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2015/09/11

蟹行事考

 沖縄島南風原の大城和喜による「命名見聞」では、命名儀礼のなかに、バッタと蟹が出てくる。

 父親が、赤ちゃんの額からバッタを勢いよく飛ばす(海辺に近いところでは、お年寄りが、子蟹をもったまま、赤ちゃんの額の上を這わせる)。バッタや蟹の生命力にあやかろうというもの。(宮城喜久蔵『魂込め(マブイグミ)と魂呼ばひ―「ヤマト・琉球」比較文化論』

 ぼくたちには金久正が紹介した奄美以外に沖縄にも「蟹」が使われた事例として矯味深い(『奄美に生きる日本の古代文化』)。吉野裕子は、「蟹」について、「蛇」の代用だとしていた。

 私見によれば、この蟹行事の基本にあるものこそ、じつは蛇である。時代がくだるにつれて、蛇を使用するためらいが、蟹を代用させることになったまでのことであろう(『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』)。

 蛇と蟹は、トーテミズムの思考の系譜として、蛇が蟹にとって代わられたことを示している。両者に通底するのは脱皮だ。だから、代用というわけではない。そして、蟹以前には、蛇を這わせていたというのでもないと思う。

 蛇が蟹に代わられたとき、脱皮は通底するものの、トーテミズムの解体現象を伴っていた。死者に群がる蟹やアマンをみて、祖先を蟹やアマンに見るというのは、すでにドリームタイムの表象が豊かではなかうなっていることを意味している。ドリームタイムを通すなかで、蛇-人間、人間-蛇を表象することが難しくなっているからこそ、現実に、死者が蟹に化身する場面からトーテムを思考しているのだから。

 この場合のトーテミズムの解体は、生と死が円環と考えられてきたところに、生と死を移行とみなす新しい考え方が出たところで生まれる。移行の段階の初期には、円環の思想との混融で、生から死、死から生への移行が同型であると捉えられるようになる。そこで出現するのが蟹行事だ。

 これは、「バッタや蟹の生命力にあやか」るものではなく、死から生への移行が、人間から蟹という筋を辿るように、死から生への移行が、蟹から人間へという筋を辿る。この蟹から人間への脱皮を表わすのが、蟹行事の本質だ。

 吉本隆明は、イザナギとイザナミの黄泉の国での応酬、豊玉姫の出産、オオゲツヒメの説話を取り上げ、そこに生誕と死を同一視する思考を取り出している。そして、この思考は、「初期の農耕社会に固有なものだと推定することができる」と考えている。

かれらの共同幻想にとっては、一対の男女の〈性〉的な行為が〈子〉を生む結果をもたらすのが重要なのではない。女〈性〉だけが〈子〉を分娩するということが重要なのだ。だからこそ女〈性〉はかれらの共同幻想の象徴に変容し、女〈性〉の〈生む〉行為が、農耕社会の共同利害の象徴である穀物の生成と同一視されるのである。(『共同幻想論』

 琉球弧の蟹行事やアマンをトーテムと見なす思考を、ぼくたちは遊動生活から定着生活に入った初期の社会にみられるものと考えてきた。定着による死者との共存が、生と死を移行とみなす思考を生んだというように。ここからみると、『古事記』の説話の記述にも、生と死の移行の段階の思考を見ることができる。この、生と死の移行が、初期の農耕社会では、「女性だけが生む」ということに焦点が当てられたものと見なすことができる。


『日本人の死生観―蛇信仰の視座から』

『共同幻想論』

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