのか、東北の女であるのか」という流れになったところで、そういういっしょくたの見なしを相対化するのかと思いきや、「そういうことはここでは一切問題にならない」と不問が強調されていた。その照り返しとして、「沖縄に住む私たちは、あくまで「ウチナーンチュ」である」と強調されている。

 思い出した。ここで感じる違和感は、かつて新川明の書いた詩に対する違和感と似ている。

 「日本が見える」

 与論島
 よろんじま!
 そこは/日本の最南端
 〈祖国〉のしっぽ
 日本の貧しさが
 集約されて
 ただよう島。

 こう書かれた「与論人」は、「日本」の象徴であるかのように、見なされること、「日本の貧しさが/集約されて/ ただよう島」と書かれたことに激しく戸惑う。

 もうひとつ躓いた箇所がある。

 私の友人で東京に二十年前後住んでいる沖縄人のひとりが、ある集会で沖縄問題を話すことを求められてこれを辞退した。その理由をきくと、「わたしはいま、半沖縄人になっているので激動する沖縄の現状を正しく報告する人間として不適任だと考える」ということだった。その言葉をきいたとき、私は一瞬絶句してその人の沖縄人としての気持の深さと沖縄に寄せる愛惜の思いの大きさに打たれたものである。なぜかといえば、その人がみずから東京に二十年も住む沖縄人であるといい、沖縄人としての主体と責任において揺れ動く沖縄の現状報告をするのに不適任だと自戒することで、沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさがそこに示されているからである。

 要するに話者は遠慮したわけである。東京に二十年前後も住んでいる。動きの激しい沖縄のこともつまびらかにできない。そこで、「不適任」と自覚したわけだ。「集会」というからきっと激しい言説をが望まれている空気も察しただろう。よくわかる対し方だ。けれど、どうしてそれが、「沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさ」の現われなのだろう。

 ぼくは、話者が東京に二十年前後住み、沖縄の現状を的確に知っているわけではないが、思うところは、と言って、話し始めることと、「不適任」と自覚して何もしゃべらないことは等価だと思う。仮に話者がそうしていたら、新川の評価はどうなっただろうか。そこにも、「沖縄人であることを守ろうとする意思のはげしさ」を見るだろうか。きっと、そうはしないのだろう。

 ここには、他者の過剰視と同じものがあるのではなだろうか。言ってみればそれは、自身に対する過剰視だ。沖縄人の「ウチナーンチュ」という自己規定の強さは、ぼくも「与論人」に置き換えればよく分かる。それが、特異な強度を持つことも。けれど、それは「強さ」であって、過剰視するものではない。新川は、「幻像としての<日本>」の過剰視に自覚的ではあっても、「幻像としての<沖縄>」への過剰視には自覚的ではないのではなだろうか。それが、「沖縄人」という自己規定の単色さとなっているのではないだろうか。

 ここにないのは、九州人には九州人のなかでも、東北人には東北人のなかでも違いあるという視点だ。もっといえば、誰だって人間としては同じだという視点が感じられない。

 ぼくは四十年も前だろう文章をくさしたいわけではない。「究極においていかなる政治権力がこれを握ろうと、国家の存立それ自体を否定するものでなければならないはずのものであった」と書く新川が、現在、琉球独立論を割と手放し(に見える)賛同する、その理由を掴みたく思っているものだ。


『反国家の兇区―沖縄・自立への視点』

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2015/10/24

「〈反国家の兇区〉としての沖縄」(新川明)

 新川明の「〈反国家の兇区〉としての沖縄」(1971年)。

 だから、少なくとも私が、「反復帰」という時の「復帰」とは、分断されている日本と沖縄が領土的、制度的に再統合するという外的な現象を指しているのではなく、それはいわば、沖縄人がみずからすすんで〈国家〉の方へと身をのめり込ませてゆく、内発的な思想の営為をさす。その意味で「反復帰」とは、すなわち個の位相で〈国家〉への合一化を、あくまで拒否しつづける精神志向と言いかえて差しつかえはない。さらに言葉をかえていえば、反復帰すなわち反国家であり、反国民志向である。非国民として自己を位置づけてやまないみずからの内に向けたマニフェストである。

 かつてこう書いた新川明は、それではなぜ、琉球民族独立総合研究学会の発起人に名を連ねたのだろう。そういう疑問が生れる。他のものにも当たる必要がありそうだ。

 


『反国家の兇区―沖縄・自立への視点』

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2015/10/23

『沖縄・自立と共生の思想―「未来の縄文」へ架ける橋―』

 川満信一の『沖縄・自立と共生の思想―「未来の縄文」へ架ける橋―』(1987年)から、表題の講演と独立論に関する文章を読んだ。

 個別の中身は、よく分からないところもあるけれど、川満の視点はよく共感できるという印象だった。

 「共生」とは、

ミクロ的には生物心理学的な深層まで視野をおろし、マクロ的には地球または宇宙まで視野を広げ、相互扶助に行為の価値基準を設定すること、それによって歴史的に歪みを拡大してきた自己の人間性の根源的な変革を進める。

 最近、相互扶助には、他人とのそれもあるけれど、自分の内臓、たとえば腸やそこにいる細菌との相互扶助もあるんだなと思っている。その観点からいえば、川満の言い回しの宗教的なまといを払って受け取ることができる。「相互扶助」の他には、自由と平等を付け加えたい。

 独立論が起こる背景にはふたつある。ひとつは、

すでに独自の神話や社稷をもっている地域の小共同体が、他の同様の小共同体との間に、民族形成のアイデンティティーを持つ必要に迫られたときである。

 これが面白いのは、「神話や伝説も国づくり、つまり独立論の系譜に入るとみなければならない」という視点を導くところだ。けれど、言ってみれば、島は世界であり宇宙ということからすれば、すでに独立していたとも言えるし、神話や伝説をみれば、独立の志向はそもそも持っていないと言える。

 ふたつ目の背景は、

かつて一定規模の民族を統一し、国家を形成していたのに、なんらかの理由で国家の主権を失い、または他国ないしは他民族から制圧されて、その支配下に従属させられている状態である。

 ここで川満は、「くさて(腰当て)」という言葉を使う。依存のことだと思えばいい。

わが痛苦の「くさて独立論」は、国際情勢の変化であっけなく肩すかしを喰い、よろめきながら幕を下ろす破目になった。

 どうしてそうなるのか。

これまでの独立論が“くさて”発想を脱し得なかった歴史的根拠は、アジア的な制度の典型である中国と琉球の付庸関係に淵源するのではないか(後略)。

 これはそうではなく、もっと古い淵源を持つ。母なる珊瑚礁の純粋贈与という自然との関係が培ったのが、「くさて」だ。だから、中国との付庸関係にしても、その現われと言えるものだ。

 そこを掘り出すことは、「いまだ敗北を知らなかった琉球民衆の原意識を蘇生させること」に他ならない。

 「ミクロのシマ宇宙へ、琉球弧の人々の原意識が解放されたときに、独立論ははじめて現実化してくるのだ(後略)」というのは、その通りだと思う。

近代国家のミニサイズを琉球でつくるだけのことに、どうして思想的にも、生活闘争のうえでも情熱がかけられよう。

 これも、いいアジテーションだ。


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2015/10/22

『モモトVol.24 (琉球・沖縄の死生観)』

 琉球・沖縄の時代と世代をつなぐワンテーマ・マガジン、「モモト」の24号のテーマは、「琉球・沖縄の死生観」。ここに、「珊瑚の島の死生観」と題した文章を寄せました。

 文字を持たなかった時代の「琉球弧の精神史」に取り組んでいるので、ぼくには琉球弧の死生観というテーマはぴったりでした。また、母の他界の直後に執筆の時期が来ましたので、そういう意味では母の追悼文のように書けたのも幸せなことです。

 そのうえ、巻頭グラビアの7ページにわたって書かせてもらうという光栄。写真は、石垣島の仲程長治さんに依るもので、これがまた素晴らしすぎて、ぼくの文字がせっかくの写真を台無しにしていないかと冷や冷やします。仲程さんの写真と言えば、朝日新聞に連載している「琉球グラデーション」を見れば、その美しさに見惚れてしまうでしょう。

 グラビアは全部、仲程さんが写した与論島。しかも与論島は、巻末の「琉球百景」でも取り上げられています。よく見知った島なのに、まったく新しい表情が浮かび上がって新鮮。与論ってやっぱり、何もない島というわけでないなと、改めて思わされた次第です。

 「珊瑚の島の死生観」以外にも、「あの世とこの世の琉球史」として、墓や厨子、位牌、消えた喪の習俗、予兆などのコンテンツがあり、死生観に多面的にアプローチできます。

 モモトは、沖縄でなら、コンビニでも手にすることができますが、本土では大型書店にはあるかも、です。手にする機会のある方は、ぜひ見て、読んでください。

 

『モモトVol.24 (琉球・沖縄の死生観)』

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2015/10/21

『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』(若林正丈)

 「躊躇」という言葉に親近感を抱いて読んだが、まるで違って、台湾は実に堂々とした歩みをしてきたのだと思った。ここに言う「躊躇」とは独立と言い切ることに対するものだ。

 これを読んで感じたのは、日本が琉球を併合するときに、国内問題のように仮象せずに、国家として遇していれば、もう少しすっきりしたやりとりができてきたのではないかということだった。

 アイデンティティということでいえば、「台湾民衆のナショナル・アイデンティティ」に関する調査結果が載っている(1992-2000)。

 A:もし中国との間に経済社会政治などの条件に差がなくなれば、中国と統一すべし
 B:もし台湾が独立しても平和が保てるなら台湾が独立すべし

 1.台湾ナショナリスト(A:反対、B:賛成)

 9.3%(1992)-24.0%(2000)

 2.プラグマチスト(A:賛成、B:賛成)

 25.0%(1992)-34.4%(2000)

 3.中国ナショナリスト(A:賛成、B:反対)

 38.0%(1992)-19.3%(2000)

