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2015/08/25

珊瑚礁の思考

 死を生からの移行として捉えた後、死者との共存に矛盾をきたすようになると、死者の居場所である他界は空間化される。その時、死者の空間の入口にいなったのは、琉球弧の場合、洞窟だった。洞窟を通じて、死者は他界へと赴く。洞窟の奥のくびれのような構造を通って、他界は開かれていく。

 こうして洞窟という穴のモチーフは、太陽の穴(てぃだがあな)や森の薄暗い場所など、光と闇が交錯するいたるところに見出されるようになる。

 そして他界の入口は設定されたけれど、死者は生者の空間と行き来をすることができた。太平洋の島々では、それは死霊の帰来として記録されてきた。ところが、この自由な行き来にも矛盾が生じると、洞窟は塞がれてしまう。琉球弧ではそのいきさつは、おぼろげな形でしか語られないが、たとえばポリネシアのマンガイア島では、生者の共同利害の矛盾が他界へと転化されていた。このことにより、他界は空間化される。死者は自由な往来ができなくなってしまう。

 けれど琉球弧では、生者と死者の空間は、分離されただけではなかった。塞がれたこの世とあの世の境界は、時に開くこともあった。いや、望めば開くことができたと言ったほうがいいかもしれない。洞窟が開くとき、死者たちは生者の空間に還ってくることができる。そのなかでも、「時を定めて」やってくるのが来訪神だ。

 生と死が分離したあとも、洞窟が開くことがある。そしてそのとき、他界の死者だけでなく、豊穣ももたらされる。この思考を琉球弧にもたらしたのは、珊瑚礁だった。

 満潮時を考えると、島は海に対している。ここで世界は、島(あるいは山)と海でできている。島はこの世であり、海はあの世の世界である。ここでは、御嶽の神が生者の空間である島を守護している。

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 ところが干潮時になると様相は変わる。大潮では、潮は引き、島と海のあいだに珊瑚礁というもうひとつの世界が立ち現われる。するとどうだろう。いままで他界の領域だった海の一部が、海の畑として豊穣をもたらすのだ。珊瑚礁は、満潮時には海だけれど、干潮時になると陸として島の一部になる。珊瑚礁は海でもあれば、島でもあるのだ。

 考えてみれば、珊瑚礁は、満潮と干潮のあいだも、この世とあの世の入口を形成している。それは満ち潮のときには、海として他界の色を強めるが、潮が引き始めると、陸として生者の空間の色合いを強める。珊瑚礁を他界への入口に見立てると、満潮時にはすっかり蓋がされてしまって、人を寄せ付けない海になるが、潮が引くと蓋が開くように他界からの往来がしやすくなる。死者だけではない。生者も歩いて自由に行き来できる。洞窟が空間化された他界の入口なら、珊瑚礁は空間であるとともに、時間化された他界への入口なのだ。

 この珊瑚礁の構造が、他界は身近にあり、そこへの通路は塞がっているけれど、ときに開かれるという琉球弧の思考を不断に告げ知らせてくれたものだ。

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