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2015/07/15

『グスクと按司〈下〉』(来間泰男)

 来間泰男は、『グスクと按司〈下〉』で、按司は武士ではないし、琉球王国は内発的に生まれたのではないと書いている。

 来間が共感を寄せ紹介している池田栄史の議論と来間の考えを記そう。

 6世紀、古代日本の土師器の影響を受け、奄美諸島で兼久式土器が生まれる。その影響で沖縄諸島でもくびれ底土器が生まれる。奄美大島北部や喜界島では日本の古代国家の働きかけを受け、社会の階層かや貢納組織の編成が進む。この頃、日本の古代国家は、西の境界領域をあいまいがならキカイガシマ、イオウガシマと称しており、キガイガシマと呼ばれる行政機関も設置していた。

 11世紀に入ると変化が生まれる。ヤコウガイやホラガイなどの南島物産の調達のために、大宰府などの公的機関や八郎真人のような私的商人が動く。この調達先は、宮古、八重山まで拡大され、琉球列島全域において、文化的社会的変容が引き起こされた。この変容は、「外部すなわち日本からの働きかけ」によるものだった。

 外来集団は日本からの集団だけでなく、その系譜につながる人々、いずれかの地から移動させられた人々、それぞれの島で徴用された人々を含む集団だ。

これらの拠点の人々は世代を重ねるに連れて、しだいに土着的要素を強めていったと考えられる。また、並行して沖縄諸島および宮古・八重山諸島では従前から居住していた、狩猟・漁撈・採集を生業とする人々の取り込みを進め、一三世紀に入るころにはそのほとんどを取り込んだと考えられる。このことは沖縄諸島において、グスク土器と併存していた、くびれ平底土器が一三世紀にはほとんど姿を消すことからも首肯される。在地の人々の取り込みは南島物産の量的増加と安定的供給、さらには農耕による食糧生産の拡大と、これによる人口の増大を生じさせるとともに、沖縄諸島や宮古・八重山諸島へ移動した人々と、従前から住んでいた人々の融合と、階層化を進めたと考えられる。ただし、この場合、外部から移動した人々の中に存在した階層性を基本としたことが推測される。(池田栄史「琉球国以前-琉球・沖縄史研究におけるグスク社会の評価をめぐって-」『日本古代の地域社会と周縁』
   来間の主張を列記する。

 琉球王国は外部の力、とくに中国(明)によって、しかも「倭寇」の活発な活動という状況のなかで「つくられたもの」だ。按司も武士ではない。

按司は地域の有力者ではあろうが、武力の日常的な鍛錬者であり戦闘のプロ集団である「武士」ではなかったろう。「人を殺す」という行為は、尋常な人間に普通にできることではない。その意味で、日本中世でも「武士」は恐れられ、敬遠される存在であった。日本史では一二世紀後半に至って、その武士が権力の中枢に駆け上がったが、それは彼らが荘園の実質的な経営者となり、「領主」となることと対応していた。したがって、さまざまな起源を持ちながらも、結局は「武士は領主となる」のである。
 沖縄の歴史には、荘園も現われないし、領主も現われないし、武士も現われない。琉球王国の成立は、農耕・農業の発展を基礎において論じることはできない。その発展から階級が分化していったのではない。国家が成立したのではない。琉球王国は、もっぱら外部(具体的には中国・明)からの働きかけによって「国家」として生まれたのである。そこにはまだ「官僚機構」もなく、その下での「武官」もいなかった。住民を上から支配する仕組みもなかった。租税は徴収されていなかった。王国成立の初発においては、中国人の主導と下支えが不可欠であった。

 両者の議論はともに共感する。正直いえば、沖縄の内部からこうした議論が出ていることに安堵した。

 来間は、大城立裕が、「沖縄人ののんびりさ加減は、たんに南方的だということのみではなく、やはり封建的な近世社会をへていないために、生産向上の努力を鍛えられていないのである」と書いていることに触れ、

やはりこのテーマは、現代を論ずるのに不可欠なものである。

 としているが、ぼくもそう思う。「生産向上の努力を鍛えられ」る必要があるとは思わないけれど、歴史的経験を欠如させているという意味において。

 最後に、来間は「琉球古代」という概念、フレームワークを提案している。

 グスクが城塞・城砦・城郭ではなく、按司が武士ではないとなれば、グスクや按司によって時代を語ることはできなくなる。つまり「グスク時代」も「按司時代」も、時代を表す用語としては無意味にある。
 そこで、私は「琉球古代」という用語を提案するものである。

 ぼくも、これに半ば賛成だ。

 樋泉岳二が、「脊椎動物からみた琉球列島の環境変化と文化変化」(『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』)で示している脊椎動物利用の変遷図をみると、貝塚時代にはほとんど魚類であるのに対して、グスク時代に入ると、ブタ、ニワトリ、ウシが出始め、近世には、目見当で、魚類:ブタ:ウシ・ニワトリ等=4:3:3 になっている。ウシが穀類農耕の普及に伴う需要の高まりに応じたものかどうかは今後の課題だとしている。

 一方、黒住耐二は、「貝類遺体からみた沖縄諸島の環境変化と文化変化」(同前掲)において、グスク時代に入り、貝類遺体が激減することを指摘している。「貝類利用の極端な低下は、農耕従事による社会的な制約の可能性が高い」と考えている。

 
『グスクと按司〈下〉―日本の中世前期と琉球古代』

『日本古代の地域社会と周縁』

『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』


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