「魂(マブイ)の観念-琉球弧の民間信仰-」
高橋孝代の「魂(マブイ)の観念-琉球弧の民間信仰-」(『こども教育宝仙大学紀要』)から。
クスケーという呪言は、「クスケーの由来」(遠藤庄司)によれば、沖縄本島とその周辺離島のみで、奄美諸島や八重山諸島ではほとんど採取されていない。高橋も沖永良部島でも聞いたことがないという。与論で「クスケー」に当たる呪言は「クスコレバナ」だが、この場合、与論は、沖縄本島の周辺離島に該当するわけだ。江戸時代に沖縄島に伝わったとされている。
日本本土でも古来より、魂は動物の肉体に宿って心の働きを司ると言われ、「魂(たま)し霊(び)」の意味である。「たま」というのは美しいとほめるいい方で、「し」は気息を表し、「び」は奇(くしび)の意味で、珍しいということを指す。つまり、「たましい」は古代の日本人にとっては、玉のように珍しいが、玉のように固まった固体ではなく、気や息のように目にはっきりとは見えない気体のような存在として認識されていたようである。
この説明通りに受け取れば、「魂し霊」には、「霊力」の語感がありありとしていることになる。
世界の他地域にもみられる魂の性質は一般的に類似性が高いが、奄美・沖縄の特徴といえる点もある。それは、死後の魂を、死者儀礼を通して丁重に供養する限り、現世で生きる子孫を守護してくれると信じる祖先崇拝という信仰の形を、ユタという宗教的職能者が支えているという、人、ユタ、祖霊の相互関係が成り立っている点である。
少なくとも、ぼくたちが見聞できる範囲の歴史では、琉球弧は、生と死が分離し、他界が遠隔化される途上を歩んでいることになる。その遠隔化の課題に応えているのがユタということになる。
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