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2015/08/13

ネリー・ナウマンの「山の神」

 ネリー・ナウマンは山の神は動物の主であるとしている(『山の神』)。山の神は動物の主であり、動物の姿をとって現われる。たとえば、長野では猪は山の神の使いだとされ、栃木では白猪はとるなと言われている。白猪に関する観念は、奄美大島も同じだ(cf.「猪猟・性・シニグ」)。

 狩幸は山の神の贈り物であり、狩の前には祈願と供物をし、狩のあとは山の神にも一部を供える。新潟の岩船では、熊を捕えると皮を剥いで雪の上に置き、四肢を締めて頭部を尾の方に向けて皮を上に置く。そして「千匹も二千匹も三千匹も」と唱えながら四肢をもって上下する。終わり文句でもとのように顔を前に向ける。銀山平では、雪で清めたヒラに熊を四つん這いにして、熊から左の方に舌を引き出す。これでまた近くに熊が獲れる。熊の枕元にシバ(木の枝)を切って立てる。シバに銃や槍をたてかけ、みなが用意してきた絵馬形の紙をめいめい結び、熊が快く成仏するようにその耳元で真言を唱える。これを熊祭りという。

 狩の前は身を儀礼上、浄め、少なくとも一週間は性的な禁欲を守る。狩る場所はあらかじめ言わず、山に入れば、山ことばを使う。また、山の神は女だとする観念はひろくあり、情欲的で嫉妬深く、気まぐれである。

 ネリー・ナウマンは、「こうした要素が日本では、山の神の観念複合のなかで最古の基層をなしていると想定するに十分な根拠があった」としている。

 平地に人が住むようになり、また山から下りるようになり、山の神は変容する。山の神は決まった木を宿り木とする。樹木霊に影響を受けながら、山の神は死霊と結びつけられた。田の神ももともとは山の神である。

山の神と非常に密接に繋がった田の神がもともとは、こうした山中の畑の庇護者であった山の神自身であっただろうと結論した。そんな畑は焼畑によって作られ、約三年間耕作したあとでふたたび元に戻すのである。(『山の神』

 「山の神」の観念の層を、地学者のように探り当てていこうとするネリー・ナウマンの姿勢に共感する。こうでなくちゃ、と思う。

 琉球弧が狩猟、採集の段階にあったときも、同様だろう。

 この考察を「御嶽」の概念に反映させてみる。

 御嶽は、平地から見た山を連結している。霊力としてみた山はクバの葉に象徴化される。そこに祖霊の観念が重なり、それが具体像を持たないまでに抽象化されるところで高神の観念が発生する。

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