「焚字炉」と「御字拝み」
井谷泰彦は、『沖縄の方言札』のなかで、沖縄の文字信仰について触れている。
それは、「明治以前に琉球全土に広がっていた」もので、「球陽」にも記されている。
本年、焚字炉ヲ創建ス。冊封正使林鴻年、国ニ臨ムノ後、国人ヲシテ焚字炉ヲ設ケテ字紙ヲ敬惜セシメント欲シ、特に字紙ヲ惜ムヲ勧ムノ文ヲ賜フ。即チ国中ヲシテ場を察シ、焚字炉ヲ設ケ以テ字紙ヲ敬セシム
文字や紙を敬い惜しむ。そのために焚字炉を設けて、もって字紙を敬わせる。
びっくりするが、井谷は、道教には「敬箋」という文字に対する信仰があり、明治以前は文字を書いた紙片を踏みつけることは決してなく、道に落ちた紙は「焚字炉」に投じた。一つ投じると一つ善根を積んだことになったという解説を引用している。これは東アジアに古くから広がる古代的な文字信仰の残滓であると井谷は書いている。
井谷は「方言札」を論じるに当たり、文字信仰に触れいてるのだが、ぼくには別の意味で驚かされる。文字は神だったのである。来訪するものをすべからず神とみなす、まれびとコンプレックスのもとでは、文字の受容も同様だったに違いない。そう考えてきたが、やはりそうだったということだ。
名護市役所には、「御字拝み(みじうがみ)」という儀式があった。17世紀から18世紀にかけて生きた琉球氏族、程順則の没後に始められたとも言われる。沖縄戦で中断されたが、戦後も復活した。拝んだ「御字」とは、程順則が書いた「六諭(りくゆ)」という文字だ。「六諭」自体は、14世紀の明、洪武帝が宣布したものだ。
孝順父母
尊敬長上
和睦郷里
教訓子孫
各安生理
毋作非為
戦前から名護の役場に勤めていた比嘉親功は、「私は書いてある文字の意味はわかりませんでしたが、御字は〈読む〉というより、皆が心を清めて『聖人、名護親方の字を拝む』ということが大事であったように思います」(一九五五年談)と話している。(『名護市史 本編 6 (教育)』)
ぼくたちは、ここにも文字信仰の現われを見ることができる。道教の影響はあれ、ここには、まれびとコンプレックスが底流しているのを見ることができる。
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