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2015/07/26

「解離論の新構築」(森山公夫)

 森山公夫の「解離論の新構築」について、「シャーマニズムと狂気」と重なる部分は除きながら、見ていこう(『解離の病理―自己・世界・時代』)。

 ヒステリーは、森山の観察によれば、1995年以降、「解離」、「身体化障害」という新たな名のもとに還ってきた。

 「解離」、「つまり人間一般に潜む「遁走と憑依」の原初的体験の背景にあるのは、(中略)「母体的なところ、原始的な心性」に帰ること、およびその裏面である「母親から離れる恐怖と寂しさ」に帰着すると考えることができる」。

 「母親ないし母親代理存在の喪失を基にした「憧れと寂しさ・恐怖との体験」が、軽重さまざまな形態であれ、人を解離様世界へと誘う」という視点が、「解離論の出発点」。

 森山は、シャーマンの錯乱(狂気)を「原狂気」として、「癲癇(てんかん)・解離」に通底する特徴を持っていると考えたい、としている。

 脱魂と憑依の対が実は、病的解離における「遁走」と「多重人格・憑依」の対に相当することは、よく見れば明らかである。諸精霊や神々を求めて飛び立つ脱魂は、原母的なるものを求めて脱出する遁走に通底し、諸精霊や神々がシャーマンに憑く憑依は、原母性の不在による寂しさ・絶望に怯える人が原母性を代理する存在(人・動物など)に取り憑かれる憑依・多重人格に通底することは明らかである。

 ぼくにとっては、脱魂と憑依の対応が見いだせたことが学びだった。

 ・解離性障害:トランスという変性意識状態を基盤に遁走(フーグ)と多重人格(憑依)を両極とする形

 ・解離性遁走:絶対的孤立(「居場所の喪失」)によるトランス下で「失われた母性」を求めての彷徨
 ・多重人格:絶対的孤立(「居場所の喪失」)の中で「母性喪失」の欠落を補完する

 これらは対幻想の障害として理解される。躁鬱病は個的幻想の障害(森山は農耕社会になって発現すると書いている)、統合失調症は共同幻想の障害。

 解離性離人症の特徴は「体外離脱体験様」。これは遁走にも言えて、「観察者自分から離れた当事者自分が飛び回るのが遁走だ」。解離の離人症は、「遁走・多重人格の原初的姿」。

この離人が進行し独自な形をとったのが体外離脱的体験である。その状況がさらに悪化し、孤立と生リズム崩壊がより進む時、病状としての自己解体も進行し、遂には遁走・多重人格の成立に至る、といえよう。

 こうした体外離脱体験は、臨死体験など、人間生活の例外的局面にもよく現われる。


 本当は、遁走が男性に多く、多重人格が女性に多いのはなぜなのかを知りたくて論考に当ったのだが、それには触れられていなかった。けれど理解に厚みを持たせてくれる内容だ。離人が進行すると、遁走・多重人格を生む。これを技術化したのがシャーマンだ。一方、臨死体験での体外離脱体験は、他界の内実を示唆した。ユタが死の世界を扱うのも頷ける。

 


『解離の病理―自己・世界・時代』

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