『日本列島人の歴史』
この本の面白さは、なんといっても時代区分の名称だと思う。
これによって、世界史的な段階は見えにくくなるものの、政治的な中心地を名称の根拠にすることで、列島の重心移動の時代変化が分かりやくなる。なにより、縄文期以前を「ヤポネシア時代」としたことで、琉球弧の側からみても、本土との歴史の違いが掴みやすい。ぼくが琉球弧の精神史を探究するなかで見えてきたのも、ヤポネシアだった。
著者はDNA情報が専門なのだが、この本はゲノムの分析のみで考察されているのではなく、考古学や人類学などの広汎な学問の成果を取り入れることで構成されている。これは、ゲノム情報のみでは辿れないものを、他の分野の知見を入れることでしか構成できないことから来ていると思えるが、そこで研究者によって仮説やストーリーが異なる余地が生まれるのだと思う。たとえば、片山一道では、二重構造説は否定されていたが(cf.『骨が語る日本人の歴史』)、この本では裏づけられている、というか、掘り下げられ相対化されることになっている。
ぼくなどには、アイヌに対する親近感や、東北に似たものを感じることが、視点の置き方によって、見えてくることが興味深かった。
著者は、日本列島人の来し方についても、モデルを組み立てている。
第1段階(約4万年前~約4000年前)
・第一波の渡来民が、ユーラシアのいろいろな地域からさまざまな年代に、日本列島の全体にわたってやってきた。
・現在の東ユーラシアに住んでいる人々とは大きく異なる系統。
第2段階(約4000年前~約3000年前)
・日本列島の中央部に第二波の渡来民。
・朝鮮半島、遼東半島、山東半島に囲まれた沿岸部およびその周辺。
・日本列島中央部の南側において、第一波渡来民の子孫と混血しながら、少しずつ人口増。
・日本列島中央部の北側と北部および南側では、第二波の渡来民の影響はほとんどなかった。
第3段階前半(約3000年~約1500年前、ハカタ時代と弥生時代前半)
・朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から、第二波渡来民と遺伝的に近いながら若干異なる第三波が到来。
・水田稲作などの技術を導入。
・日本列島中央部の東西軸に沿って居住域を拡大し、急速な人口増。
・その周辺では、第三波の影響は少なく、第二波のDNAが色濃く残存。
・日本列島の北部と南部、および東北地方では、第三波渡来民の影響はほとんどなし。
第3段階後半(約1500年~現在、ヤマト時代後半以降)
・第三波の渡来民が引き続き朝鮮半島を中心としたユーラシア大陸から移住。
・東北に居住していた第一波の渡来民の子孫は、北海道へ。
・日本列島南部では、おもに九州から第二波渡来民の子孫を中心としたヤマト人が多数移住し、さらに江戸東京時代には第三波の渡来系の人々も加わって、現在のオキナワ人が形成。
・日本列島北支では、北海道の北部に渡来したオホーツク人と第一波渡来民の子孫とのあいだの遺伝的交流があり、アイヌ人が形成。
直感的に言うしかないけれど、このモデルは、ぼくたちがどこで大和人と共通性を感じつつ違和感を抱くのか、アイヌへの親近感はどこからくるのか、勘所を教えてくれるような気がした。
もちろん、細部を見れば、
DNAでは弱いながらアイヌ人との共通性が見出されたオキナワ人は、それまで話していた言語から、グスク時代の前後に古代日本語におきかわり、その後琉球語として発展していった可能性があります。
のように、「古代日本語」に完全に置き換わったのではなく、逆語序や取り入れ方に古代日本語以前のものが残されている、と修正を加えたくなるのはあるにしても。
「三段階渡来モデル」の詳細を知りたいと思う。
斎藤成也 『日本列島人の歴史』
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