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2015/08/09

『霊の住処(すみか)としての家』

 カール・ヘンツッェは、「屋根付き柱と刻銘は今日に至るまで使用されている位牌の祖形であろう」と見なしている(『霊の住処(すみか)としての家』1996年)。

 中国の青銅容器の柱には「死者の戒名が書き入れられた例がある」。だが、文字のない社会では、「祖先の彫像あるいは供物を用いるよりほかない」。

 フロレス島では祖先の家は柱の上に造られる。これは中国の青銅容器の柱頭にあたる。

 1.祖先の屋根つき供物柱。
 2.祖先彫像つき柱の構造物。柱の上に死者の遺骨を納める箱があり、その前に供物を捧げる習慣がある。

 インドネシアのカイ諸島では、柱の上の祖先の家は、墓の側に立てられる。その内部に供物が捧げられる。

柱の上の小屋はしたがって、霊の住処として見られている。

 これらの例は、「遠古の習慣の残存と見なしてよいと思う」とカール・ヘンツェは書くのだが、その時、注釈として、国頭の久志で記録された、杭の上に置かれた棺の例を挙げているのを見て驚いた(cf.「琉球弧の樹上葬」)。

 ぼくたちは国頭久志の例は、台上葬を示すものだと見なした。そして同様の形態は、カリマンタン(ボルネオ)のシー・ダイヤ族やクラマン族に見出してきた。これでいえば、杭上葬の形態が位牌の祖型と言われていることになるのだ。驚かずにはいられない。

 試みにフロレス島とカイ諸島について、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』を紐解くと、残念なことにどちらも葬法についての記述はないが、フロレス島のガダ族は天の他界であり、カイ島では二つの小島という島の他界である。ガダ族については若干の記述がある。

 ガダ族は死後ながく死者の霊魂を忘れない。彼らは男の祖先のためには nadas という供物柱を建て、女の祖先のためには b'agas という供物柱を建て、古い祖先のためには村に共同の nadus を建てるし、また各家には墓柱があって、椰子酒杯や小籠をおいている。祖先の霊魂は供儀をする人を守るし、怠れば敵意を見せる。特に不自然死者の霊魂は地上をさまようとして恐れる(p.564)。

 ヘンツェが書いているのも、これのことだと思う。

 家は、もともと死者のものだった。それが、死者を家から出すようになって、家型の厨子瓶や墓所へと転移する(「23.「遷居葬の成立」」)。アイヌでは、「家を模した木棺」がそれにあたる(内山達也「樺太アイヌの埋葬形態についての一考察」)。さらに、琉球弧では霊魂の依り代はクバの葉だったが、それが位牌に取って代わられる。しかし、それがそもそも台上葬に由来するとしたら、復古ではないか。

 それにしてもこの象徴の連鎖ときたら。

 

『霊の住処(すみか)としての家』

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