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2015/07/01

沖縄の「忘却」から想起へ

 高江洲昌哉は、「近代日本の「文化統合」と周辺地域―「奄美」を事例にして」(2015年)において、市民社会の「包摂と排除」を、近代国家における文化統合と地域間関係の側面から捉えている。

 文化統合における「国民化」の政策は、実際には「皇化」だが、1874年の政策的テキスト「南島誌」には、

 1)古くからの版図であるにもかかわらず「内地ト気脈」が通じていない。
 2)そこで、改めて「皇化」を及ぼす対象になっている。
 3)「いと撫」するために、沖縄や植民地での旧慣調査とつながるような調査が必要である。

 と位置づけられる。

 これに対し、「奄美」自身は、昇曙夢が『奄美大島と大西郷』で、「殊に言語の如き、日本内地では既に国学者の間にすら意義が全く解らなくなつてゐる古代和詞が、大島や琉球では現に生きて使われてゐるので、時として我が学会に意外な発言を齎すことがある」と「原日本」としての「奄美」を見出すことになる。

 もうひとつ、昇の書名に示されるように、

 西郷隆盛は「奄美」と日本を結び付ける重要な人物(概念)として位置付けており、西郷顕彰は「奄美」と日本を架橋する実践であったといえよう。

 皇化(国民化)に対し、奄美自身は、「原日本」として「奄美」を位置づけ、西郷によって「奄美」を日本に接ぎ木しようとした、ということになる。

 これが文化統合の側面だとしたら、地域間関係はどうか。高江洲によれば、それは「奄美」―鹿児島関係と「奄美」―沖縄関係として表すことができる。それを詳細に言うと、「奄美」―鹿児島関係は、鹿児島との「序列意識」と薩摩を見返す「逆転願望」、そして「奄美」―沖縄関係は、「忘却と同胞意識」と言うことができる。この、対鹿児島の「逆転願望」のところで、ふたたび西郷隆盛は顕彰される。「先生は、島の為に精神的にも救世主であらねばならぬのである」(『西郷隆盛と沖永良部島』)というわけだ。「奄美」にとって、西郷は本土への接ぎ木の要であるとともに、鹿児島に対する「逆転願望」の象徴という二重の役割を担っていることになる。

 高江洲は、「"排除の構造"を好転させるにはどうすればよいのか」、「同質性を前提としない我々意識の共有は可能か」という問題意識で書いているので、それに対して繊細さを損ねてしまうかもしれないが、「奄美」-鹿児島関係には、「序列意識」と「逆転願望」の他に補っておきたいことがある。

 対鹿児島の「序列意識」には反薩摩意識が沈殿している。揶揄に使われた沖縄の"居酒屋独立論"になぞらえれは、"居酒屋反薩摩論"とも言うべきものだ。居酒屋と形容したくなるのは、反薩摩論は、文字化された途端、希釈されるからだ。それに代わって不思議なことに、反琉球意識が頭をもたげてくる。それは、直接的には琉球王国が「奄美」を武力によって版図化したことを指示するのだが、これは薩摩の琉球出兵が、現在に連なる問題を構成しているのに比べて、非常に理解しにくい。ぼくの理解では、言ってみばこれは、抑圧された反薩摩意識が、対沖縄へと転移されたものだ。「奄美」自身が、いちどは自分の発想の根を洗い出すために、直面すべき課題だとぼくは思う。

 対鹿児島関係における「序列意識」と「逆転願望」と、対沖縄関係における「忘却と同胞意識」には、同時に反薩摩意識の対沖縄への転移が潜んでいる。

 ここから、「奄美」という表記から括弧を解除して、与論島の立ち位置を確認しておきたい。まず、対鹿児島関係における「序列意識」と「逆転願望」のうち、「逆転願望」は削除され、対鹿児島関係における「序列意識」のみ残るだろう。「奄美」で濃厚とされる西郷信仰は、与論島には西郷が来島しておらず皆無と言っていいもので、それを梃子にした「逆転願望」のような気負いも見られない。与論人は西郷精神の及ばぬ化外の民なのだ。

 また、対沖縄関係においては「忘却と同胞意識」のうち「忘却」が削除される。与論島とて本土を向いていたのに違いはないとはいえ、いつも視野のなかに沖縄島を見ている与論では、「忘却」を特徴として言うことはできないだろう。

 そこで、与論島における地域間関係は、対鹿児島の「序列意識」と対沖縄の対鹿児島の「同胞意識」と言うことができる。

 ここで、「奄美」に対して与論島が寄与できることがあるとすれば、対沖縄の「忘却」に対する想起である。「序列意識」に対しては与論島が積極的に何かをするまでもなく、大島を中心にした奄美大島文化のポップ化を経由した流れが「序列意識」の解消をある程度は可能にしているように見える。

 高江洲は、「「包摂」と「排除」を可能にするには、私たち一人ひとりがマイノリティとの関係性やマイノリティ性などを「忘却」し、"創造された"マジョリティへの同一性を共有することで「包摂」と「排除」を行ってきたのではないか」と指摘する。沖縄の想起は、「排除」の解消につながるのだと思う。

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