『朝鮮・琉球航海記―1816年アマースト使節団とともに』
ベイジル・ホールの『朝鮮・琉球航海記』は、異人に対する島人の歓待ぶりが書かれていて心を和ませてくれる。ぼくたちの心の動きと地続きなので、思わず感情移入してしまう個所がいくつもあった。
1816年 ベイジル・ホール(イギリス)
1844年 フォルカード(フランス)
1853年 ペリー(アメリカ)
この三者の琉球体験は、一世紀という期間に収まるなかで行われているが、まるで違ったように感じられている。「解説」によれば、フォルカードは「ホールの記述には批判的であった」といい、ペリーは「ベージル・ホール艦長の記述は単なる物語に過ぎない。即ち歴史的真理について対して厳密でない一著作家の創作的頭脳からの産物である」と酷評している。
この間、ペリー来航直前の1848年には、「異国人への返答の心得」が琉球王府によって作成されているので、ペリーに対しては、応対のかたくなさは増してはいるが、逆に、ベイジル・ホール、フォルカード、ペリーの順に、琉球に対する態度も高圧的になっているのも確かだ。つまり、彼らの態度が、島人の素顔を見せない要因にもなっている。それは、国王への謁見がかなわないと知るや諦めるイギリス艦隊の艦長と、断られても、首里王府までの行軍を威圧的に強行するペリーの態度に顕著に表れている。アメリカの押しつけ癖は歴史的なものだ。別の面からいえば、国家を介さなければ、人間はすぐに打ち解けあうものだということも分かる。(cf.『幕末日仏交流記』)
一行に対する島人の歓待ぶりは、わずか一ヵ月半弱のあいだに二艘の軍艦に贈られた物品を見ても分かる。
去勢牛 27
豚 33
山羊 22
鶏 318
魚 41
鶏卵 1375
薩摩芋(袋入り) 86
カボチャの一種 48
焼酎の壺 9
オレンジ(籠入り) 13
ジンジャー・ブレッド 11
玉ネギ 24
二十日大根 42
セロリー 17
ニンニク 12
ロウソク 10
薪 24
カボチャ 90
素麺(籠入り) 10
砂糖(箱入り) 3
捺染の布地(巻いた反物) 21
紙(束) 9
冊封で慣れているとはいえ、またこの裏面で、ふつうの島人は苦労させられているとはいえ、これは島人の贈与的態度の現われであることは疑えない。
風習のなかで、ベイジル・ホールの興味を引き、ぼくもやってみたいものだと思ったのは、ピクニック気分のようなものだ。
われわれが交わりをもった人々の生活の様式は、自由闊達であった。なかでも御馳走を箱に入れて持ち歩き、ピクニックの小宴をはる慣習は、とりわけ心魅かれるものであった。土地の人々は、このようにして集うことの意義をよくわきまえているようであった。そしてわれわれがこのような無礼講に即座に対応し、仲間入りするのを見て、きわめて満足しているようであった。
また、この辺が、フォルカードの態度とも異なる点なのだが、ベイジル・ホールは島の言葉も記述していて楽しい。
しかし、食卓にタルトが出されると、最初のうちはなぜか理由もいわずに、手を付けるのを拒んでいた。ところがついにそれを味わってみるようにと説き伏せられて、口に入れるやいなや、「マサ! マサ!」(うまい! うまい!)と叫んだ。この菓子はスコッチ・マーマレードで作ってあったが、次良は友人たちにむかって、それが「ニジャサ、アマサ」(苦くて甘い)と説明していた〔原文 injassa, amasa. インジャサは誤記であろう〕。こういう苦さと甘さという組合せは、これまえ経験したことがないらしかった。
与論語の感覚から注記しておけば、「インジャサ」はそのまま通じるもので、誤記ではない。
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