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2015/09/02

『骨が語る日本人の歴史』

 片山一道の『骨が語る日本人の歴史』は、「縄文顔か弥生顔か」など、一概に言えないとしている。

 おそらく倭人は、縄文人が各地域でさまざまに変容した縄文系「弥生人」を基盤とした。そこに、北部九州から日本海沿岸部にかけて住み着いた渡来系「弥生人」が重なった。続いて、そのあたりを中心に両者が混合して生まれた混血「弥生人」が加わった。これらが混成した総体こそが「弥生人」、あるいは倭人なのである。ことに西日本では、弥生時代の後期頃に世相が激しく騒擾し、いっそう複雑な「弥生人」の人間模様が生まれたのではなかろうか。
 そうだとすれば、倭人あるいは「日本人」の内訳は、一方で縄文人の流れを強く受け継ぐ人々がいた。その対極に渡来人の系譜につながる人々がいた。そして、さまざまな形で混合する大勢の人びとがいた。そんな構図となろう。ともかく、大小色とりどりのビー玉を混ぜるがごとき文化の混合とは異なり、人間の混合は油絵の具をかき混ぜるようなものである。なにがどう混ざったか判定するのは難しい。「縄文人系か渡来人(弥生人)系」か、あるいは「縄文顔か弥生顔か」など、よく耳にする「日本人二分論」など、とても無理筋なのではなかろうか。

 この書き方から分かる通り、弥生人イコール渡来人なのではなく、片山は弥生時代に生きた人のことを、弥生人とニュートラルに呼んでいる。片山は、縄文時代の人の身体や顔つきが共通しているのに対して、弥生時代の人がバリエーションに富むため、それをひとくくりで呼ぶためにそうせざるを得ないと考えているのだ。

 縄文時代の人は、身体や顔つきが共通しているとはいえ、共通の出自を持っているということではなく、さまざまな地域からやってきた人々が、長い時間を列島で過ごすうちに、共通の生活様式が生み出した共通性だと見なされている。だから、一方で、縄文人の渡来ルートはさまざまであるのに、弥生人の渡来ルートはシンプルなのかもしれない、と言っている。

 縄文人というのは、いなくなった人々ではなく、日本人の基底をなしている、というのが片山の主張だ。

 

『骨が語る日本人の歴史』


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