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2015/07/12

「南海産貝交易」への視点

 黒住耐二は南海産貝交易について、面白い視点を提供している。

 出荷したゴホウラ等の対価としては、「三翼鏃(ぞく)・ガラス玉等」がある。稲作技術や穀類は確認できず、絹等の織物や液体等も確認されていない。ところで、「三翼鏃(ぞく)・ガラス玉等」のいわゆる威信財は出土量として少なすぎるのではないか。墓域、住居跡からの出土はほとんど知られていない。この状況自体、社会の階層化を示していないのではないか。

 一方、沖縄に残された貝類残滓は多いが、黒住はそれに「"出荷し忘れた"ものが極めて多いという印象」を持つ。黒住自身、異端的な考えと断っているが、「"出荷し忘れても、根本的に困ることはなかった"と考えることはできないだろうか」と言うのだ。

 つまり、社会の複雑化は確実に存在するものの、「交易品のゴホウラ等は"威信財・食用穀類等の多大な見返りを期待した物品とは考えにくいのではないか"」。

もちろん、ゴホウラ等は別集団に渡っているわけであり、交流自体は当然存在している。そうだとすると、通常イメージされる交易とは異なった一方通行的な関係だった可能性もある(p.62)。

 それではなぜ、ゴホウラのような得にくいものを渡したのか。黒住は「ある種の贈答品」と見なしている。

贈答に対する極めて大きな見返りはなかったかもしれないものの、長期的な"互恵的な関係"は強まると考えられよう。

 貝交易の時代、沖縄の人々は貝を採り、集めることに執着している。貝交易が衰退した時期は、「貝交易時代の熱気が冷め、安定したサンゴ礁地域の環境で暮らしていた時代だったのではないだろうかとも想像している」。

 この視点を面白く思うのは、「出荷し忘れる」、「贈答品」、「貝を採り、集めることへの執着」、「熱気の冷め」ということが、島人らしい姿を見せていることだ。黒住の言うように、約5000年間、グスク時代のある意味での強制を受けるまで、漁撈-採集生活を島人は続けていた。自然の贈与は、本土が森を根拠にするのに対して、琉球弧ではその役は、海、なかでも珊瑚礁からもたらされた。この安定は、交易者に対して、贈与をもって対応したとしてもおかしくない。むしろ、ありそうな姿だと思える。「南海産貝交易」というけれど、黒住が、「ゴホウラ等は別集団に渡っているわけであり、交流自体は当然存在している」というように、琉球弧の側にしてみれば、「交流」だったのかもしれない。

『琉球列島先史・原史時代における環境と文化の変遷に関する実証的研究: 研究論文集』


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