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2015/07/24

『シャマニズムの淵源を探る』と『葬墓制』(鈴木克彦)

 『シャマニズムの淵源を探る』(鈴木克彦編、弘前学院大学地域総合文化研究所 2014年)は、考古学からのアプローチだ。

 鈴木は、北方のシャマニズムを参照し、縄文時代にアニミズムと比べ、「人々は、もっと発達した形而の神観念を持っていたと考え」、「縄文文化にシャマニズムが実存する」としている。

 詳細にたどる余裕がないので、核心的な箇所を引用する。

土偶は、天地、動植物などの万物神や形而の観念による神を、人間の姿に似た存在として確信したときに作られた信念の創造物と考える。そういう神々を背負いシャマンの働き掛け、助け(例えば憑依)により、天(宇宙)の神と直結する存在の唯一の神が土偶であろう。
 その世界観は、自然界の法則(生物、無生物の精霊)と死霊観(霊魂)にあると考える。また、縄文文化の葬法の原則は遺棄葬(風葬)であり(鈴木克彦二〇一〇)、死霊が地下にあると考えるのは埋葬を意識した現代的な考え方であり、風葬は他界観と密接な関係にある。また、縄文文化の信仰に係わる他の石棒、石刀などは何らかの形而の観念による神の依り代であり、動物形は狩猟文化の動物儀礼つまり豊猟の安全を祈る狩猟儀礼の動物信仰を物語り、人形と同様に動物の魂を具象化した習俗の造形物と考える。

 鈴木は、「土偶」の背後に「神」の観念を見ている。しかも、神を「人間の姿に似た存在として確信したときに作られた」としている。こうした神観念は、人間を自然から分離したときに現れる相当に新しいものだと思える。それを、土偶全般に該当させるのは無理があるのではないだろうか。一方、「縄文文化の葬法の原則は遺棄葬(風葬)」であるとしているのは、共感できる。

 葬墓制について、鈴木の問題意識をもう少し追ってみる。

事実として縄文時代約1万年余間に想定される延人口(1億人位?)である死者の累積数と同等数の墓が発見されているわけではない。
 考古学は、この乖離の現実を直視していない。逆説的に言えば、現実に縄文時代において把握されている墓数から推して人は必ずしも一様に墓穴に埋葬されておらず、それ以外の弔葬があったと考えねばならない。縄文時代の弔い行為に可視的な竪穴の造墓という形態のほかに、発想を転換して民族誌にみる風葬、水葬など(大林 1965)不可視的な非造墓という葬送形態もあったと考えるべきであろう。(「縄文時代の葬墓制研究の諸問題」『葬墓制』、2010年)

 この指摘は、ぼくたちの視点にも重なるものだ。

 「東北北部では9割以上の墓抗に人骨が出土せず、化学分析でもその片鱗さえ認められない」。「有機物ゆえに日本の酸性土壌では溶けて消失する場合が多いとされてきたが、少量の遺骨改葬なら有り得ても、そういう合理的解釈だけが果たして真実だろうか」。

 推定延人口と墓数の現実を直視すれば、時期差、地域差はあるとしても縄文時代の葬送の主体は遺棄葬や改葬ではないかと考える。改葬による部分的な少量の遺骨が土壙墓や土器利用の設備墓に埋葬されることが多いが、入れられたのは毛髪などの形見で、当初から遺体、遺骨が入れらていなかった可能性も考えるべきである。とすれば、人骨が遺存している実体墓こそが特異なものであった可能性が生じ、従前の考え方が大きく転換することになり、縄文時代の葬法および葬墓制を根本的に考え直す必要が生じよう。

 「縄文時代の葬送の主体は遺棄葬や改葬ではないかと考える」という指摘も、太平洋の葬法をモデルにしてきたぼくたちにとっては、日本の本土に適用できる可能性を示唆するものだ。

 認識が異なるのはどこか。

遺体を海川に流し山に遺棄する弔葬は、野蛮で倫理無きものでなく、埋葬や改葬とともに死してなお霊魂が存在すると考えていた文化の一形態である。

 「遺棄する弔葬」は、むしろ「霊魂」観念が存在しなかった段階に普遍的だ。

 埋葬規制とは、どのように遺体を安置し埋葬するのかという慣習、仕来りのことである。縄文時代には屈葬・伸展葬、仰臥・伏臥葬、甕被り葬など様々な埋葬風習があり、一般的には屈葬→伸展葬で、そこには背景にある信仰に基づく慣習などの意味を考えるべきである。
 民俗誌によると、諸民族の階層的な世界観に基づいて、天空、地上、地下の埋葬が行われている。天空を飛ぶシャマンの樹上葬はそういう世界観、地下埋葬(土壙墓)は地下他界観に基づき、アイヌ社会の埋葬頭位も死生観によって決められている。

 ぼくたちは、「屈葬→伸展葬」となるのは、遺棄葬をしてきた人たちが埋葬するようになったとき、伸展葬を行ったからだと考えてきた。また、樹上葬は、もともと天空に結びつくものではないと思える。オーストラリアでの樹上葬は、結びつく他界を持たず、むしろ再生とむすびつく。オーストラリアの方が古層だと思えるのは、そこに他界が存在していないからである。シャマンの樹上葬は、天界を生み出したとき、葬法はそのままで、その再生観念を保存させたものだと思える。オーストラリア東南部では、天界は伸展位埋葬に対応している。天界に対する葬法は一様ではない。


『葬墓制』


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