 現在はどうなっているか分からないけれど、経緯は分かりにくいところはない現実的な態度だと思う。


 ところで、台湾海峡危機は、尖閣諸島問題についても示唆を与えてくれるように見えた。

 1949年、アメリカ政府・軍当局はもはや経済的・外交的手段では台湾は守れないとの見通しで一致。1950年、トルーマンは台湾海峡不介入を声明。国務長官は西太平洋防衛ラインに台湾、韓国は除外すると発言。しかし一方、マッカーサーは台湾は「不沈の空母」であり、敵対勢力の手に落ちたときの脅威を強調。

 朝鮮戦争勃発。トルーマンは台湾海峡不干渉方針を破棄、第七艦隊の台湾海峡出動を命令。同時に国民党に対しては、「大陸反攻」行動の停止を要求。アメリカは国府援助を再開。平時においても敵対勢力の下に置くべきではない地域として、台湾を戦略的に位置づける。

 1953年、アイゼンハワーは台湾海峡の中立化を解除。蒋介石は沿岸島嶼に正規軍を配備。1954年、共産党軍は、一江山島、大陳島を占領。米中は対決ムードを高めるが抑制は働いていた。たとえば、第七艦隊の国府軍大陳列島撤退視線作戦中、一切攻撃を控えていた。結果、SEATO(東南アジア防衛条約機構)は、国府(台湾)抜きとなったが、アメリカと国府は、1954年、米華相互防衛条約を調印。

 1958年、共産党軍は金門島に砲火を浴びせる。合計4,277,200発と言われる。国府軍は降伏を勧告される。そこで、アメリカがふたたび介入。しかし今回も抑制的で、第七艦隊に出動命令が下るが、金門島補給護衛が任務。中国に対し、台湾地域における相互の武力行使放棄に関する米中の話したいを提案。

 だいぶ端折った経緯だけれど、少なくとも分かるのは、米国は当たり前だが、国益によって態度を正反対のものに変えることがありうる、しかも頻繁に。もうひとつは、ことが起こってから、あるいはダメージを受けた上で、自らは動くということ。これにしっかり対応してきたのは、台湾にしっかりした意思があったからだろう。

 この本が出版されたのは、2001年。もちろんだが、ひまわり学生運動は含まれていない。


『台湾―変容し躊躇するアイデンティティ』



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2015/10/20

土器口縁部の文様(伊藤慎二)

 カラーで掲載されたものが美しいので、そこから入っていこう。

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 これは勝連半島の先端、平敷屋(へしきや)のトウバル遺跡から出土した線刻石版だ。長さは87cm。伊藤慎二によれば、頭部付近の文様は、「土器の文様と口縁部突起の形態を写したことは明白である」。

 「縄文土器の口縁部突起は、世界の他の先史土器文化と区別する重要な個性」だが、「石版が製作された前Ⅳ期前半(約3500年前-引用者)は、その最初頭の南九州縄文時代後期の市来式土器文化との交流を契機に、貝塚時代でもっとも土器口縁部突起が発達した時期である」。

つまり石板は、同時代の土器口縁部と文様を意識しただけでなく、縄文文化的観念を誇張表現した可能性もうかがわせる。(「平敷屋トウバル遺跡の線刻石板をめぐる謎」(「縄文の力」(別冊太陽 2013)。

 石板頭部と土器口縁部との比較は、下図に整理されている。

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 伊藤は、石版頭部と土器口縁部の文様類似を指摘する前、これに先立ち、蝶形製品と土器口縁部の文様の類似も指摘していた。

蝶形製品の特に上縁部の形態に着目すると、左右対称の波状に角ばった突起部分が連なることが特徴的である。これは、前Ⅳ期の器物と比較すると、明らかに土器の口縁部に酷似する特徴である。(「琉球貝塚文化における社会的・宗教的象徴性」2012)。

 この類似から伊藤が考えているのは、蝶形製品の文様の祖形は土器口縁部の文様であるということだ。

蝶形製品もこの時期に、土器口縁部突起とその直下の口縁部文様帯の意匠を祖形に創出されたものである可能性が極めて高い(同前掲)。

 伊藤によれば、平敷屋の石板の文様も蝶形製品の文様も、その祖形は土器口縁部の文様にあるということになる。しかし、土器口縁部の意匠が多様に変化するのが、周辺の先史文化と異なる「日本の縄文文化の最大の特色の一つ」なのだが、「その意匠を他の器物に転用した例は北琉球以外では未確認である」。これは、「土器口縁部の山形突起意匠に、貝塚文化独自の新たな特別な意味づけを与えて象徴化したことに由来する」。

このような山形突起意匠の貝塚文化における土器から独立した独自の象徴化が、蝶形・獣形製品の多様な発達を促しただけでなく、国内の他地域に比べて極端に遅い貝塚時代後期後半(日本古代併行期)のフェンサ下層土器にまで口縁部山形突起を出現させる要因になったことが推測される。

 伊藤は、土器口縁部の文様に格別な意味を認めている。もちろん、ぼくにはこの文様の意味するところは分からない。ただ、特定の自然物(動物や精霊)を現わしているのではなく、自然の抽象の域を脱していないこと、左右対称であることが分かるくらいだ。ここで、先史島人は、その霊力思考を発揮して、土器口縁部の文様を石板や蝶形製品に転移したのは確からしく思える。

 こう考える伊藤ならでは、ではないだろうか、蝶形製品にしても、これは蝶ではない可能性もあるとも言う。

問題は形の意味です。なぜこのような形のものを作ったのか。確かに蝶にも似ていますが、それだけではないかもしれません。私が思ったのは土器の形や文様の付け方の仕組みと似通っている部分があるのではないかということです。(「先史琉球の土器と社会に関する研究」「季刊沖縄46号」2014)

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(島袋春美「いわゆる「蝶形骨器」について」「南島考古11」1991)

 しかし、ぼくたちの眼にはこれはやっぱり蝶に見える。というか、蝶に似ている。

 蝶形製品については、照屋沙弥香が、「孔(あな)」に注目して考察している。「「真横に孔が通っている」こと自体が重要なのではないか」。

真横に紐を通すことより身体などに密着する形で装飾でき、多少の胴さでも蝶形製品が不安定になることはない。そのため、蝶形製品はたとえば大きな身体的動作を伴う儀礼などの場面に用いられた可能性も考えられる。(「孔からみた蝶形製品の分類と変遷」「南島考古32」2013)。

 とても示唆的な指摘だと思う。ここからは想像の域を出ない仮説だが、蝶形製品を身体に密着させた姿は蝶への化身を思わせる。伊藤慎二は、蝶・獣形製品が、「同時代の遺物の中でも格段に入念に製作された製品である」とも指摘している。多くの研究者が指摘するように、単なる装飾品ではなく、儀礼に関わるものだ。

 素材にもこだわりがあり、多くはジュゴンの下顎骨が使われている。彩色は赤。琉球弧で「赤」といえば、常見純一にならえば、「死」を意味している(「青の島は、間を置いた島」)。ただし、貝塚前期に現代的な意味での「死」は存在しないから、蝶形製品の「赤」は「死」を意味するのではなく、ドリームタイム(あるいは「世」)の表象を指すとしてみる。

 すると、蝶型製品を身にまとうということは、トーテムと一体化して「蝶-人間」という祖先像を出現させることを意味したのではないかという考えに導かれる。土器口縁部の左右対称な自然の抽象という文様には、霊力思考の強い働きが認められる。その左右対称な抽象化された自然を意味する文様は、蝶を象る製品のなかにも転移された。あるいは、蝶として形態化された。このとき、石板や土器口縁部にも現れる三角形を蝶形製品は継承することになる。それはやがて、霊魂観念が発生すると、霊魂の形態として引き継がれてゆき、背守りの形態に定着する。

 こう考えると、ぼくたちは「背守り」の祖形を、「蝶型製品」に見ていることになる。

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2015/10/19

『「空気」の研究』(山本七平)

 1977年に単行本化されているから、もう38年経つわけだ。でも、ぼくたちは「空気」から自由になっているわけではない。

 山本七平は、こういうことを言っていると思う。

 日本人が何かを決定し、行動に移すときの原則は、その場の「空気」である。その空気が醸成される原理原則は、対象があたかもそこにあるかのような臨在的把握である。その臨在的把握の原則は、対象への一方的な感情移入による自己と対象との一体化であり、そこでは対象の分析は拒否される。

 対象は絶対的である場合、回心も起こる。たとえば、戦後は、黒板の「大和魂」を「民主主義」に書き換えただけであり、その当人に何らかの変化が起こったわけではない。ただ、当事者は、臨在的把握の一方的充足を求めてていたに過ぎない。

 この秩序を維持しようとすれば、すべての集団は「劇場の如き閉鎖性」を持たねばならず、全日本をこの秩序でおおうつもりなら鎖国とならざるをえない。この体制が徹底的に排除するのは「自由」と「個人」。しかし、「空気」を相対化するには、個人の自由な思考に寄るほかない。

 ただ、日本人が保持しようと努めてきた自由もあった。それは、「水」を差す自由だ。しかし、この「水」もまた現実、生きている通常性の別名だから、「空気」醸成の基であることが見逃されやすい。

 以上で記して来たように、「空気」も「水」も、情況論理と情況倫理の日本的世界で生れてきたわれわれの精神生活の「糧」と言えるのである。空気と水、これは実にすばらしい表現と言わねばならない。というのは、空気と水なしに人間が生活できないように「空気」と「水」なしには、われわれの精神は生きて行くことができないからである。
 その証拠に戦争直後、「自由」について語った多くの人の言葉は結局「いつでも水が差せる自由」を行使しうる「空気」を醸成することに専念しているからである。そしてその「空気」にも「水」が差せることは忘れているという点で、結局は空気と水しかないからである。

 最後のところ、「いつでも水が差せる自由」を行使しうる「空気」を醸成することに専念」という箇所は、思い当たることも多い。大抵、そういうキャラクターづくりに専念しているように見える。

