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2015/08/10

『ケルト神話と中世騎士物語』

 田中仁彦の『ケルト神話と中世騎士物語』はヨーロッパのケルトもまた、地下と海上の他界を持つことを教えている。

 4000年前に騎馬民族であるケルト人は、四方に膨張し、2400年前から2300年前にかけて最盛期を迎え、ギリシャやローマの存立させ危うくさせるが、ローマの伸長におされ、その後は後退し、いまはケルト世界を伝えるのはアイルランドだけになってしまった。

 そのケルト人の他界観を多くの伝承を辿った後で、それがときに地下であり、ときに海底であり、また地続きであることの不思議に打たれながら、田中は書いている。

 アイルランドのケルト人は、地下に去った「ダナの息子たち」が、地下に美しい宮殿を建て、大勢の妖精や小人たちと楽しく暮していると考えた。それならば、この地下世界に大きな海が広がり、そこに浮かぶ島では羊や草を食べているとしても少しも不思議ではないだろう。そう考えるなら、『美貌のコンラの物語』で、シイの女が水晶の舟で、コンラを生みの彼方に連れ去るという矛盾も矛盾ではなくなる。この海は実は墳丘やドルメンの下の地下世界に広がる海なのだからである。あるいはまたこうも考えられるかもしれない。ケルト人の想像力は、この本来は地下世界であるものを、地上世界に投影し重ね合わせたものだというように。今目の前に広がる皓々たる月に照らされた海は、この世の海であると同時に、叉あの世の海でもあるのである。同じことは、われわれが旅しているこの陸地についても言えるだろう。

 他界が陸続きのどこかであろうと、海の彼方の島々であろうと、そこに本質的な違いがあるわけではない。重要なことはそこが異次元の世界だということなのではあるまいか。『ブランの航海』が示しているように、他界の一年はこの世の数百倍にあたるし、『モルフーフとオルウェン』の物語にあるように、すぐそこにあるように見せて実は限りなく遠いのである。この時間と空間の異質性こそがケルト的他界の本質的性格であり、したがってそれはこの世のどこでも遍在し得るのだ。それは必ずしもある特定の場所でなければいけないということではない。他界は到る所にあり、突然目の前に出現したり、知らないうちにその中に迷い込んでしまったりするのである。

 心理の機微に届くように書かれた文章に、数式を当てはめるような無味乾燥なことをするようで気が引けるが、ケルト人は、生と死の移行の段階から分離の段階、そして、死者との共存から地下の他界や海上の他界へ伸びて行く、そういう各層の伝承をよく保存していたのだと言える。

 オセアニアから得られた他界のモデルがヨーロッパにも適用できる気がして、ちょっと嬉しくなった。

 

『ケルト神話と中世騎士物語―「他界」への旅と冒険』

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