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2015/08/07

『奄美の奇跡』

 連日の暑さで頭がぼんやりする。そのぼんやりのせいでもあるまいが、何かはっきりしない後味の残る本だった。

 この本は、なぜ書かれなければならなかったのか。読み進めても、それが分からなかったのが、「あとがき」に来てやっと手がかりを持った。井上邦子さんとの出会いがきっかけだという。

 彼女は、著者の永田浩三にこう告げている。

 これまで語られてきた奄美の本土復帰運動と、実際に運動に関わったひとたちの実感との間にズレがあるのではないか。いっしょにほんとうのことを書いてみませんか。

 「ほんとうのこと」とは何だろうか。これも著者が「井上さんからの手紙」として紹介しているくだりが雄弁かもしれない。

 軍政下でゴーリキーの『母』を読んでいただけで、CIC(防諜隊)の情報官からガサ入れを受け、怯えなければなりませんでした。こんな時代があったこと、それをはね返そうとした若者たちがいたことをわかってほしい。6歳の少女の目、13歳の少女の目を書いてください。こうしたことを二度と再び起こしてはいけません。

 素直にみれば、井上はアメリカの軍政下を6歳から13歳時に経験したということだろう。たしかにこの本では、軍政は当初こそ理想的な面を持ったが、共産化を恐れるという当時の世相を反映してか、権力は腐敗することを地で行ったためか、ロクなものではなくなっていった過程が分かりやすかった。引いては、復帰運動の熱の由来をいままでより知ることができたと思う。

 この本のよいところは、復帰運動に関わった人々の現在の肉声を写真とともに、豊富に掲載していることで、こうした声を知ることができるのは大切に思える。ただ、なんというか、NHKのドキュメンタリーを見たあとのような、目配せをした全体像がつかめるが、肝心なことは語られないとでも言うようなもどかしさが、どうしても残る気がした。それは、ぼくが仮にも奄美の出身者だからかもしれない。あるいは、奄美の果ての与論出身だからかもしれない。

 すさまじい時代だった。しかし、同時に、若者たちが輝く時代であったことを知った。復帰運動の前史としてアナーキズム運動があったことも驚きだった。

 復帰運動はなぜ成功したのだろうか。日米の外交文書の断片を見る限り、占領にこだわる軍部の強硬姿勢に対して、国務省は、コストがかかり、抵抗が強い軍政を広範囲に続けることにかなり早い段階で疑問を持ち始め、このことが奄美の返還に結びついた。一方奄美や本土では、この時期、中華人民共和国の成立、朝鮮戦争の勃発と重なり、返還は難しいという悲観論が広がっていた。
 壁を打ち破ったのは、驚異の率に到達した署名であり、子どもまで参加した断食祈願であった。断食は、ダレスを激しく怒らせたようだが、わかりやすい実力行使は本土に対してもアメリカに対しても、鋭く斬りこんだ。プライドと人権意識を直撃し、巨大な岩が動いたのだ。

 運動の最終段階で起きた、人民党の排除は有効だったのだろうか。わたしはNOだと考える。運動の盛り上がりと成長は、奄美共産党や人民党、青年団、中村学校の奮闘なしにはありえなかった。運動が認知され軌道に乗った後での排除は、内向きの論理といえなくもない。しかし、だれもが返還のスキームを想像・予測するなかでの、必死にもがいた結果なのであり、責めるのは酷なように思う。最終段階とわたしは書いたが、嵐のただなかにある当事者に、運動がいる終わるのか、先が見えなかったのは当然のことだった。どの立場のひとでも、奮闘したのは確かであり、高所から訳知り顔で批判するのはフェアではない。それぞれの主人公に敬意を抱く。愛おしい気持ちがあふれる。

 奄美ルネッサンスと言われたきたように、本書からも「若者たちの輝き」は伝わってきた。それが井上の念願だったとしたら、それはぼくにも届いた。場は人をつくる、というか、当時の奄美大島は、確かに舞台だったのだ。

 社会主義的な理想家たちの手によって始められた運動が、後半になり排除されていく過程が描かれる必要があったというなら、それもぼくに届いたように思う。当時の奄美大島は面白い。そうも感じる。

 しかし、内側のことが内側のこととしてのみ語られるという、これまの奄美復帰運動に関する語られ方と同じ歯がゆさは、全く解消されることはなかった。外側からの視線がないのだ。奄美の復帰を沖縄の人はどう見たのか(それは、奄美からの出稼ぎ者に対する冷淡に、その一端は垣間見れるかもしれない)、本土鹿児島県人はどう受け止めたのか、そういう声もあれば、立体感は出るのかもしれない。

 ただそれ以前に、奄美の復帰とは何だったのか。そこで、果されたことは散々、語られているとはいえ、なしえなかったことはないのか、沖縄と同じ復帰だったらどうなっていたのか、そういう批評や思考実験はないまま、結局は自画自賛の空気に覆われて、他者からはよく分からないものになっている、その再生産がこの本でもなされてしまってはいないだろうか。奄美の復帰運動が遠い。

 書名を見たときにも躓いたが、読後も激しく躓くのが、「奇跡」という言葉だ。それはあまりにも違うのではないだろうか。せめて、「奇跡」とは名づけないでほしかった。


『奄美の奇跡 「祖国復帰」若者たちの無血革命』

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コメント

お久しぶりです。
 いつも興味深く読んでます。

 奄美での復帰運動は沖縄のそれを加速させたと思いますね。
 沖縄社会大衆党員だったワンのオジーは「奄美に続け!」って言ってましたよ。沖縄での運動を勇気づけた事は間違いないでしょう。

 それと "外国人" となった在琉奄美出身者への差別なんですけど。。。
 意外にも、差別した側の沖縄から批判の声が聞かれるようになりました。
 ご存知のように、公職追放などを命じたのは米国側ですが、乗じた沖縄島民の奄美に対する嫉妬があったことは確実ですね。
 これらの歴史を知ってか知らずか、奄美群島との連帯を模索しているのが現在の沖縄県民の空気だと思います。
 琉球独立を主張している勢力や沖縄県内の観光産業界、JAなど第一次産業も奄美と組むことでメリットがあると考え始めています。
 与論など奄美群島にルーツを持つ島んチュと宮古出身者は沖縄経済に多大な貢献してきたことを、沖縄島民は忘れるべきではないですよ。

投稿: 琉球松 | 2015/08/07 09:48

琉球松さん!

貴重な声をありがとうございます。「奄美に続け!」って、リアルです。こうした声とともに置くと、奄美の復帰運動に立体感が出てきます。ありがとうございます。

そうですね、連帯。広がり、深まるといいなと思います。

投稿: 喜山 | 2015/08/07 10:55

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