 ぼくはここで言う「空気」の醸成を、「わたし」と「わたしたち」を同一視する傾向と呼んでおこう。ぼくたちの探究の流れからいえば、霊力思考の残存形態のひとつだ。


『「空気」の研究』

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2015/10/18

『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか』(ロナルド・ドーア)

 NPT(核不拡散条約)は、戦争が起きる確率をむしろ高める効果が大きい。かつ、NPTに脈はない段階まできている。この機能不全を前に、こう考えられなければならない。

戦争のない世界への道のりは-ウェストファリア条約、ウィーン憲章、国際連盟の形成、国連の形成-個別国家が主権の一部を、平和という公共財のために、犠牲にすることを意味した。NPTもその例に漏れず、新体制として考えられる代用制度は、ある面で主権を緩め、同時に他の面で、もう一歩、今まで考えられなかった主権の犠牲を要求する。

 こうしてロナルド・ドーアが、素人の夢想と受け取られることは承知で提示したのは、NPTの逆張りともいうべき、核の傘の普遍化だった。(cf.「『戦後入門』(加藤典洋)」)。

 この提案が単なる夢想にならないためには、雰囲気が重要だ。そのひとつは、

 日本のある外交官が、「普天間の問題は、爆撃機が町の真ん中に墜落してくれなければ解決しないだろう」と言ったそうだが、同じように、どこかでならず者国家が核兵器を一発使って初めて、一九六〇年代のような条件がまた揃う-ということなのかもしれない。

 これは冗談ではない。冗談ではないが、ドーアは、

その時に備えて、現実的に機能しそうで、大国にも小国にもアピールするような代替案はいかに可能なのか、今から議論することは無意味ではないと思う。

 と続けている。そう、こういった議論が必要だと思う。

多くの日本の防衛専門家を不眠症患者にしている原因は、北朝鮮ではなく、果たして中国からの攻撃に対しても米国の核の傘が確証されているかどうか、いま確証されているとしても、ミサイル防衛のバランスが中国有利に変わった場合、依然として大丈夫なのか-ということである。

 こういう不安に対するためにも。

 この本は、2012年に出版されたものだ。

 
『日本の転機―米中の狭間でどう生き残るか』


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2015/10/17

『パクス・デモクラティア―冷戦後世界への原理』(ブルース・ラセット)

 ブルース・ラセットは、1946年から1986年の歴史をもとに、二国間の戦争行動について、整理している。軸jは、両国とも民主的である場合と、少なくとも一方が非民主的である場合だ。

紛争がエスカレートする確率

1.両国とも民主的である場合

 武力行使の威嚇まで
 0.05%

 武力の誇示まで
 85.7%

 武力の行使まで
 57.1%

 戦争まで
 0.0%

2.少なくとも一方が非民主的である場合

 武力行使の威嚇まで
 0.16%

 武力の誇示まで
 94.4%

 武力の行使まで
 77.9%

 戦争まで
 4.6%

 ご覧の通り、民主的国家同士は、戦争をすることはほぼない。しかし、「民主的国家は、他の種類の政治体制との関係においては必ずしも平和的ではない」。

 ラセットが挙げている数値をもとにすると、紛争が発生した比率は、

1.両国とも民主的である場合

 0.36%

2.少なくとも一方が非民主的である場合

 2.78%

 となる。


 ラセットは、民主制と平和との相関を確かめるために、三つの仮説を検証している。

 一 対象となる一組の国家(二個群 dyad)の双方が民主的であればあるほど、その両国間で武力紛争が起こる可能性は低く、仮に起きたとしても、その紛争がエスカレートする可能性も低い。このような効果は、国家の富、経済成長、隣接性、同盟あるいは、能力の相対的規模といった国家の持つ属性とかかわりなく起こる。

 二 両国それぞれの国内政治過程に、民主的な規範がより深く根づいていればいるほど、紛争が起こる、あるいはエスカレートする可能性は低い(規範/文化的モデル)。

 三 両国における制度的制約が強ければ強いほど、紛争が起こる、あるいはエスカレートする可能性は低い(構造/制度的モデル)。

 美味しいところだけつまみ食いすることになるが、検証の結果は、「一般的な民主制の効果に関する仮説一と、民主主義の規範の効果に関する仮説二を強く支持し、制度的制約に関する仮説三に関しては、より弱い支持が示されている」、ということだ。

 著者の主張で、最も重要だと思えるのは次の箇所だ。

アメリカとその同盟諸国は、完全に旧体制を打ち負かした。民主的政府を強固なものにするために、連合国は、(不完全であったにせよ)旧エリートを権力の座から追うのに大きな努力を払った。しかし、敗戦国には、過去の民主制の経験に由来する、人間的また制度的形態の内に、民主制を建設する基礎となるものがあって、連合国はそれを利用することができた。「やつらと戦え、打ち負かせ、そしてやつらを民主化しろ」というモデルは、現在の行動の基礎としては、如何ともし難い欠陥がある。それは、恐らく、全くうまくいかないだろうし、それが必要とするような種類の努力を行なおうとする者はない。民主制のための十字軍は、適切ではない。

 民主的な国家同士は戦争をしない。だからといって、そうではない国家に民主制を強制してもうまくいかないし、そうすべきではない、ということだ。                           

 

『パクス・デモクラティア―冷戦後世界への原理』(1996)

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2015/10/16

『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな!』(惠隆之介)

 「左翼」、「工作」を禁句にして文章を書き起こせば、もう少しリアリティが増すのではないかと思う。基地反対と言えば、それだけで左翼と見なすような筆致では、一個人として辺野古に行ったことがあるぼくなどもきょとんとしてしまうし、「左翼大学教授を発起人として「琉球民族独立総合研究学会」が設立された」などと書かれると、発起人は琉球ナショナリズムを唱えているという半畳も入れたくなる。

 「左翼」の「工作」が色濃く打ち出されているので、読むうちに次第に書かれていることが噂か事実かが分からなくなってくる。それは彼が本来、主張したいことにも反映されてしまう。たとえば、「現在でも観光客に扮して中国軍情報部の部員が沖縄をたびたび調査している」などの指摘が、ゴシップに見えてきてしまうのだ。惠隆之介は、噂を食い物にするある種のジャーナリストなのだろうか。そう思ってプロフィールを見ると、大学の先生もしているので、そうではないことが分かる。しかし、これでは惠が主張している沖縄の抱えるリスクを島人に共有してもらうのに大きな障害になってしまうだろう。

 惠の視点はどこにあるのだろう。そう思って読み進めると、辺野古基地の問題について、

 私に言わせれば、この問題の解決は実に単純なのである。特別措置法を制定し、辺野古沿岸海面の埋め立て権限を県知事の掌中かた総理に移転することだ。同時に、反対派勢力による妨害活動を辺野古沿岸に適用される日米安保条約地位協定をもって警察力で排除すること、または逮捕することである。

 と露骨な国家主義者の顔を覗かせている。また、天皇が、アメリカによる沖縄への長期軍事占領を希望した、いわゆる天皇メッセージについても、

 このように、沖縄をとりまく環境は天皇が心配されたように、米軍の存在がなければかなり流動的なものとなっていたことであろう。

 と、ぼくには驚きの評価をしている。また終章のタイトルなど、「沖縄をどう統治するか」という為政者視点丸出しである。

 しかし、書名は、「沖縄よ!甘えるな」とあるから、この本は支配層に対してではなく、直接的には沖縄の島人に向けて書いているのだろう。だが、惠には島人が見えなくなっているのではないだろうか。

 たとえば、「キャンプ・シュワブと住民の交流は家族のように親密である」と書かれると、積極的に交流することで米兵が問題を起こさないようにしている島人の努力を消してしまうことになる。

 恵の島人評でもっとも唖然としたのは、

 沖縄県民の特性は、理念闘争に終始して物事の本質を見失う欠点がある。なにより、演繹的思考に乏しい。これは亜熱帯の気候に主因がある。沖縄には本格的な冬がない。冬場の平均気温でさえ、例年、十九・八度で、真冬でも最高気温が二十五度を超えることがよくある。

 これはまるで、未開社会を訪れた無知な旅人の書いたルポルタージュだ。この本の帯には、

私が沖縄出身者だから敢えて言う!沖縄県民は、今こそ被害者意識・甘えから転換せよ!

 と訴えているが、これでは島人は聞く耳を持たなくなってしまうのではないだろうか。ただ、先の記述の節題には、「沖縄県民の特性を理解せよ」とあるから、すでにここでは、統治論へと彼の視座は移っているようだ。

 残念な気持ちで読み進めると、最後にもっとも驚くことがあった。

 わが国政府は沖縄の動向を慎重に分析するとともに、将来、予測される有事に備えて対処プランを策定しておくべきである。
 中国の戦略は日米分断であり、沖縄問題がそのテコになるのだ。沖縄は島嶼県であり、有事の際には本土からの救援は航空機、または船舶に頼るしかないが、港湾、空港が中国に制圧されたら沖縄救援は困難となろう。

 この手前に、有事がどういう道筋で発生するのか、そういうシミュレーションを知りたいと思うところ、続けて、

 最も想定されるシナリオは、多数の中国人(特殊部隊を含む)が観光、見学を理由に沖縄県庁や県議会を訪問中、突然、蜂起して知事室や県議会を制圧し、知事以下、関係者を監禁または脅迫して「独立宣言」を行なわせることである。沖縄が独立宣言すれば日米安保条約は適用されず、米国は新たに沖縄共和国と基地協定を締結する必要が生じるのである。

 のけぞってしまった。これは漫画である。いや、漫画家もこのシナリオでは描かないのではないだろうか。ぼくは惠を貶めたいわけではないが、驚かないわけにいかない。これはリアリティがあるのだろうか。そうだとしたら、なるほどと思える説明を聞きたいと思う。
 

『新・沖縄ノート 沖縄よ、甘えるな!』


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2015/10/15

「集団的自衛権の行使容認が日本を平和にする根拠」で分からなかったこと

 高橋洋一の「集団的自衛権の行使容認が日本を平和にする根拠」(2015.9.24)は説得的だった。説得的というのは、「集団的自衛権の行使容認」こついてというより、このエッセイがブルース・ラセットとジョン・オニールが"Triangulating Peace" で示した実証に基づいている点だ。

