「先史琉球列島における貝製品の変化と画期」
琉球弧の貝活用について、山野ケン陽次郎の考察を辿ってみる(「先史琉球列島における貝製品の変化と画期」-貝製装飾品を中心に-」『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究』)。
1.貝製実用品の登場
絶対数は少ないが、爪形文系土器とともに、鏃状貝製品が出土している。
2.貝製装飾品の登場
少ないながら装飾品が出土している。トカラからは、貝輪、小玉、貝匙、螺蓋製敲打器、沖永良部島から小玉、貝匙、螺蓋製敲打器、刀器。沖縄島から貝輪等。
3.南島貝文化の盛行期
実用品、装飾品ともに盛行。
・獣の牙やサメの歯、動物の姿を模したような具象的モチーフを持つ貝製装飾品。貝輪。
・貝殻の造形を活かしながら穿孔を施して装飾品とした貝製玉類。
・鏃状貝製品、螺蓋製敲打器、刀器、貝匙の他にも、漁網錘と推定される。
・スイジガイ製利器、ホラガイ製煮沸具、少量ながら錘状貝製品や釣針状貝製品。
人間の諸活動のあらゆる場面において貝殻が恒常的に利用されている。サメ歯状貝製品や獣型貝製品の初期のものは比較的写実的あるいは具象的な表現が認められるが、時期が下ると抽象化していく傾向にある(p.280)。
イモガイ科製貝輪が登場。「当該製品が、後続する時期に開始される「貝交易」の交易品として盛行することは留意すべき点である」。
4.南島海産貝輪交易
・腹面利用のゴホウラ製貝輪、イモガイ科製貝輪、指輪状貝製品。この時期は遺跡が海岸砂丘に立地するようになる。
5.広田遺跡との関連
種子島の広田遺跡に貝殻大量消費遺跡。従来は、この時期の奄美、沖縄の出土品は、広田遺跡の影響を受けたものとされてきたが、再検討が進んでいる。
新里貴之は広田遺跡にみられる貝製装身具習俗が九州・本州の首長層の装身具内容を情報として把握し、材質を貝で置換したものとみている(p.285)。
6.広田上層タイプの隆盛と南島貝文化の衰退
山野は、「貝製品からみると第1段階から㈹段階までの流れは変化と画期を持ちながらも連続的であり、その画期の背景にはサンゴ礁を主とする島嶼を取り巻く自然・地理環境を基盤とし」、と書いている。
貝塚前4期から前5期にかけての「南島貝文化の盛行期」は、定住の深まりを感じさせる。一方、比較的写実的あるいは具象的な表現が、時期が下ると抽象化していくのは、社会の流動化が背景にあるのではないだろうか。
島人は、珊瑚礁とともに、貝とともに生きてきたわけだ。山野のおかげで、交易によって見い出されたのは、貝ではなく貝文化だということが分かった。
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