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2015/08/17

『母系社会のエディプス』

 母系社会にエディプス・コンプレックスはない、というマリノフスキーの主張の当否を確かめたいからではなく、マリノフスキーの言説がどのように議論されているのかに関心があって、『母系社会のエディプス―フロイト理論は普遍的か』を読んだ。

 幸い、この本のすべてがマリノフスキーの議論を俎上にしたものなので、マリノフスキーの言説の扱われ方を充分に味わうことができるが、率直な感想をいえば、スパイロが執着して微に入り細を穿つに値するほどのテーマなのかという疑問は消えなかった。もっと言ってしまえば、こんなことを追求することしかやることがないのだろうかという研究の閉塞すら感じた。

 マリノフスキーによれば、トロブリアンド諸島では、エディプス・コンプレックスは存在しない。トロブリアンドにおける中核コンプレックスは、少年がエディプス・コンプレックスの場合とは異なり、自分の姉妹を愛し、母親の兄弟を憎むという心理的布置からなる。

 しかし、トロブリアンドに見られる、「父欠損型」の神話は、逆に父親に対する敵対感情の表れと見ることができる。

 トロブリアンドの父欠損型は、父に対する無意識の敵対感情および-トロブリアンドの父はまた愛と強い好意の対象でもあるから-その感情の発生と表現を避けたいという願望の両方によって同時に動機づけられていると考えてみたい。

 エディプス・コンプレックスは、別の表象に転化されているというスパイロのこの議論にはついていけるが、父の欠損がゆえに、「父親に対する息子の敵意が普通以上に強いものであることを示している」と言われると、首をかしげてしまう。エディプス・コンプレックスは家族の構成上、大なり小なり普遍的なものだと思えるが、ここでのスパイロの視点は、マリノフスキー以上にゆがんだものが感じられ、むしろ著者自身の強いエディプス・コンプレックスを暗示するものではないかとすら感じてしまう。

 トロブリアンドやオーストラリアにおける幼児霊理論は、父の生殖上の役割に関する認識の欠如に由来するというよりは、その拒否にするのではないかというスパイロの視点は、ぼくもその通りだと思えるが、この拒否の理由を父親に対する敵意の並々ならなさに照準されると、閉口してしまう。なぜ、拒否するのか。それは、父親に対する敵意が西欧社会以上であるからではなく、幼児霊理論は彼らの再生信仰を支えてもいるからだと、ぼくなら答えるだろう。子の誕生が、母系の霊力の再来ではなく、父と母の性交によるものだと認識されたら、母系社会と再生信仰の基盤が崩れてしまうからだ。このとき、父親は並々ならない敵意の対象ではなく、得体のしれない力、不気味な力を持つ存在として対象化されるのではないだろうか。

 スパイロは、邪術師は個人の目的を果すためには、母親を殺してもかまわないと信じられているという例を引いて、母殺しのテーマにも接近している。しかし、スパイロにかかると、トロブリアンドにおいては、父殺しの方が母殺しよりも広く分布している、で片づけられている。ぼくには、この母殺しのテーマの方が追求に値するような気がした。

 マリノフスキーの主張に対しては、間違っているというよりは、修正あるいは補足をして先へ進むのが妥当ではないだろか。スパイロは自分の無意識色にトロブリアンドを染めてしまっていると思える。


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