 同書では、1886年から1992年までの膨大な戦争データについて、リアリズムとリベラリズムのすべての要素を取り入れて実証分析がなされている。すると、リアリズムの軍事力も、かつて哲学者カントが主張していた「カントの三角形」(民主主義、経済的依存関係、国際的組織加入によって平和になる)も、すべて戦争のリスクを減らすためには重要であるという結論だった。もちろんドイルのいう民主的平和論も含まれている。

 カントの平和論を見る限り(cf.『永遠の平和のために』エマヌエル・カント)、カント自身が三角形を主張したというより、カントの平和論から抽出された三角形と言うべきなのだろうが、この実証の意味は大きいと思う。

 "Triangulating Peace" の結論については、津守滋が図を引きながら、

Triangle

カントが定立したこのテーゼを吟味し、徹底して実証研究の対象にして、第一次大戦前から現在に至る数多くの武力紛争や戦争の原因の究明を試みたのが、B.ラセットらである。同教授らはその結果をまとめた著作 Triangulating Peace で、「カントの三角形」のチャートを分析の出発点に置き(上記図表参照)、民主主義、経済的相互依存関係、国際機関それぞれが、およびこれら三者間の相互作用が、平和と戦争の問題に如何に作用するかを、膨大な統計を駆使して解明しようとしている。その作業の結果基本的に実証された、「民主主義国家どうしは、まれにしか戦争しない」という democratic peace の理論は、「あまねく(universally)認められているわけではないにしても、一般的には(generally)承認されている」とする。

 と概説しているものでも確かめられる(「イマヌエル・カントの政治哲学の現代的意義 : 『永遠平和のために』を中心に」2009)。

 議論に戻ると、そのうえで高橋は、

軍事力については、(1)同盟関係を持つこと、(2)相対的な軍事力、カントの三角形については、(3)民主主義の程度、(4)経済的依存関係、(5)国際的組織加入という具体的なもので置き換えられ、それぞれ、戦争を起こすリスクに関係があるとされたのだ。これが、国際平和の5条件だ(下の図参照)。

 として、この5つの要素をもとに「国際平和ペンタゴン」の図解をしている。分からないのはここからで、上の概説を見る限り、"Triangulating Peace" は、「カントの三角形」を主軸に展開しているので、このペンタゴンがラセットとオニールが立てたものか、高橋がアレンジしたものなかが、はっきりしなかった。

 高橋は続けて、

 具体的に言えば、きちんとした同盟関係を結ぶことで40%、相対的な軍事力が一定割合(標準偏差分、以下同じ)増すことで36%、民主主義の程度が一定割合増すことで33%、経済的依存関係が一定割合増加することで43%、国際的組織加入が一定割合増加することで24%、それぞれ戦争のリスクを減少させるという(同書171ページ)。

 と具体的な数値やページ数も挙げているので、同書に展開されている内容だとは分かるが、「同盟関係」と「軍事力」を、ラセットとオニールはどういう文脈(たとえば、補足とか、強化、とか現実化)に位置づけて議論しているのだろうか。カントは、『永遠の平和のために』の第三条項で、「常備軍は、時とともに全廃されなければならない」としているので、「軍事力」の条件はそこから見れば後退だ。そのことに対する著者たちの言及を知りたくなる。"Triangulating Peace" は翻訳されないだろうか。原書を取り寄せるしかないか。

 高橋は、“Triangulating Peace”について、「国際政治・関係論の中にあって、すべての考え方を統一的にとらえた最終理論のようにも思える」として、

(1)同盟関係については、対外的には抑止力を持つので侵略される可能性が低くなるとともに、対内的にはそもそも同盟関係になれば同盟国同士では戦争しなくなるから、戦争のリスクを減らす。

 と書いている。これも理解できるが、それでは、その同盟関係の相手が、戦争という手段に訴えてでも民主主義を強制する国家であった場合、「集団的自衛権」により「戦争のリスク」はどれだけ高まるだろうか、という疑問が残る。あるいは問いはもう少し先で、アメリカが世界の警察を止めようとしていることが、どう作用するのかと考えるべきかもしれない。


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2015/10/14

『永遠平和のために』(エマヌエル・カント)

 カントの「永遠平和のために」について章と条項と、詳細のなかで書き留めておきたい箇所を引用してみる。背筋の伸びる本だ。


 第一章
 この章は、国家間の永遠平和のための予備条項を含む

 第一条項
 将来の戦争の種をひそかに保留して締結された平和条約は、決して平和条約とみなされてはならない

 第二条項
 独立しているいかなる国家(小国であろうと、大国であろうと、この場合問題ではない)も、継承、交換、買収、または贈与によって、ほかの国家がこれを取得できるということがあってはならない。

 第三条項
 常備軍(miles perpetnus)は、時とともに全廃されなければならない。

なぜなら、常備軍はいつでも武装して出撃する準備を整えていることによって、ほかの諸国をたえず戦争の脅威にさらしているからである。常備軍が刺戟となって、たがいに無際限な軍備の拡大を競うようになると、それに費やされる軍事費の増大で、ついには平和の方が短期の戦争よりもいっそう重荷となり、この重荷を逃れるために、常備軍そのものが先制攻撃の原因となるのである。

 第四条項
 国家の対外紛争にかんしては、いかなる国債も発行されてはならない。

 第五条項
 いかなる国家も、ほかの国家の体制や統治に、暴力をもって干渉してはならない。

 第六条項
 いかなる国家も、他国との戦争において、将来の平和時における相互間の信頼を不可能にしてしまうような行為をしてはならない。たとえば、暗殺者(percussores)や毒殺者(venefici)を雇ったり、降伏条約を破ったり、敵国内での裏切り(perduelio)をそそのかしたりすることが、これに当たる。

 第二章
 この章は、国家間の永遠平和のための確定条項を含む

 第一確定条項
 各国間における市民的体制は、共和的でなければならない。

第一に、社会の成員が(人間として)自由であるという原理、第二に、すべての成員が唯一で共同の立法に(臣民として)従属するということの諸原則、第三に、すべての成員が(国民として)平等であるという法則、この三つに基づいて設立された体制

 第二確定条項
 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。

国家としてまとまっている民族は、個々の人間と同じように判断されてよい。つまり諸民族は、その自然状態においては(つまり外的法則に拘束されていない場合は)、隣りあっているだけですでに互いに害しあっているのであり、そこで各民族は自分たちの安全のために、それぞれの権利が保障される場として、市民的体制と類似した体制に一緒に入ることを他に対しても要求でき、また要求すべきなのである。これは国際連合と言えるが、しかしそれは当然諸民族合一国家ではないであろう。
(前略)理性は道徳的に立法する最高権力の座から、係争解決の手続きとしての戦争を断固として処罰し、これに対して平和の状態を直接の義務とする(後略)

 第三確定条項
 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。

人間はもともとだれひとりとして、地上のある場所にいることについて、他人よりも多くの権利を所有しているわけではない。
(前略)遠く離れた諸大陸も互いに平和な関係を結び、この関係はついには公けで法的なものとなり、こうして人類を結局は世界市民的体制へと次第に近づけることができるのである。

 第一補説
 永遠平和の保証について

商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力(手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるものではないが)高貴な平和を促進するように強いられ、また世界のどこででも践祚が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦争を防止するように強いられている、と考えるのである。


 「常備軍は廃止されなかればならない」という第三条項は、憲法九条と同期しているとも言えるし、第三確定条項の「世界市民法」はまだまだ未来的だ。カントの提言から国際連盟、国際連合の設立までは一世紀を要している。ということは、一世紀ものあいだ、本書は孤独だったわけだ。


 
『永遠平和のために』

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2015/10/13

「お通しの思想」(折口信夫)

 折口信夫は、「琉球の宗教」のなかで、「お通しの思想」について書いている。

二 遥拝所――おとほし

 琉球の神道の根本の観念は、遥拝と言ふところにある。至上人の居る楽土を遥拝する思想が、人に移り香炉に移つて、今も行はれて居る。
 御嶽拝所(オタケヲガン)は其出発点に於て、やはり遥拝の思想から出てゐる事が考へられる。海岸或は、島の村々では、其村から離れた海上の小島をば、神の居る処として遥拝する。最有名なのは、島尻シマジリに於ける久高島、国頭に於ける今帰仁のおとほしであるが、此類は、数へきれない程ある。私は此形が、おとほしの最古いものであらうと考へる。

 多くの御嶽は、其意味で、天に対する遥拝所であつた。天に楽土を考へる事が第二次である事は「楽土」の条クダりで述べよう。人をおとほしするのには、今一つの別の原因が含まれて居る様である。古代に於ける遊離神霊の附著を信じた習慣が一転して、ある人格を透して神霊を拝すると言ふ考へを生んだ様である。近代に於て、巫女を拝する琉球の風習は、神々のものと考へたからでもなく、巫女に附著した神霊を拝むものでもなく、巫女を媒介として神を観じて居るものゝやうである。

 琉球神道に於て、香炉が利用せられたのは、何時からの事かは知られない。けれども、香炉を以て神の存在を示すものと考へ出してからは、元来あつたおとほしの信仰が、自在に行はれる様になつた。女の旅行者或は、他国に移住する者は、必香炉を分けて携へて行く。而も、其香炉自体を拝むのでなく、香炉を通じて、郷家の神を遥拝するものと考へる事だけは、今に於ても明らかである。また、旅行者の為に香炉を据ゑて、其香炉を距てゝ、其人の霊魂を拝む事すらある。だから、村全体として、其移住以前の本郷の神を拝む為の御嶽拝所を造る事も、不思議ではない。例へば、寄百姓で成立つて居る八重山の島では、小浜島から来た宮良の村の中に、小浜おほんと称する、御嶽オタケ類似の拝所をおとほしとして居り、白保の村の中では、その本貫波照間島を遥拝する為に、波照間おほんを造つて居る。更に近くは、四箇しかの内に移住して来た与那国島の出稼人は、小さな与那国おほんを設けて居る。

