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2015/07/29

『ポリネシア 海と空のはざまで』

 思い続けていると機会はやってくるものだろうか。マンガイア島のことが気になっているが、片山一道の『ポリネシア 海と空のはざまで』は、マンガイア島のエピソードが多くて助かった。

 そのマンガイア島に関するものから。

 1.ポリネシアには、「高い島」、「低い島」、「マカテア島」がある。「高い島」、「低い島」は、琉球弧もそうだ。「マカテア島」とはどういう島か。

 この名前はツアモツ諸島にあるテ・マイカア島に由来するが、ポリネシア語の意味は、おそらく「白い石塊」。たしかに島じゅう、ギザギザした巨大な石塊が、やたらゴロゴロしているが、それらはけっして白くはない。なぜ「白い」なのか、私にはわからない。(中略)
 マカテア島は、いわざ火山島と隆起サンゴ礁が複合したような島である。多くは島の中央部に、風化が進んだ玄武岩性の小山があり、隆起サンゴ礁が島の周りを包囲する格好をしている。火山島の「高い島」がひどく沈降する前に、その周りのサンゴ礁ごと、地殻変動するために海から浮上した島なのであろう。

 マカテアとは、「そうした隆起サンゴ礁のこと」で、マンガイア島もマカテア島に類型化される。

 「なぜ「白い」なのか」。片山さん、それは珊瑚岩はもともと白いからですよ。

 2.複雑な首長組織アロンガマナがある(あった?)。

 3.動物界は「海の動物」と「陸の動物」に区分できる。狭義には魚だが、海獣はマンガイカという。

マンガイカという言葉は、オーストロネシア語族の言語に広く共通するイカ(魚)に由来するが、マンガイアだけの言葉で、近くのどの島でも使わない。そもそもマンガイアという島名が、マンガイカに由来する言葉だとのたまう島びとさえいる。ちなみにマンガが食べ物の総称で、字義どおりだとマンガイカは「食用のイカ」(魚類)を意味するのである。

 4.オオコウモリ。

マカテアの内側に口を空ける多数の鍾乳洞を棲み家として、群れをなして繁殖する。

 この、マカテアの内側の洞窟の穴が、初期の他界の入り口を指すのだろう。

 5.男という男はことごとく、ことのほかオオコウモリ猟が好き。

 6.クジラ見物の絶好の穴場。

 7.ポリネシアは冗談が過剰気味。マンガイア島はそのなかでは、「まことしやかなうそ」が多用される。男女間の噂は千里を走る。

 8.ポリネシアはけったいな人名の宝庫。アチガアカウは失恋の意。マタオラは幸せの意。

 おかげでマンガイア島がだいぶ身近になってきた。

 その他、気づきを得たことをメモ。

 そのそも島じまを統合する名前などなかったから、ヨーロッパ人が命名したクック諸島を国名として使用している。この感覚は島人らしいと思う。

 「南国の楽園幻想」には、「ポリネシアの性の解放感」のイメージがつきまとった、とある。このことは、観光ブームだった頃の与論も同じで驚いた。つまり、「南国の楽園幻想」には性が含まれているわけだ。

 「青色だけが不自然すぎるほどに優位な世界」。これも与論と同じだ。

 ポリネシア人は、「おそらく社交性の豊かさでは、どの民族にも負けないだろう」。これは不思議な点で、島であれば人見知りのはずだが、どうしてそうではないのだろう。人見知りの反転形なのだろうか。

 イースター島のモアイ像は、ひとつのタイプでポリネシア中にモアイを彷彿とさせる彫像があふれている。クック諸島の男根を強調するタガロア像もそう。つまり、ニューアイルランド島のマランガンのような祖先像ともつながるのだろう。

 日本語にもオーストロネシア語族の要素がある。子音と母音、あるいは母音だけでひとつの音素を構成する日本語の発音体系は、まさにオーストロネシア語そのものといってよい。

 角田忠信は、虫の音を言葉として聞くのは、日本人とポリネシア人だけ書いていたが、オーストロネシア語の特徴でもあるということか。すると、琉球語もその範疇にあることになる。

ともかくポリネシア人の目には、日本人などのアジア人、ことに日本列島の南部の人たちは自分たちに非常に近い人間と映るようだ。ひとつの民族が経験した遠い記憶とか、民族間の系譜関係のようなものが、他民族を見る遠近感のなかにみごとに生きている実例といえよう。

 なるほど!

そもそもポリネシア人の宗教観では、天に生まれたり天に還ることはない。人間という存在、海に生まれ海の彼方に還るものと考えられてきた。あるいは地中で生まれ、ふたたび地中に還るものと考えられてきた。これは同じこと。なぜなら地中深くにも海がある、つまり自分たちの島は浮き島であると信じられてきたからである。

 他界の地下と海上の二重性は、「浮き島」によって矛盾を解消されている。これがポリネシア人の見解なのか、片山の解釈かは分からない。

 伝承では、そのほかに遺体をカヌーで海に流したり、岩盤の穴に落としたり、樹上に放置したりする埋葬法があったという。しかし考古学では確認できない。

 海上他界観を持つから、樹上葬があったという伝承はその通りなのだと思う。彼らの祖先はポリネシアに拡散した時、すでに焼畑農耕の技術を持っていたのだから、原郷の地の他界観も携えていたということだ。つまり、島の歴史は浅くても、その思考は深いということだ。これは、与論島にも当てはまる。

 ニュージーランドのポリネシア人でも相当に流行していたようだ。螺旋模様の入墨を顔一面に彫った人物画が多く残っている。ここでは入墨はタタウではなく、モコと呼ばれた。
 モコとは、ポリネシア語の本来の意味はヤモリとかトカゲである。トカゲが入墨を意味するように転訛した理由は定かではない。おそらくニュージーランド・マオリの入墨のパターンが、そもそもヤモリなどの図柄を様式化したものであったからだろうか。

 片山さん。それは、入墨が霊魂やトーテムを指したからではないでしょうか。

 気になるのは、片山は「そもそもポリネシア人の宗教観では、天に生まれたり天に還ることはない」としているが、棚瀬襄爾の『他界観念の原始形態』では、天上と地下が対置されているのがポリネシアの特徴だった。マンガイア島もそうなのだ。そして、天上と地下が対置される場合、社会階級によって天上と地下が分かれること、この文化複合は種族の混合があったためだと考察されていた。片山の話題はそれに触れられていない。それは、触れていないだけなのか、ポリネシア人は単色な民族で、二重の他界は、同じ種族内の階級化から生まれたものか、それが疑問点として残った。

 cf.『ポリネシア人―石器時代の遠洋航海者たち』


『ポリネシア 海と空のはざまで』


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