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2015/08/27

霊力思考からみた世界・注

 アボリジニには「時間」に当たる言葉がない。「時間」という概念がないのだ。モーリス・レーナルトは、ニューカレドニアのカナク人にも、「時間」に当たる言葉がないと書いていた(『ド・カモ』)。アボリジニでは、「空間」も距離のことではなく、意識と無意識を指している。近く可能jな実在が意識に当たり、見えない空間は無意識に当たる。無意識が活動するのは、睡眠中や夢を見ている場合だけではなく、常に存在している(『アボリジニの世界』。

 モーリス・レーナルトはまた、ニューカレドニアのカナク人は、世界から身体を分離していないので個体という概念がないとも書いていた。アボリジニも同じである。いや、もっと徹底しているのだろう。自己とそれ以外の対象は区別されない。主体と客体は相互に入れ替わることができる。だから、どんな生物にもなることができるし、どんな生物の意識も味わうことができる。

 北方のシャーマンは、これを動物の行動と叫び声の模倣によって、合体することで、喪失された「楽園」の一時的な回復を目指した。この合体は憑依ではないと、エリアーデは注意することを忘れていなかった(『神話と夢想と秘儀』)。シャーマンがテーマにする「楽園の喪失」の「楽園」とは、どうやら、アボリジニのいうドリームタイムのようだ。アボリジニでは、それは喪失した世界ではなく、夢見(ドリーミング)によって見ることのできる世界だ。

 アボリジニにとって、イニシエーションとは、この夢見る(ドリーミング)力のことを指していた。これが、ドリームタイム(楽園)を喪失した世界では、象徴的な死と再生の儀礼へと転換されていく。

 ドリームタイムや楽園とは、自己幻想と共同幻想が未分離な状態のことを指している。そこに分化が起きることを、シャーマンの世界では、「楽園の喪失」と呼んだわけだ。

 アボリジニにとってはドリームタイムは先祖の行った世界創造であると同時に、いまもポテンシャルとして持続しているものだ。ドリームタイムのなかでは、流動的なエネルギーは、石から植物へ、植物から動物への変身を繰り返している。霊魂思考が優位になると、それは実在の空間のなかに存在するようになり、精霊と呼ばれるようになった。同じように、諸存在の変身も、転生として信仰されるようになる。

 cf.「霊力思考から見た世界」

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