アジア的段階の入口
アジア的な段階の入口について、吉本は書いている。
「神武記」以後の記述では、山は解体して頂きの盤石を祭り、河川もまた源流に坐す神として祭るようになり、樹木も神格を与えられた神社になり、自然現象もまたそれぞれ、雷、科戸(風)の神などとして、村里の周辺や要所に分離されて、次第に神社信仰にかわってゆく。この最初の自然物の宗教化、自然と人里の住民との分離の意識からアジア的な段階がはじまるといっていい。経済的にいえば王権による河川や山の傾面の灌漑水としての管理と整備、平野の田、畑の耕作など野の人工化がはじまったとき、アジア的な段階に入ることになった(p.60)。
「自然と人里の住民との分離の意識」は、生と死の分離として思考された。アジア的なもののは始まりを神社に対応させれば、琉球弧の場合は、御嶽がそれに当たる。このとき、精霊としてのカミは、対称性を失って神化する。
本土日本からみて、琉球弧に古いものがあるように見えるのは、古いものが10~11世紀以降に新しく始まったことによる。それは、プレ・アジア的なものについても言える。しかし、琉球弧の場合、プレ・アジア的なものが、珊瑚礁によって形成されているという点が、特異であり、本土日本との差異を表現している。
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