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2015/07/17

『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』

 エドワード・スノーデンが、アメリカのNSA(国家安全保障局)が、米国民および世界のインターネットと電話回線が傍受されていることを暴露したとき、思い出さなきゃいけないことがある気がしていたが、これだった。米軍は、日本占領時、私信、電信に対しても検閲を行い電話も盗聴していた。

 たとえば、こうだ。

「十日に出したはずの手紙に、まだ御返事をいただいておりません。一月に撮った写真を同封したのですが、どうなったか知りたいと思います。博多の進駐軍検閲係は悪名高いので、お手紙を出したあとで心配しております。それだけに御返事が一層待たれます。写真は途中で失くしてしまったのかも知れません。」

 この文章のうち、「博多の進駐軍検閲係は悪名高いので、お手紙を出したあとで心配しております。それだけに御返事が一層待たれます」の箇所が削除されている。

 これを調べた江藤淳によれば、検閲は膨大な数にのぼる。

 ところで、スートランドで私が発見した哀切な恋文(つまり、検閲された手紙-引用者)は、CCD郵便部が取り扱っていた月平均千九百万通から二千万通にのぼる郵便の、ほんの僅かな一滴にすぎない。CCDはそのうち四百万通の私信を開封し、詳細に検討していた。さらにCCD電信電話部は、毎月三百五十万通の電信を検閲し、二万五千に達する電話の会話を盗聴していた。

 1900万~2000万通のうちの400万通といえば、20~21%である。アメリカはやることが度を越して徹底しているし、その行動様式は現在も変わっていないことを思い知らされる。しかも、開封した私信は世論の動向を掴むのに活用されていたというのだから唸ってしまう。

 “正義は力なり”を標榜する米国である以上、原子爆弾の使用や無辜の国民殺傷が病院船攻撃や独ガス使用以上の国際法違反、戦争犯罪であることを否むことは出来ぬであろう。極力米人をして罹災地の惨状を視察せしめ、彼ら自身彼らの行為に対する報償の念と復興の責任とを自覚せしむること、日本の独力だけでは断じて復興の見通しのつかなぬ事実を率直に披瀝し日本の民主主義的復興、国際貿易加入が米国の利益、世界の福祉と相反せぬ事実を認識せしむることに努力の基礎を置き、あくまで彼をして日本の復興に積極的協力を行はしむるごとく力を致さねばならぬ。

 この談話を書いたのは、1945年9月の鳩山一郎である。こんな発言もありえたのかと驚いたが、掲載しようとした朝日新聞は発行停止命令を受ける。

 同時期、どうも分かってないね君たちとばかりに、米軍は報道関係者に対して次のような声明を出している。

 マッカーサー元帥は、連合国がいかなる意味においても、日本を対等と見なしていないことを明瞭に理解するよう欲している。日本はいまだ文明国のあいだに位置を占める権利を認められていない敗者である。諸君が国民に提供して来た色つきのニュースの調子は、あたかも最高司令官が日本政府と交渉しているような印象をあたえている。交渉というものは存在しない。国民は連合国との関係においての日本政府の地位について、誤った観念を抱くことを許されるべきではない。
 最高司令官は日本政府に命令する・・・・・交渉するのではない。交渉は対等のもの同士のあいだで行われるのである。日本人は、すでに世界の尊敬を獲得し、最高司令官の命令に関して“交渉する”ことのできる地位を得たと信じるようなことがあってはならない。

 現在も米国と日本は対等ではないということは、占領期の状況が継続されているということだ。

 米当局は、「War guilt information program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)」を展開する。具体的には、『太平洋戦争史』と題した記事が新聞に連載される。その前書の一部にはこうある。

 日本の軍国主義者が国民に対して犯した罪は枚挙に遑がないほどであるが、そのうち幾分かは既に公表されてゐるものの、その多くは未だ白日の下に曝されておらず、時のたつに従つて次々に動かすことの出来ぬ明瞭な資料によつて発表されて行くことにならう。
 これらの戦争犯罪の主なものは軍国主義者の権力濫用、国民の自由剥奪、捕虜および非戦闘員に対する国際慣習を無視した軍部の非道なる取扱ひ等であるがこれらのうち何といつても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは真実の隠蔽であらう。この真実の「管制」は一九二五年(大正十四年)治安維持法が議会を通過した瞬間に始つたものである。この法律が国民の言論圧迫を目的として約二十年にわたり益々その過酷の度を増し政治犯人がいかに非道なる取扱を受け人権を蹂躙せられたかは既に世人のよく知るところである。

 一九三〇年(昭和五年)の初頭日本の政治史は政治的陰謀、粛清、そしてその頃漸く擡頭しつつあつた軍閥の専制的政策に反対した政府の高官の暗殺とによつて一大転換期を劃したのであつた。