 此様におとほしの思想が、様々な信仰様式を生み出したと共に、在来の他の信仰と結合して、別種の様式を作り出して居る所もあるが、畢竟、次に言はうとする楽土を近い海上の島とした所から出て、信仰組織が大きくなり、神の性格が向上すると共に、天を遥拝する為の御嶽拝所オタケヲガンさへも出来て来たのである。だから、御嶽オタケは、遥拝所であると同時に、神の降臨地と言ふ姿を採る様になつたのである。

 折口が、「お通し」として考えているのは、次の四つだ。

 1.集落から離れた海上の小島を神のいるところとして遥拝すること。
 2.巫女を媒介にして神を見ること。
 3.香炉を通じて神の存在を示すこと。
 4.移住以前の神を拝むための御嶽を持つこと。

 「お通し」とは、神を遥拝あるいは招請する場であり、その行為だ。

 折口は、「集落から離れた海上の小島を神のいるところとして遥拝すること」を、「おとほしの最古いものであらう」としている。

 そうだとしたら、「お通しの思想」は、生と死の分離による、他界の遠隔化が要請したものだが、「巫女を媒介にして神を見ること」も「お通し」だとしたら、そうとも言えなくなる。むしろ、「お通し」は、「霊力の転移」の表現のひとつと見なせばいいのではないか。

 「お通し」を、「この世」を「あの世」をつなぐことと言い直せば、それは洞窟に象徴される境界モチーフの展開のひとつだ。そしてここには、単につなぐというだけはなく、「霊力の転移」の機能が備わっている。

 琉球弧の精神史では、境界とは分け隔てるものでありながら、隔たれたものをつなぐ、霊力の転移の場であるとも捉えられている。


 

 

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2015/10/12

『沖縄彫刻都市』

 言われてみれば、琉球弧はコンクリートの島々だ。

琉球弧はほとんどが石灰岩の島で、見方によっては島そのものが天然のコンクリ―トなのだ。

 この見立てはとてもいいと思う。

 「花ブロック」と呼ばれる穴の空いたコンクリートブロックは、コンクリートブロック以上に沖縄の景観を特徴付けているかもしれない。元来、花ブロックも、アメリカ軍が基地建設のために沖縄に持ち込んだもので、プライバシーの保護と日除け、通風のために採用した、台風で飛ばされないスクリーンだった。(中略)沖縄の民間建築で使われている花ブロックは、中国建築の透かし窓のように見える。中国庭園などのイメージが、古くから沖縄に定着してたからだろう。バルコニーに庇、階段、窓に取り付けられ、花ブロックが建物の外周をひだのように繰り返し取り巻いている様子は、アメリカから来たモダニズムなのに、どことなく縄文土器のようだ。その姿は、アボリジニやケルトが内部視覚によって描いた幻覚模様にも通じるところがある。

 この本からの引用ではないけれど、たとえば名護市庁舎も花ブロックのひとつだ。

 Nagosiyakusyo

 「花ブロック」は、琉球弧の境界モチーフの展開と見ることもできる。アメリカ軍由来であろうと、中国建築の影響が認められようと、日除けや通風、台風の防禦の機能とは別に、ここには、洞窟にシンボライズされる「穴」のモチーフが流れている。

 それは、生者と死者の空間を分けた、洞窟の穴を発生の起点として、「太陽が穴」や、グスクのアーチ門としての展開されてきた境界のモチーフなのだ。そのモチーフが「花ブロック」にも底流している。そうではないだろうか。花ブロックは、琉球弧の精神史の現代の表現型なのだと思う。


『沖縄彫刻都市』


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2015/10/11

『ひとりのひとを哀しむならば』

 大澤恒保の『ひとりのひとを哀しむならば』を一気に読んだ。心が鎮まる、良薬のような作品だった。少なくともぼくには。

 よしもとばななの心のこもったあとがきもいい。

本来、自分がきつい作業をして書いたもの、深い深いところまで行って取ってきてくれた海の底の貝のような美しいものを。人にまで読ませて伝えてあげたい、というのがものを書く人々の無償の、人類に対するある種の愛情だとすると、この本の中にはそれがたくさん入っている。

 そして、「お世辞ではなくて、誰もがこれを読んだ後では、人生が少し違うと思う」と続けている。

 ほんとうにそうだと思った。


『ひとりのひとを哀しむならば』

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2015/10/10

『新・台湾の主張』(李登輝)

 地政学的には中国に呑み込まれるリスクが高いと言われる台湾が、そのことに対して、どう思い、どう対しようとしているのかを知りたくて、『新・台湾の主張』を読んだ。李登輝元・総統によれば、それを望む台湾人はほどとんどいない。

 それは、李登輝の考えにもはっきり現れている。

 総統時代の1990年に発表した「国家統一綱領」。

 「統一の条件」は、

 一 中国の政治が民主化されたとき
 一 中国が自由経済になったとき
 一 中国が公平な社会になったとき

 また、こうも言う。

存在すること-これこそが台湾の外交である。存在しているからこそ、そこに希望がある。台湾の民主化も経済的発展も、まず台湾が存在することが大事なのである。
私は今まで一度たりとも「台湾独立」を主張したことはない。前述のとおり台湾はすでに実質的に独立しているのだから、ことさら国際社会に摩擦を起こすような発言をする必要はなく、むしろ台湾が台湾として「存在」することが重要だと考えているからである。

 民族的な問題に対しては、「新台湾人」というコンセプトを打ち出した。これは、「省籍や族群、出身地の違いを乗り越えた」アイデンティティと言っていいのだろう。

 ここで李は書いている。

 歴史上、中国に領有されたことのない台湾は、中国の大中華民族主義に抵抗するため、新たなる民族論を用意しなければならないのか? 答えは「ノー」である。民主主義は世界の潮流となり、台湾は民主改革を経て民主国家に仲間入りしている今日、「民族国家」への理念に戻らなければならない理由は何もない。台湾の民主化の過程における「静かなる革命」は、かつての脱・植民地化のための「台湾民族主義」の論法に勝るとも劣らない。簡単にいえば、台湾国民の共同体意識は民族でなく、民主にもとづいたものでなければならない。

 台湾と琉球・沖縄の立ち位置は異なるが、琉球独立論を考えるうえでも、ぼくは「民族」より「民主」という旗印に共感を覚える。

 何度でも強調するが、過去に台湾の地に来た到着順をもって、台湾人か否かの判別基準とすべきではない。「族群」の人口規模も関係ない。こうした論法は、いまの台湾国民を「偶然の集合体」とみなすものにすぎない。
 全台湾人にとって、台湾はすでに「異国」から「故郷」に変わったのである。新しい時代の台湾人は見捨てられた漂流意識を捨てなければならない。

 この辺り、ぼくたちにもヒントがある。

 「台湾は日本の生命線である」。にもかかわらず、日中国交回復をはじめ、冷遇されてきたのには不満がある。「台湾人による日本への思いは、長いあいだ「片思い」にすぎなかったのかもしれない」。

 何か、こういうところも、変数の違いだけで、どこか共有するところが多い気がする。

 ここで、対中国の話に戻ると、

 中国が軍備増強を進めるいちばんの目的は、台湾の統一併合にある。もし日米が中国に配慮し、台湾を中国の領土と認めるようなポーズをとれば、そのぶん中国は安心して増長する。これはとても危険なことだ。台湾が中国の侵略を受けた場合、いちばん打撃を受けるのは日本である。台湾海峡には一日に四〇〇隻の船が通っている。日本はシーレーン(海上交通路)を中国に押さえられてしまい、喉元を締め付けられるように屈服を余儀なくされる。そして台湾の次は尖閣、琉球(沖縄)、朝鮮半島と、一歩ずつ日本に迫ってくることだろう。

 そう判断するから、「日本の集団的自衛権の行使を歓迎する」と言うことになる。


 日本の政治家からは感じることのなくなった真っ直ぐな意思が伝わってくる。民衆に直接語りかける姿勢も、マルクスにも言及できる視野も風通しがいい。それよりまず、エピグラフに村上春樹の『ノルウェイの森』が引用されているのには驚いた。李さんの勧める映画『KANO』も観たくなった。

 ◇◆◇

 で、早速、『KANO』を観た。なんというか、まっすぐな青春映画にして、まっすぐな友情映画。琉球・沖縄は、日本に対してこういう友情作品を作ることはできるだろうか、とふと思った。こういう作品をつくる共同性と重力場が台湾にはある。位相は違えど、琉球・沖縄にもまだあるだろう。日本にはない。いやけれど、日本にも重力場はあるのではないだろうか。それが露わになってきている、というか。

 あ、映画のエンディングは中孝介も歌ってた。

 

『新・台湾の主張』


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2015/10/09

『戦後入門』(加藤典洋)

 「国連中心主義」といえば小沢一郎を思い出すが、加藤の言う国連中心主義は、小沢のそれとは異なる。加藤は、「惜しむらくは」として、

ほかに例を見ない「平和立憲国家」の実現をではなく、単に軍事力と交戦権をもつ「普通の国」になることを訴えたのにすぎませんでした。

 小沢の言う国連は、「米国が自分の都合で使い回しする国際組織のままにとどまり、その主張も、「日米を基軸に平和維持」を行なうという提案にとどまっていた」と指摘している。

 加藤の言う国連中心主義は、「各国の交戦権は、すべて国連に「移譲」され、以後、国家の権利としては、行使されなくなる」という絵を元に言っているので、必然的に国連改革を含むものになる。それは、加藤の掲げる九条の強化案に集約されている。

 九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 二、以上の決意を明確にするため、以下のごとく宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は、その一部を後項に定める別組織として分離し、残りの全戦力は、これを国際連合待機軍として、国連の平和維持活動及び国連憲章第四七条による国連の直接指揮下における平和回復活動への参加以外には、発動しない。国の交戦権は、これを国連に移譲する。

