「敬箋」と「焚字炉」
沖縄における道教の影響について、真境名安興は書いている。
その外、敬箋のこと即ち文字を大切にすることも亦道教の教義である、置県前の沖縄では文字の書かれた紙片はこれを踏みつけたりすることは絶対になく道路に墜ちたものは悉くこれを拾いあつめて焚字爐に投じたもので、これで善根を養ふ一つの方便としたもので、借字便覧などといふ本が広く読まれたのである。(『沖縄教育史要 (1965年)』)
「敬箋」は文字を大切にすること、敬うこと。「焚字爐」の創建については、「球陽」巻二一、天保九年の条に「本年創建焚字炉」と出てくる。「善根を養ふ」とは、善を生む力を育むというほどの意味だろう。
焚字炉にみられる道教の受容は、まれびとコンプレックスのなかでは、文字もまだ神であったことを示すものだと思う。
cf.「「焚字炉」と「御字拝み」」、「まれびとコンプレックス」
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