« 「アジア性研究・母界論2」(青木正次) | トップページ | ニウエの神話 »

2015/10/07

『共生生命体の30億年』

 19世紀までは、ヨーロッパもそうだったのか、という話。

 ヨーロッパでは長いあいだ、生命は浮きかすや泥のなかから自然に発生すると考えられていた。腐敗した肉からウジが生まれ、古いぼろきれからネズミが発生すると思われていたのだ。しかし綿密な観察や実験の結果、その間に起きていることがあきらかにされた。いまでは、どんなに複雑な汚物からもウジが生まれることはないとわかっている。ウジはハエが産んだ受精卵から生まれるのだ。しかしルイ・パストゥール以前の人たちは、悪臭のする肉のなかでうごめているウジを見て、腐敗物そのものから生命が生まれると考えていた。(『共生生命体の30億年』

 腐敗物とウジ、ぼろきれとネズミに同質のものが流れているとみなすのは霊力思考で、その近さから、前者から後者が生まれるという仕組みを考えるのは霊魂思考だ。ニューギニアのタミ族では、死体からウジが出終ると、「短い霊魂」はあの世へ行ったと考えられていると報告されたのは、1911年(G.Balmer)だから、ヨーロッパ人が、そうではないという知識を得るまでは、タミ族とそんなに違いはない。

 もちろん、この本の著者、リン・マーギュリスが言いたいのは、そういうことではなく、「共生(symbiosis)」のことだ。「共生」とは、「異なる種に属する生物どうしが物理的に接触して生活するシステム」のこと。

 とても印象的なのは、単細胞プロトクチスト(原生生物)の共食いが不成功に終わった結果、性と呼ばれる停戦が生じたという例だった。「性」が「食」のメタファーで語られることが、生物的な根拠を持っていることを示しているように見える。性は、弱い共食いだ。

 共生発生は月のように生命の潮流を起こし、生命体を海の深みから乾いた陸地へ、そして空中へと引き上げた。陸上の水のネットワークである菌類や植物の内部の生きている水が、マクメナミンの言うハイパーシーである。もし人間が惑星間空間を長く旅するとしたら、『スタートレック』のような機械ばかりの無味乾燥なものにはならないはずだ。地球の生物仲間から人間を解放する無菌の機械操作の光景は、ただ味気なく退屈であるというだけでなく、ぞっとさせる。人類がどんなに自分たちばかりに夢中になっていようとも、生命ははるかに幅広いシステムなのである。生命とは、私たちが体の外(と内)に存在する何百万、何千万という生物種との間で物質やエネルギーを交換している信じられないほど複雑な相互依存のシステムなのだ。これら地球の仲間は私たちの親戚であり、私たちの祖先であり、私たちの一部である。

 これは、霊力思考の科学的な言い換えのように聞こえてくる。マーギュリスは、生物を「細菌」、「プロトクチスト」、「菌類」、「植物」、「動物」に分類し、それを五界と呼んでいる。「プロトクチスト」や「細菌」のレベルまでいけば、そこでは霊力思考は、「未開」ではなくなる。細菌としての自己、プロトクチストとしての自己、内臓としての自己、等々。それに耳を澄ます方法を見つけたいという気になってくる。


『共生生命体の30億年』

|

« 「アジア性研究・母界論2」(青木正次) | トップページ | ニウエの神話 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/87956/61556529

この記事へのトラックバック一覧です: 『共生生命体の30億年』:

« 「アジア性研究・母界論2」(青木正次) | トップページ | ニウエの神話 »