 三、前項で分離した軍隊組織を、国土防衛隊に編成し直し、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛の用にあてる。ただしこの国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる。平時は高度な専門性を備えた災害救助隊として、広く国内外の災害救援にあたるものとする。

 四、今後、わさわれ日本国民は、どのような様態のものであっても、核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず、使用しない。

 五、前四項の目的を達するため、今後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可しない。

 なぜ、国連中心主義なのか。それを加藤は、「それは当初から、その理念を「実行」しようとすれば、.国連と一対となるほかない双生児的な構想だった」こと、その理想の輝きから引き出してきている。戦争放棄を指示したマッカーサーには同時進行していた国連創設の動きが念頭にあった。

 1.すべての国は今後、武力の使用の放棄に到達しなければならない。
 2.そのために一層広範かつ恒久的な一般的安全保障制度が確立されなければならない。
 3.そこに国家の交戦権も移譲される。

 ここからみると、憲法9条の「交戦権の放棄」とは、「交戦権の剥奪(懲罰)であるとともに、前倒し的な交戦権の国際連合のような世界政府的存在への委譲(モラル・リーダーシップ)でもある」。つづめれば、交戦権の放棄とは、「懲罰」かつ「前倒し」、ということだ。

 そして、「いまや世界を動かしつつある崇高な理想(「マッカーサー・ノート」)」の背景には「原爆」があった。

 原爆は、無条件降伏と東京裁判を、いわば戦勝国の原爆使用による「劣化」の補いのために必要とさせる一方、国連と憲法九条を、その投下後の「覚醒」のただなかから、もたらすのです。

 しかし、「崇高な理想」や「覚醒」は、冷戦の始まりによってあっけなく挫け、「国連と憲法九条」は、「日米安保条約と拳法九条」に取って代わられてしまう。

 また、第二次世界大戦は、「大西洋憲章」という国益を越えた理念の実現のために闘う戦争であると編成されていった。そのため敗戦は、「不可逆的なイデオロギー転換」を伴うものになる。そこで、現状の「対米従属」からの独立(自立)を考えることは、植民地が宗主国に対して行うものとは違ってくる。そこには、

自己回復を実現するためには「米国」の後退を求めねばならず、安全保障のためにはその現存を求めなければならない」(江藤淳「戦後文学の破産」)

 あるいは、

 対米従属をはねのけようとすると、「ごく自然な心の流れにそって民族的感情に寄り添おうとすると、それではけっして戦後の国際社会には受け入れられないという黄信号が心のなかに点滅」し、また「その感情と、いまの自分のなかにある戦後の民主原則の感覚とが」「敵対関係におかれなければ、この独立要求の理由の正当性は作り出せない」と感じる、そういう二律背反、ねじれを抱えこむことになる。

 このねじれを解く、断ち切るには、

民主原則と正義と自由という国際秩序を基礎づける価値観に立ち、そこからこの無条件降伏政策、言論統制をはじめとする占領政策、また国際軍事裁判などへの批判、原爆投下への批判を行い、抵抗するという道が、唯一、私たちに可能で、また、私たちを国際社会から囲い込もうというこの方策の基本姿勢に抵抗するうえで有効な方法なのです。

 細やかな文脈を荒削りで引用してしまっているが、こうした視点から導き出されたのが、加藤の「憲法九条の理念の実現の回路を見出す」、「国連中心主義」だ。

 条文に戻ると、ぼくは、第三項の「国土防衛隊は、国民の自衛権の発動であることから、治安出動を禁じられる」というくだりが、最も胸のすく思いがした。シモーヌ・ヴェイユは、戦争は、他国の労働者を使って自国の労働者を殺させることと喝破したが、その前に、ダグラス・ラミスがどこかで書いていたように、軍隊は他国の国民より自国の国民を殺害する数の方が多い、という暴力装置の予防になる。

 第四項に見られるように、核武装は考えられていない。しかし、核抑止が伴わないということではない。加藤は、ここで、もうNPT(核拡散防止条約)には脈がないとするロナルド・ドーアの新核国際管理の提案(『日本の転機』)を引く形で、第四項を導いてる。

 その提案には、とても驚かされる。

 一、NPTでは核保有国、非核保有国が固定されているが、新システムでは署名国は自由に二つの資格、核保有国(Nuclear Powera[NP])と被保護国(Protected Powers[PP])のいずれかを選ぶことができる。
 二、NP(核保有国)は核兵器を所有するとともに、少なくともPP(被保護国)三ヵ国に対し「核の傘」をさしのべる。つまり「報復の確実性」を提供する用意があり、その実行能力がなければならない。
 三、PP(被保護国)は、後に述べるようなさまざまな理由からPPたることを選ぶ国からなるが、あらゆるPPが少なくとも三ヵ国のNP(核保有国)と「代行確証復讐条約」を結ぶ。三ヵ国のうち、一国は従来、軍事的な同盟関係のないNPから選ばなければならない。

 ポイントは、すべての国が核保有国と非核国の選択が自由に行なえることで、そのことにより、「従来型の核保有国の戦略的優位性が際立って減衰してしまう」ことだ。日本は、NPTの脱退とともにこれを国際社会に提案する。憲法九条に非核条項を持つ。

そこで日本は、これらの積極的な国際社会への関与を背景に、米国に対して、戦後はじめてとなる原爆投下に対する抗議と、謝罪要求を行なうのがよいというのが、私の考えです。

 この加藤の考えは、先の「ねじれ」解きの方法から真っ直ぐにやってくるものだ。

 第五項については、矢部宏治の提案を受けたもので、ぼくたちも以前、通過してきたので(『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』)、細部に違いはあるけれど、ここでは省くことにする。

 加藤は、この条文はもっと鍛え上げられなければならないとしながらも、「日米同盟からこの国連中心主義への転換の提案を、対米自立をかちとるための起死回生の唯一の方途」としている。

 これが理想だな、というか、理想とはこういうものだなと納得させられるのだが、浄土に行けるのに浮かないのはなぜ、と親鸞に尋ねた唯円のような心持ちになってしまう。なぜだろう、とあれこれ考えてみるが、これが理想だとして、あまりに遠く感じてしまうからかもしれない。

 しかし、考えてみれば加藤は、この提案は、自分にしては珍しく状況にコミットしたものだと言っている。つまり、現政権ではダメだという時、どういう選択肢ならあり得るのか、という問いを立てているのだ。そうすると、ぼくのうかなさは、少し焦点が絞れてきて、中国が軍事力を増強させていった場合、取れるから取るとでもいうような、ならず者的ナショナリズムの行為に対して、台湾や琉球・沖縄はどう対していけばいいのかということに、道筋が見えないことからやってくるように思える。

 もちろん、ここには外国軍の基地を置かないことを憲法に盛り込むという、沖縄の基地問題に対する解決策も挙げられており、励まされるのだが、このことひとつ取ってみても、米国の撤退は中国の招来というような、身も蓋もない現実感で思考が止まってしまう。その近未来のリスクの可能性をどう考えていけばよいのか。

 また、国連の信頼性はどう担保されるのか。この条文では国家と国家間の関係のみが考察されているが、現在は、解体を念頭に入れざるを得ない民族国家と民族国家、そして民族国家を造成する諸勢力のせめぎ合いが問題になっており、そこに照準を当てる必要があるのではないか。などなど、疑問というより、考えるべきことが次々にやってくる。

 しかしまずは、戦後の意味を、できる限り深く掘り下げてくれたおかげで、考える足場を持つことができる、そのことに感謝しよう。

 


『戦後入門』


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2015/10/08

ニウエの神話

 今年5月、日本は南太平洋のニウエを国家承認した。

政府は、15日の閣議で、南太平洋にある人口およそ1500人の島でニュージーランドの自治領としてきたニウエを、新たに、国家として承認することを決めました。(NHK)

 1500人といえば、与論島より少ない。認識を深めたいので、神話を挙げてみる。

 昔、人間はカニのように脱皮して不死の生命を持っていた。しかしある男が娘と結婚してしまうという近親相姦を犯してしまった。父の名前はティキ・マトゥアであり、娘はティキ・タマであった。これに近親相姦タブーの名称ティキが由来する。この後人は不死の生命を失い、行いを恥じた娘は次のように歌った。
 父のティキと娘は、近親相姦を犯し、
 月が死ぬときは、目覚めるために死ぬのだ。
 月は再び目覚めるために死ぬ。
 しかしネズミが死ぬと、永遠に死んだままだ。(『南島の神話』

 カニが脱皮するように人間も脱皮して不死だった。しかし、近親相姦を犯したために、人間は死ぬことになった。ネズミのように。

 この神話は、親子婚が禁止され、世代という概念を手に入れることと、死の概念を得ることが同じであることを示しているのだと思う。


『南島の神話』

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2015/10/07

『共生生命体の30億年』

 19世紀までは、ヨーロッパもそうだったのか、という話。

 ヨーロッパでは長いあいだ、生命は浮きかすや泥のなかから自然に発生すると考えられていた。腐敗した肉からウジが生まれ、古いぼろきれからネズミが発生すると思われていたのだ。しかし綿密な観察や実験の結果、その間に起きていることがあきらかにされた。いまでは、どんなに複雑な汚物からもウジが生まれることはないとわかっている。ウジはハエが産んだ受精卵から生まれるのだ。しかしルイ・パストゥール以前の人たちは、悪臭のする肉のなかでうごめているウジを見て、腐敗物そのものから生命が生まれると考えていた。(『共生生命体の30億年』

 腐敗物とウジ、ぼろきれとネズミに同質のものが流れているとみなすのは霊力思考で、その近さから、前者から後者が生まれるという仕組みを考えるのは霊魂思考だ。ニューギニアのタミ族では、死体からウジが出終ると、「短い霊魂」はあの世へ行ったと考えられていると報告されたのは、1911年(G.Balmer)だから、ヨーロッパ人が、そうではないという知識を得るまでは、タミ族とそんなに違いはない。

 もちろん、この本の著者、リン・マーギュリスが言いたいのは、そういうことではなく、「共生(symbiosis)」のことだ。「共生」とは、「異なる種に属する生物どうしが物理的に接触して生活するシステム」のこと。