 一九三三年(昭和八年)から一九三六年(昭和十一年)の間に、所謂「危険思想」の抱懐者、主張者、実行者といふ「嫌疑」で検挙されたものの数は五万九千を超えるに至つた。荒木大将の下では思想取締中枢部組織網が厳重な統率下に編成せられ、国民に対し、その指導者の言に盲従することと一切の批判を許さぬことを教へることになつた。この時期が軍国主義の上昇期であつたことは重要な意義を持つものである。一九三六年(昭和十一年)二月二千四百名以上の陸軍々人は叛乱を起し、斎藤内府、高橋蔵相、渡辺教育総監を暗殺し時の侍従長鈴木貫太郎大将に重傷を負はしめた。軍国主義者の支配力が増大するに伴ひ検閲の法規を強化し、言論の自由を剥奪するための新しい法律が制定された。そしてこの制度こそは支那事変より聯合国との戦争遂行中に継続された。

 日米、日英戦争の初期においては日本の勝利は比較的国民の反駁を受けずに宣伝することが出来たが、戦局が進み軍部の地位が次第に維持し得なくなつてくるにつれて当局の公表は全く真実から遠いものに変つて行つた、日本の多くの戦線において敗退しその海軍が最早存在しなくなつてからも、その真実の情勢は決して公表されなかつた。最近においても天皇御自身が仰せられてゐる通り日本が警告なしに真珠湾を攻撃したことは陛下自身の御意思ではなかつたのだ。憲兵はこの情報が国民に知られることを極力防止したのだ。

 聯合国最高司令官は一九四五年(昭和二十年)十月五日治安維持法の撤廃を命令し、新聞に対するこの制度を破壊する方法をとり戦争に関する完全な情報を日本国民に与へるやう布告した。今や日本国民が今次戦争の完全なる歴史を知ることは絶対に必要である。日本国民はこれによつて如何にして敗れたか、又何故に軍国主義によつてかゝる悲惨な目に遭はねばならぬかを理解することが出来よう。これによつてのみ日本国民は軍国主義的行為に反抗し国際平和社会の一員としての国家を再建するための知識と気力を持ち帰るのである。かゝる観点から米軍司令部当局は日本及び日本国民を今日の運命に導いた事件を取り扱つた特別記事を提供するものである。

 どんな洗脳めいた文章なのか入力してみたが、むしろ天皇が守られていることの方が印象を残す。同じときに、「大東亜戦争」という呼称は禁止され、「太平洋戦争」に取って代わられる。江藤に言わせればこれは、「日本の敗北を、「一時的かつ一過性のものとしか受け取っていない」大方の国民感情に対する、執拗な挑戦であった」。

 江藤のこの本を読み、やってくる印象は、アメリカの言うことを聞くという政府の態度は、このときから貫徹されているのではないかということ。それによって、敗戦は「一時的かつ一過性のもの」ではなく永続していること。また、同時にこの史観の押しつけに対する反発も生まれるが、その「日本を取り戻す」史観からみれば、押しつけ史観にまんまとやられたように見える歴史認識が、「自虐史観」と呼ばれていることが分かる。

 吉本隆明は、戦後一夜にして民主主義に鞍替えして、戦前も戦争に抵抗していたとうそぶいた文学者たちの「戦争責任論」を展開した。そのことを指して、江藤は、「私がいまやっているのと同じことを、やろうとされたのだなあと思ったのですね」(現代文学の倫理」1982年)と吉本に向かって語ったことがあった。しかし、吉本は、江藤が解き明かしたからくりを知らない場所から、実感に基づいた批判を、当事者たちに向けて行ったもので、からくりを解明しようとした江藤とは、厳密にいえば「同じ」ことをしているわけではない。

 こう言いたくなるのは、江藤に「同じ」ことをやってほしかったと思うからだ。現政府と太くつながっている日本会議の前身である、「日本を守る国民会議」の代表委員を江藤は勤めていた。江藤に、この仕事のあとやってほしかったのは、「太平洋戦争史観」にやられて民主主義に雪崩うった人々とは別に、「日本を守る国民会議」が、それに反発したことによって蒙った変質の吟味だ。「閉ざされた言語空間」を資料に基づいて明らかにする作業すら「文学」として行っているという江藤だ。「日本を守る国民会議」に頭脳をすべて預けてしまっていることはなかったはずだ。戦前からの連続性を重視した江藤であれば、「日本を守る国民会議」内部から、何を連続性として持たせるべきなのか、議論を深めてくれていたら、日本会議の退行した思考を食い止められていたかもしれないと思う。


 
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