「帯状集落」(伊藤慎二)
文字以前の琉球弧の精神史を探究する者にとって、伊藤慎二の琉球縄文の考察は刺激的だ。
伊藤によれば、定着期(貝塚前3~5期、4500年前~2500年前)の後半に「帯状集落」ができる。「帯状集落」とは、「地形に沿って帯状に群集した多数の住居址を伴う拠点的な集落」のことだ。墓域(集団埋葬)、食物貯蔵域、廃棄域(貝塚)などの土地利用の区別もしだいに明確化される。安定した居住活動が確立されている。
伊藤は、琉球弧の「帯状集落」は、東日本の「環状集落」に対比されるという。「琉球列島で初めて明確な地形改変を伴う文化景観が形成されたのがこの定着期といえる」(「先史琉球社会の段階的展開とその要因」)。ここでは、「集落の居住用地を確保するために、人為的に段丘面を造成してその段差を石積みで擁護するような、同時期の国内有数規模の土木事業を行った例も、沖縄本島うるま市宮城嶋のシヌグ堂遺跡や高嶺遺跡で知られ」、「琉球列島で初めて明確な地形改変を伴う文化景観が形成された」(「琉球貝塚文化における社会的・宗教的象徴性」)としている。
ぼくたちにとって示唆的なのは、地形改変を伴なう文化景観の形成とは、生者の空間と死者の空間の区別を意味していると考えられることだ。自然を加工することに及んだとき、自然との関係は変わり、それはつまり死者との関係が変わることを意味するからだ。
伊藤は「帯状集落」の出現を、定着期の後半としているので、貝塚前4期からと理解すればいいだろうか。約3500年前に該当する。
ぼくはこれまでばくぜんと、死の「区別」の段階に入るのは交易期(2500年前~)と想定してきたが、貝塚前4期から交易期にかけてと見なせばいいのだと思う。このことは島ごとのばらつきも大きいだろうから、幅を持たせて考えておきたい。
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