 とても印象的なのは、単細胞プロトクチスト(原生生物)の共食いが不成功に終わった結果、性と呼ばれる停戦が生じたという例だった。「性」が「食」のメタファーで語られることが、生物的な根拠を持っていることを示しているように見える。性は、弱い共食いだ。

 共生発生は月のように生命の潮流を起こし、生命体を海の深みから乾いた陸地へ、そして空中へと引き上げた。陸上の水のネットワークである菌類や植物の内部の生きている水が、マクメナミンの言うハイパーシーである。もし人間が惑星間空間を長く旅するとしたら、『スタートレック』のような機械ばかりの無味乾燥なものにはならないはずだ。地球の生物仲間から人間を解放する無菌の機械操作の光景は、ただ味気なく退屈であるというだけでなく、ぞっとさせる。人類がどんなに自分たちばかりに夢中になっていようとも、生命ははるかに幅広いシステムなのである。生命とは、私たちが体の外(と内)に存在する何百万、何千万という生物種との間で物質やエネルギーを交換している信じられないほど複雑な相互依存のシステムなのだ。これら地球の仲間は私たちの親戚であり、私たちの祖先であり、私たちの一部である。

 これは、霊力思考の科学的な言い換えのように聞こえてくる。マーギュリスは、生物を「細菌」、「プロトクチスト」、「菌類」、「植物」、「動物」に分類し、それを五界と呼んでいる。「プロトクチスト」や「細菌」のレベルまでいけば、そこでは霊力思考は、「未開」ではなくなる。細菌としての自己、プロトクチストとしての自己、内臓としての自己、等々。それに耳を澄ます方法を見つけたいという気になってくる。


『共生生命体の30億年』

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2015/10/06

「アジア性研究・母界論2」(青木正次)

 青木正次の議論が示唆的だ。

 母性の自己表出と表現のカラクリは、みずからを食わせるところにある。自然一般に「食う」のをこととする獣が、逆に自分を食わせるという転倒した自己表出によって、みずからを「食物」という観念物に化すのである。世界神話のタームではそれを「食って吐く」といっている。未開の自己表出性である〔食生〕のことで、それが意図的であるとなればすぐに母性という性的な観念に転化する。(「アジア性研究・母界論2」)。

 成人儀礼や秘密結社の加入儀礼で、しばしば「人食いに食われる」という象徴的な死が組み込まれる理由が、頷けてくる。あれはたしかに人類の経験を組み込んだものなのだ。

 一方で、「食う食われる」という関係は狩猟に属する。植物採集の場合、それは「食べ物が与えられる」という関係になるはずだ。これは人間の成長史でいえば、乳児期に該当する。

 こんな母性の産養する自己表出性を語る者、語り手という主体的な自己は、乳幼児の位置に想定されている。子が語る母性の物語である。(中略)もちろん成人すべき王たる神話の主人公スサノヲの位置から、この乳幼児民話を、自己生成の物語として取りこめば、産養する母性の意味は転倒される。母性が子に食を与えるような、原始共同体の自己表現の自然過程は、反対に「穢汚して奉る」侮辱行為のように転倒されて、青年男子に想起される。そのように『古事記』は表現した。母性食与えも、母子別れも自然過程なのに、彼は王への違反表現とみなすので、これを「殺す」という処罰で応ずるのである。自然な表現が、違反行為として罰せられる、というところに、前代の共同性を語る今の共同性の支配的な姿勢がみてとれる。(同前掲)

 青木によれば、これはオオゲツヒメが殺害される本質的な理由に当たっている。

 これは同時に、「性的な媒介による自己」の発生を語ることになる。性と食はここで交錯する。マリンド・アニム族において、男子結社員たちによる女神との性交、殺害、食人が同時に行われる理由もこの辺にありそうだ。

 ・男子結社員たちによる女神との性交 性的な媒介による自己の発生
 ・殺害、食人 食わせることによる母性神の発生
 ・上記ふたつ 性は食の植物的メタファー

 cf.「ハイヌウェレ神話とマヨ祭儀」

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2015/10/05

『豊穣と不死の神話』

 吉田敦彦は、あとがきで書いている。

 人類は言うまでもなく、いつの時代どこの場所においても常に、一方で食糧をはじめ生活に必要な物資を、有り余るほど手に入れて豊かな暮らしをしたいと願うと同時にまた、死が人間に不可避の運命であることを知りながらそれでもなお、不老と不死を心の底から希求せずにはいられぬ、胸情を押さえ切ることができずに、これらの二重の願望を、さまざまな神話および儀礼によって表明してきた。(中略)一方で豊穣と、他方で不老不死とを希求する神話および儀礼の伝統は、わが国でも今もなお語り続けられてきた伝承や、各地で行われている祭りとか民俗の中にも、根強く受け継がれている。(『豊穣と不死の神話』

 これは、人類の思考に遡行しきれていないのではないだろうか。「死が人間に不可避の運命であることを知りながらそれでもなお、不老と不死を心の底から希求せずには」いられないのではなく、かつて「不老不死」だったときへの希求を押さえ切れない、のではないだろうか。

 もちろん、人類は「いつの時代どこの場所においても常に」、物理的に「不老不死」であったことはないが、「不老不死」としか認識しない自己意識の段階はあった。だから、希求の中身は、「不老不死」に向けられるなかに、「不老不死」の時への希求が潜んでいる。現在の、科学的な「不老不死」への希求は、万人にとって希求だろうか? むしろ、「不老不死」の時への希求の方が切実ではないだろうか。そしてそちらのほうが人類にとっての課題だと思える。

 また、この本からは、日本では、死体化生に属するものが、スサノオとオオゲツヒメ以外には報告されていないという見解しかぼくは知らなかったが、そうではなく、「山姥」の昔話に豊富に見出せることを教えられた。


『豊穣と不死の神話』


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2015/10/04

親子婚の禁止と死

 後藤明は、メラネシアの脱皮型の死の起源神話は、近親相姦のタブーに触れている、という。

 たとえばソロモン諸島のガダルカナル島の例もそうである。昔、人間と蛇は脱皮することで永遠の若さを保っていた。あるとき、女が子供をお婆さんに預けて仕事に出た。老婆は子供と遊んでいたが、子供が眠ると水浴びに行った。彼女は古い皮を脱ぎ、それを川の岸の木に掛け、若返って家に帰ってきたのだ。子供は彼女を見たとき、お婆さんだと気づかず泣いた。困り果てた老婆は川に戻り、古い皮を身につけた。彼女は孫に行った。「これより先、人間は老いねばならない」と。(『「物言う魚」たち』

 これは、メラネシアでは、親子婚を禁止することが、死の認識をもたらしたと語っているのだと思う。つまり、そこで「世代」の概念を手にしたことが、死の認識につながっている。


『「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話』

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2015/10/03

「家を去る」から「家を去らない」まで

 「「キャンプ地を去る」から「家を去らない」まで」の仮説モデルは修正する必要がありそうだ。

 1.定着1(移行/共存)
 ・死者を家のなかに台上葬で葬り、家族は集落内で家を去る。

 2.定着2(移行/区別)
 ・死者を喪屋で台上葬で葬り、家族は喪屋で殯を行った後、家に戻る。

 3.定着3(分離)
 ・死者を葬地に台上葬で葬り、喪屋を建てない。家族は葬地に通い殯を行う。また、家族は集落内でいっとき家を去って、戻る。


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 柳田國男は二十世紀に入ってから、久高島について、「死人を大に忌み、死すれば家をすつ。埋葬なし。棺を外におき、親族知己集飲す」(『南島旅行見聞記』)とメモしている。

 これは、「家を去る」習俗を残したケースが琉球弧でありえたことを示している。「家を去る」習俗を残したということは、久高島では、「喪屋」は発生しなかったことを意味している。だから、上記の仮説モデルは、「喪屋」を発生させた場合の道筋を示したものだ。久高島では、喪屋への霊力の転移という思考を生んでいない。「死人を大に忌み」というところには、霊魂思考の強度が見られる。それは「死穢」となって表出されているのだ。

 上記の仮説モデルでは、共存、区別、分離の各段階に、「喪屋」の発生と消滅を対応させることになる。

 死者との共存に矛盾の意識が芽生えると、区別の段階に入る。「喪屋」を発生させたところでは、家は生者の家であるという意識として表出される。

 分離の段階に入ると、家は生者の家であることが自明視され、「別火」の習俗を残すのみになる。これは、地上の世界は、生者と神の世界であることに対応する。

 ところが、久高島は母系の神事を長く遺した島でもある。比嘉康雄は、「子供は親(祖先)の生まれ変わりであるから、子供の誕生は命がつづいていくあらわれなのである」(『日本人の魂の原郷』と、久高島の信仰について書いている。久高島が特徴的なのは、一方で、生と死の分離の思考の表現が強いかと思えば、移行と円環の思考もこうして貌を出すことだ。

 久高島の例を例外としないとすれば、上記の仮説モデルも喪屋を発生させた場合の道筋として限定する必要がある。


『南島旅行見聞記』


『日本人の魂の原郷 沖縄久高島』


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2015/10/02

『学術書を書く』

 学術書を書くわけではないけれど、察するに読まれないという危機感に立って書かれたものだろうと思い、そこをどう克服しようとしているのかに関心があって、『学術書を書く』を手に取った。学術書ライティングのマーケティング化という印象だ。

 ここにある危機感は、かつては、「Publish or Perish(出版(発表)か、死か)」というフレーズが、研究成果を発表しない研究者への批判として使われてきたが、読まれなくなることで、「Publish and Perish(出版しても救われない)」時代になったということだ。だから、マーケティング化と言っても、今の本によく感じるような誇大広告化を目指したものではない。もっと実直なものだ。

 そもそも学術書は、読まれにくく書かれていると思ってきたが、それは偏見だったようだ。少なくとも70年代までは、本は越境性が意識されていたから、「何のために」「誰に向けて」書くかが強く意識されていた。「教養」も死語ではなかった。しかし、オンライン化の時代には、

