「沖縄の穀物起源説話」(馬淵東一)
馬淵東一は、「沖縄の穀物起源説話」について類型化を試みている。
Ⅰ.天界または海の彼方の国から(a.授受 b.無作為取得 c.盗)
Ⅱ.地下界から
Ⅲ.通例では女神または女子の屍体から
馬淵によれば、まず琉球においては、Ⅱ、Ⅲの型は見られず、もっぱらⅠ型が出現する。
天界または海の彼方の国(深山の住民にあつては時として峯々の彼方の国、ただしいずれも死者の国とは別)と人間界とを媒介するものとして鳥類が登場してくるのは、日・琉から南洋にかけてひろく見出されるところである(後略)。
琉球では、ある天の神、または海の彼方の神から贈物として穀物が与えられる話が更に広く知られていて、そのばあい、事情によつては、神の代りに単に見知らぬ人物というのが出てくることもある。
Ⅰ-a型
それでアマミキョは天に祷いのって、鷲わしをニライカナイに遣わして求めさせたら、三百日目に三つの穂を咬くわえて還かえって来た云々と『御規式之次第おぎしきのしだい』にはあり、奄美大島の方では鶴つるがその稲穂を持って来たことになっていて、伊勢の神宮の周辺にあったという言い伝えともやや接近している。(柳田國男「海神宮考」)
同じく奄美大島にある鯨の腹のなかに入っていたという説話(cf.「鯨の腹の中に稲種が入っていた」)。
Ⅰ-b型
ニライ・カナイから、久高島に五穀の種子のはいった小さい甕が寄って来たが、「しらちやね」(米)が一つ足りなかったので、アマミキョが天に祈って、鷲をニライ・カナイに遣わして、これを求めさせたら、三百日目に三穂を咬えて帰ってきたのを、ウケ水・ハリ水(もと田の中から湧出る清水の義で、今帰仁辺では今だに原義で用いられている)に蒔いた(その田を三穂田ともいっている(後略)(伊波普猷「南島の稲作行事について」)。
大宜味の兎に海神では、「鷲」が「鴛鴦(オシドリ)」になっている。
ある男が西北の村の海岸近くに漂う幾つかの稲穂を見つけて始めて稲が得られたこと、そして、これらの稲穂は海の彼方のどことも知れぬ国から、ある鳥が運んできて海面に落としたことが語られる。(波照間島)
Ⅰ-c型
彼女はシナで始めてチムを食べ、美味だと知った。彼女はシナの「王」に少し種子を乞うたが、貰えなかった。人々が収穫したチムを日向で干していて、彼女は鳥の見張番をするように命ぜられた。彼女はイツァム(女子用の褌で、腰巻きではない)を取りはずして、乾いたチムの上に坐った。若干のチムの粒が彼女の陰部に付着して、盗み帰ることが出来たのであった。(大神島)
ぼくが確認したかったのは、穀物が他力本願的に獲得されるというありようだ。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント