「先史琉球社会の段階的展開とその要因」(伊藤慎二)
伊藤慎二は、北琉球の貝塚時代人について、
狩猟採集民と規定するには食糧獲得に伴う計画的で集約的な自然改変度合いが大きく、農耕民と規定するにはあまりにも主作物が不明確で食料資源利用が過度に多角的である。(『先史・原史時代の琉球列島―ヒトと景観』)
と指摘している。
「自然改変」と伊藤が呼んでいるのは、イノシシの幼獣を多数獲得して、離島にまで持ち込んだこと、沖縄北部に群生するイタジイを、中南部にも持ち込んでそこで生育したこと、オキナワウラジロガシや蘇鉄を利用していたとすれば、何段階もの複雑な処理を施したことを挙げている。
「食料資源利用が過度に多角的」というのは、栽培植物の可能性も指摘されるものの、それは主要作物とするほどではなく、堅果類や、ブダイ(イラブチャー)、マガキガイ(ティラジャー、トィビンニャ)、イノシシ、ジュゴン等、多様なことを示すだろう。
そこで、伊藤は、定着期以降を、森林・サンゴ礁性新石器文化と呼んでいる。
北琉球の貝塚時代は、
・熱帯雨林よりも食料資源の豊富な温帯林分布域の南限に位置する
・沿岸水産資源が安定的に獲得容易なサンゴ礁地域の北限に位置する
・イノシシが多数生息する生態環境
この3つの利点が複合的に存在することで成立可能な文化だったとしている。
やがて定着期に入ると、それらの資源を集約的に管理可能な場所として、内陸資源の利用が容易で沿岸漁場を見通せる丘の上を集落立地に選び、交易期のための経済的利便性から丘から下りて沿岸砂丘に居を構えたと推測される。
だいぶ、見透しのよくなる整理だ。ありがたい。
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