鯨の腹の中に稲種が入っていた
伊藤幹治の「奄美の神祭」(「国学院大学 日本文化研究所紀要」3号、1968年)に、「琉球弧の作物起源神話の濃度」、「まれびとコンプレックス」を補足できる内容があった。
なお、ネリヤは鯨と絡んで次のような伝承がある。この地方では一般に鯨をクジラと呼んでいるが、押角ではもともとオーメガナシ・ウフムンガンバシとよんでいたという。この鯨はネリヤ神が育てられた魚で、ネリヤ神の使いであると説かれ、漁に出て鯨に遭ったりすると、人々はよくトートガナシと唱えたと弘く伝えられている。於斉の女神役たちは、鯨を神の魚という理由でこの肉を食べることが禁じられている。俵では、鯨の腹の中に稲種が入っていたと伝承されている。木慈では、稲種はネリヤの底の泥の中から生れたと伝えられている。押角の老漁師から採録したネリヤ資料の中に次のような伝承がある。宇検村の屋鈍部落と枝手久島との間の海底に、牛の横臥しているような恰好をした大きな瀬がある。仲間内でここをネリヤと呼んでいる。この附近は雑魚のよく獲れるところで、むかし宇検村の名柄部落の漁師がここで獲った雑魚の腹の中に稲種が入っていた。これは糯米の種で、蒔いて育てたところがかなりの収量をあげた。この稲種は魚の腹の中から出てきたので、イューゴロと称したと伝えられている。
鯨は「神の使い」であり、於斉では食べることが禁じられているということは、トーテム的観念を示している。ただし、トーテムとして表象したか、はじめから「神の使い」であったかは分からない。
俵の、「鯨の腹の中に稲種が入っていた」という伝承は、琉球弧の有用植物の伝来の性格をよく伝えていると思える。
伊藤はまた、「女の御馳走」の伝承はあるものの、「穀物の死体化生モチーフが認められない」と指摘している。かわって、「琉球の穀物起源神話のほとんどは、天界または海の彼方から穀物がもたらされるというモチーフを基調としている(「日本神話と琉球神話」『講座日本の神話〈10〉日本神話と琉球 (1977年)』)」。
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