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2015/07/02

『沖縄の自己決定権』

 この本は、「琉球処分」の過程が詳細に載っており、「沖縄の自己決定権」について、25人の学者などの声も寄せられているので刺激的だった。

 ふたつ、提案したいと思う。

 ひとつは琉球新報社の代表、富田詢一の書いたものから喚起されたことだ。

 子どもを里子に出して、子どもはつらく苦しい思いをしているのに、その里子に出した日を、親が主権回復の日として祝う。毎年やる予定だったはずだが、沖縄県民の強い反発にあい、式典は一回きりである。
 われわれは四三年前に、戦後のアメリカによる占領下で、父と頼り、母と慕った祖国に帰りたいと日本への復帰運動を展開して、ようやく祖国に帰ることができた。しかし、帰った祖国は、思い描いた祖国ではなかった。

 「復帰」について、本土を父母に喩えたのは知っているが、「里子」の比喩は、2013年の4月28日に予定していた政府主催の式典について述べたものだ。提案のひとつは、対日本(国家)の関係において、親子の比喩を使わないということだ。それは、「騙され続けた「琉球処分」」という言い方から採れば、騙され続けないための要件だと思う。騙され続けないために、言い換えれば、相手を等身大で捉えるために、必要だと思える。

 もうひとつの提案は、「琉球処分」に関する認識について、だ。「琉球処分」は、1872年の琉球藩設置から1879年の沖縄県設置までを指している。しかし、ここには同時に1879年の「鹿児島縣大隅國大島郡」設置も併走している。「琉球処分」には、大島処分とも言うべきものが同時に行われたのであり、「琉球処分」の概念には、まるで奄美の直接支配の隠蔽がそのまま延長されたように、大島処分が隠されている。

 1872年、第一回目の鹿児島官員の派遣の際、琉球側は「一六〇九年の薩摩侵攻の際に薩摩の領土にされた奄美五島の琉球への返還さえ期待したとあるように、「奄美」も琉球国の一部という認識を、琉球側は持っていた。

 また、「琉球処分」後、日清修好条規の改定を睨み、琉球分割が画策されたとき、日本側は奄美諸島と沖縄諸島を日本領、先島諸島を清国領とする二分割案を提示に対し、清国は、奄美諸島を日本領、沖縄諸島は琉球王国、先島諸島は清国領とする三分割案で応答している。この分割案のなかにも、奄美諸島は俎上に乗っている。

 こうした「琉球処分」前後の動きを見ても、「琉球処分」は沖縄諸島と先島諸島に下されただけではなく、その陰で、奄美諸島にも下されているのだ。

 この「琉球処分」という表現に対して、地元からは、「琉球併合」であるという捉え直しが行なわれているが、そうであればなおさらそこに、「琉球併合」は、奄美も含まれるという視点がほしい。

 「琉球処分」の間の「奄美」側の動きは、黒糖まみれだと言っていい。

 1873年 県、大島商社設立(黒糖の専売)
 1874年 大蔵省、「大島県」設置構想
 1875年 丸田南里の帰国(以降、砂糖自由売買運動の展開)
 1878年 勝手世運動による大島商社解散
 1879年 新大島商社開業

 要するに、沖縄、先島での「琉球処分」の過程は、「奄美」では黒糖をめぐる鹿児島県と国の争奪戦として展開された。1879年の「鹿児島縣大隅國大島郡」設置は、県による黒糖権益を確実にするものだった。これはまるで「琉球処分」の過程とは異なってみえるかもしれない。しかし、これとて、薩摩による1609年以降の奄美の直接支配の継続が織り込まれたものであり、「琉球国」を否定された流れのなかに位置づけることができる。仮に、当時の島人はそれどころではなかったとしても、後世にいるぼくたちは、こうした捉え方をする自由は持っているはずだ。
 


『沖縄の自己決定権』


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コメント

喜山さんが書いていただいた琉球処分の年表に盛り込んだ「奄美」をの年表に乗っかるようで恐縮ですが、個人的に薩摩処分とも思える西南戦争の年表も盛り込ませてください。

--------------------------------【薩摩】-----------------------------------
 1873年 明治六年政変による西郷隆盛の鹿児島下野
 1874年 廃刀令、武士の棒金などの特権廃止
 1876年 萩の乱・神風連の乱の勃発
 1877年 大警視川路利良による中原尚雄ら(鹿児島に対するスパイ)の派遣。2〜9月がいわゆる西南戦争。西郷隆盛自決、県令大山綱良斬首。
 1878年 大久保利通暗殺

--------------------------------【奄美】-----------------------------------
 1873年 県、大島商社設立(黒糖の専売)
 1874年 大蔵省、「大島県」設置構想
 1875年 丸田南里の帰国(以降、砂糖自由売買運動の展開)
 1878年 勝手世運動による大島商社解散
 1879年 新大島商社開業

--------------------------------【琉球】-----------------------------------
 1875年 松田道之、冊封の廃止などの通達の命を帯び琉球へおもむく
 1876〜1877年 度重なる松田道之の琉球への派遣による一連の琉球処分
 1878年 琉球処分に対する明治政府への清国の抗議


明治六年政変(1873年)での西郷隆盛の鹿児島下野以来、中央集権を急ぐ明治政府による薩摩、奄美、琉球に対する強攻策が次々に実行されます。
これは琉球処分という沖縄だけの問題だけでなく、奄美はもちろん、薩摩すらも処分した「南国処分」と言ってもいいぐらいの大がかりな地域処分が行われた時代だったという印象が湧きます。

僕がそう感じるのは、鹿児島で生活しているとまま西南戦争の西郷方に従軍した先祖を持つ人がいます。そういう人の歴史に対する感情は、明治維新を成し遂げた薩摩の人間ではなく、中央政府に内戦してまで抗った「被害者」というような心情を垣間見るような瞬間があるからです。

奇しくも、日本の歴史の中で最後の内戦は鹿児島で起きました。
現在の沖縄の問題がこじれ、直近の内戦が沖縄で起こることがもしあるならば
この「南国」という地域全体の悲劇だと思います。

投稿: syomu | 2015/07/02 08:29

syomuさんならではの視点ですね。

「西南戦争の西郷方に従軍した」方の末裔は気になります。奄美の島人も従軍しましたし。どなたかの手記なり、心情を語った本など、ないものでしょうか。

投稿: 喜山 | 2015/07/03 06:00

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