読者を基底する物質的要因が消失してしまったために、読者を問題にするという強い意識が働きにくくなってしまった。極端にいえば、学術的な内容を発信する側が、それを受容する人々を意識しないですむようになってきているのではないでしょうか。

 と、最近のトレンドだと位置づけられている。

 そこで、著者が考える本にふさわしい学術書は、

 総じていえば、狭義の専門書であれば、「パラダイム志向的(越境性が意識されている-引用者注)」、また概説書でいえばある程度大部で体系的なもの、入門書でいえば「歯ごたえのある」、現場の困難が伝わるような挑戦的な内容のものが、今日、本にするに相応しいと筆者は考えているのです。

 以下、自分の関心にひっかかったことを引いていく。

 なぜ○○を研究するのか、○○について論じるのか、という序章(序文)を、本書では「宣言的序文」と呼ぶ。「著者の思いを、想定した読者の関心のありように応じて丁寧に示すことは、読まれる学術書にとって最も重要な要素です」。これは、昔から「書き出し10行、10頁」と言われてきた。

 「思い切った議論を提示するという姿勢」。

本全体の議論の行き先を思い切った高みに置いてしまう大胆さ、これまでの研究史や通説を乗り越える(乗り越えうる)、あるいは不明であった点を説明する(説明しうる)といった、文字通り「パラダイム志向的」な議論は成功する本に共通しているといってよいでしょう。

 「気弱な記述」を避ける。

 可読性を下げる要因となるのが、「~と思われる」「~と推測される」「~と考えられる」といった表現の多用。文章のリズムと相まって読者には気になる。読者は、「著者の思いきった議論を待っている」。できるだけ、「だ」「である」と言い切るか、せいぜい、「~といえる」「~といえよう」、時に、「~といえるのではないか」という問いの形式。

あえていえば、「二回り外、三回り外」の学問領域になにがしかのインパクトを持っていると自ら信じることの宣言です。あえていえば、そうした宣言ができない研究は、本にする必要はありません。

 本のタイトルや見出しを決めることは、「まず旗を立てること」。

 成功するタイトルに共通するのは、手に取る者に「何これ?」と思わせる魅力」。

本の内容を「説明している」のではない、「ここが面白い」「一言でいえばこれだ」と宣言しつつも、読んでみないと分からない、と読者の疑問や興味を誘っているところが、ポイントでしょうか。

 「索引」は、読者に本全体のメッセージを示すツールにもなり得る。「読者が索引を眺めたとき、その本の扱うテーマと議論の概略がイメージできるような、また実際に索引を引いたとき、読者に、意味のない索引指示であると感じさせないような工夫」。「定義や概念についての解説がまとまって述べられている部分に限って頁数を掲載」。


 学術界はどう克服しようとしているのかという問題意識で読み始めたが、次第に書き手としての関心事に移っていってしまった。また、筆者たちは、wordで入稿すれば、瞬時に上がると思うのは大間違い、というWeb業界にも通じる誤解を解くことも忘れていない。

 


鈴木哲也、高瀬桃子『学術書を書く』

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2015/10/01

『第3次世界大戦の罠』(山内昌之、佐藤優)

 グローバリズムの広がりというポスト・モダン、米、ロ、中、独の帝国主義的傾向はモダン、イスラーム国(IS)などの動きはプレモダンのように見える。この、錯綜した複雑な状況には、「地政学」という補助線を入れると、整合的に見えてくる。というのが、佐藤優による本書のオリエン。それを開陳している山内昌之の指摘を抜粋していく。

・イラク、シリア、イエメンで繰り広げられているアラブ世界の分裂と戦争の二側面。

 1.「国民国家」の枠組みで競合する各派間の内戦。
 2.中東地域という次元での代理戦争。それは、サウジアラビアとイランとの地域的競合の深化と関連。両国の競合は、宗派(スンナ対シーア)、民族(アラブ対ペルシア)という綾によって目立つ。

・補足。

 1.中東でのパワーシフト。アラブとイスラエルの問題が二義的になってきた。代わって、クルド民族の自決権と独立国家宣言が現実味を帯びてきた。イラク戦争の結果、KRG(クルド地域政府)が北イラクに成立。「国家を持たない最大の少数民族の国民国家」の形成。

 2.スンナ派とシーア派の紛争の深刻化。

 3.「アラブの春」の挫折による国内対立の深刻化。「内戦のなかに内戦が入れ子となる厄介な二重戦争、多重戦争が進行する複雑さは中東とくにアラブの世界以外には見られない」。

 イラクは、クルド、スンナ、シーアに分解しつつある。イラクとシリアの国境の無効化。サイクス・ピコ協定の終焉。

 結局、現在の構図は、スンナ派対イスラーム武装組織ISと、シーア派の重要な拠点国家イランのすぐれた実戦経験と新鋭装備を持つ革命防衛隊との対立として単純化できることになります。

 また、イランが戦術核を持てば、パキスタンの核がサウジアラビアに渡る可能性がある。それは、場合によっては、他の湾岸諸国でも核をシェアする状況が実質的に起こる危険性を喚起する。トルコも同様。中東の核拡散減少の危惧が高まる。NPT(核拡散防止条約)体制が機能しなくなる。「それが中東にまつわる世界最大の悪夢」。

 グローバルな次元でいえば、地政学とエネルギー安全保障における最大の脅威は、ほぼすべての国と人びとにとってイスラーム国(IS)になることは間違いない。

 中国について。

 本当に中華帝国の歴史でもいまの中華人民共和国は、特異な国だと思います。中国共産党というマルクス主義を曲りなりにも存立の根拠としている集団がマックス・ウェーバーの警告した「カジノ資本主義」以上の腐敗と特権を享受する資本家や投資家の集まりになっているのですから。

 東シナ海をめぐる係争が収まるには、地政学と戦略論でいえば、中国が内陸に抱えている問題との相関が大きい。新疆ウイグルで緊張が生じると、ロシアや日本との友好や中立を図らなくてはならない構造にある。

 中国からみると、第一列島線は、「逆・万里の長城」にみえる。中国が外に出て行くためには、そのライン上でどこがいちばん強く、どこが弱いかを見極めていかなければならない。もし、台湾が中国の手に落ちるとなると、第一列島線は根幹から崩れてしまい、中国の西太平洋への進出や制覇が始まることになる。

 そこで、

 中国海軍の古典的な軍拡思想を相手にせず、日本は単独で艦隊を増強する必要はないのです。安保諸法をきちんと完備して集団的自衛権を発動できるようにしておけばよいのです。いざ鎌倉という場合を考えるということですね。アメリカ、インド、日本、そしてオーストラリアを含めて、全体として中国に対してパリティ(等価性)、あるいは少しばかりの優位性を維持していればよいのです。

 となる。

 琉球にも言及がある。

 「本土の日本人の大きな誤りの一つは、王族への対応の違いもあると思います」。日韓併合のときに、日本は李王朝の李家を王族として遇して皇族化したが、尚王朝は、一介の侯爵にしかなれなかった。

 この先は、佐藤の認識も交えて二人の対談をそのまま引いてみる。

佐藤 その後の明治政府、つまり中央政府が沖縄に関して起こした最大の問題は、沖縄に高等教育機関をつくらなかったことです。台北にも帝大があり、当時の京城には帝大があるにもかかわらず、沖縄には高校すらなかった。

山内 旧制高校がない。それから高等医専や高等工業もないのですね。わずかに県師範学校が1943年にようやく官立(国立)沖縄師範学校になっただけなのです。

佐藤 そうです。ただ、もうそのときには実際の高等教育をやってはいないですからね。アメリカはそこのところをよく見ていて、「民事ハンドブック」という占領マニュアルをつくっているんです。そのなかで、教育差別が激しいという指摘があり、逆に戦後になってからはミシガン州立大学が中心になって琉球大学をつくったわけです。

山内 高等教育機関に関しては、帝国大学ではないにしても、秋田高等鉱山学校や函館高等水産学校のように、地域振興だけでなく、全国に沖縄ありとアピールできる高等専門学校は欲しかったですね。このあたりの戦前の文教政策はひどいですね。

佐藤 そう思います。

山内 「沖縄」と称するけれども、沖縄の本島と八重山と奄美諸島ではまた状況が違ってきます。

佐藤 また、先島(宮古、八重山)と奄美に対する沖縄本島の人々の認識にもだいぶ違いがあります。先島は沖縄の枠に入りますが、奄美は別のカテゴリーです。

山内 この島々の間にある、ある種の差別や差異関係、これも実に深刻なのですね。沖縄本島人、那覇人あたりからすれば、奄美諸島人への差別や差異意識もないとはいえませんからね。

佐藤 ただし、宮古や八重山への帰属意識が、沖縄人というアイデンティティより優位になっているとはいえません。宮古、八重山を含む沖縄アイデンティティは確立しています。奄美になると、少し違ってくる。沖縄人も現段階ではあまり詰めて考えていないと思います。奄美に関しては、いまだに高等教育機関がないのです。短大さえもない。奄美高校が最高教育機関です。

山内 昔は「奄美群島Ⅸ」という選挙区までつくらせたのに。

佐藤 重要なのは、巡礼の中心になるような頂点としての高等教育機関なんです。沖縄の場合は現在の琉球大学でしょう。それから名護の名桜大学もいま結構な力があります。それから沖縄国際大学、沖縄大学、起き案和キリスト教学院大学、そして沖縄科学技術大学院大学等、ようやく増えてきました。

山内 とくに沖縄科学技術大学院大学は、日本本島だけでなくグローバルに開かれた沖縄という観点からも、もっと早くつくるべきアカデミック・チャレンジでしたね。

 佐藤のいう「奄美高校」は「大島高校」の間違いだろう。だが、山内の琉球認識は、内側からの目線からも相当に正確だと感じる。ぼくはイスラムについては、門外漢だが、琉球認識から推し測るに、山内の見識は信頼性が高いのではないかと感じた。

 

『第3次世界大戦の罠―新たな国際秩序と地政学を読み解く』


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