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2015/07/21

まれびとコンプレックス

 琉球弧でハイヌウェレ型神話の体裁を持っているものに、名瀬浦上の「女の作った御馳走」がある。

女の作った御馳走
 旅をしている若い侍がいた。旅をしているうちにいつのまにか夜になった。侍は泊る所を探すと、すぐ側に宿があり、年とった女の人がいた。侍が夕食をたのむと、その女の人は、暫く待って下さいといって、戸を全部しめてしまった。そしれこの戸をあけないで下さいとたのんで外へ出て行ってしまった。女が帰るのが遅いので不思議に思って侍がのぞいてみると、女は盛んに歯のくそ、目のくそ、目やり、鼻くそ、耳のくそなどを入れて御馳走を作っていた。侍はまったく驚いた。暫くして女が持ってきたのは、そんなものを入れたものと思われないほど立派なものだった。侍はしゃくにさわって女を殺してしまった。また不思議、女の口から米、鼻から麦、目から野菜、耳からは芋がすくすく生えたという。(名瀬市浦上、田畑英勝『奄美大島昔話集』)

 しかし、死体化生型の説話になているとはいえ、女は自分の分泌物から直接、有用なものを出すのではなく、「歯のくそ、目のくそ、目やり、鼻くそ、耳のくそなどを入れて」と、料理に混ぜることになっている。また、「女の口から米、鼻から麦、目から野菜、耳からは芋」と、「野菜」に限っては種類は特定されない。特に、女の身体が直接、有用物を生み出すのではなく、料理に混ぜてというところは、この神話の心が削がれており、説話が伝承される時点では、霊力の持つ意味は希薄化されてしまっていると思える。

 煙草の起こりも、ハイヌウェレの体裁を持っている。

 「思い草」
 たいへん仲のよい夫婦がいて、人もうらやむむつまじく暮らしていました。ところがふとした病気がもとで、愛する妻は死んでしまいました。夫は泣く泣く妻の野辺の送りをすませましたが、どうしてもなき妻を思いあきらめることができず、毎夜のように妻の墓場にいって妻の名をよんで泣き暮らしていました。ところがある夜、夫の夢枕になき妻があらわれていうのでした。
「あなたが、私を愛してくれるのはうれしいのですが、あまりに私を恋したうものですから、私は天国にのぼれないで中間の世界で迷っています。ですからもう、お墓にはおいでにならないでください。その代り、あしたの朝、墓にきてくだされば、そこにいままであなたのごらんになったことのない草が生えていますから、それを持って帰って大事に育ててください。その葉をかげ干ししてきざみ、私のことを思いだすときは、それに火をつけて吸ってください。」
 そういうと妻は消えて、夫は目をさました。夫は夜明けを待って、妻の墓にいってみました。ほんとうに見たことのない草が生えていました。その草を持って帰り大事に育てると、だんだん大きくなってきれいな花が咲きました。そこで、その葉をとってかげ干しにしてきざんで吸ってみると、いい香りがして、いままでのなやみが消え去り、心が安らかになりました。それ以来、夫は妻を思いだすごとに、その葉をきざんで吸うようになったのでした。それは今日の煙草の始まりです。そして、煙草のもうひとつの名を、思い草というのです。(採集地不明、長田須磨『奄美の生活とむかし話』
 「煙草の起り」
 一人娘を失った母が墓の前で泣暮していると、ある日娘の墓の上に見た事もない一本の草が生え、見る見る伸びて大きい葉を沢山出した。その葉を持って帰って、煮たり茹でたりしてみたが、苦くて食べられない。そのうちに葉が枯れてしまったので、それを竹の管につめて火を点けて吸ってみると、何ともいえない良い味で、どんな悲しいことにも気慰めになる。それが段々流行って誰も彼も吸うようになった。(柳田國男編・岩倉市郎採録『喜界島昔話集』

 情緒を喚起する印象的な伝承だけれど、琉球弧への煙草伝来は17世紀と考えられるので、かなり新しい伝承で、何かが煙草に置き換えられたことが考えられる。しかし、この二つの伝承とも、作物を出す人物は殺害されるのではない。

 大昔神が怒ってこの世を出てしまったため、この世は真っ暗になった。そこで七人のノトと一人のグジが今のイベヤマのところで神に祈ったところ、神はこの八人の前に現れ、八人は死んでしまった。しかし神は再びこの世に帰り、太陽も出て、もとの明るさにもどった。亡くなった八人の死体をそこに埋めて墓をつくったところ、七人の体から七本のクバの木が、グジの体からはウブの木が生えたという。(与路島、J・クライナー「南西諸島における神観念、他界観の一考察」『沖縄文化論叢〈第2巻〉民俗編』

 与路島の伝承では、殺害はされるが、殺すのは神である。

 人間以外のものから有用作物が生じるタイプもある。

 俵では、鯨の中に稲種が入っていたと伝承されている(伊藤幹治「奄美の神祭」)。
 宇検村の屋鈍部落と枝手久島との間の海底に、牛の横臥しているような恰好をした大きな瀬がある。仲間内でここをネリヤと呼んでいる。この附近は雑魚のよく獲れるところで、むかし宇検村の名柄部落の漁師がここで獲った雑魚の腹の中に稲種が入っていた。これは糯米の種で、蒔いて育てたところがかなりの収量をあげた。この稲種は魚の腹の中から出てきたので、イューゴロと称したと伝えられている(伊藤幹治「奄美の神祭」)。

 鯨や魚の腹の中からとされる。大林太良はこれをハイヌウェレ型と漂着型の結合形と見なしている(「南島稲作伝承の系譜」)。後藤明は、それと同時に、「人食い大蛇や鰐の腹に財宝が宿るという観念と通ずるものであろうと思う(p.218、「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話)。

 大林太良によれば、琉球弧の作物起源神話は、ハイヌウェレ型の他に、鳥がもたらした、持ち帰った、盗んだというモチーフのものがある。なお、記紀の神話以外、「後世の民間伝承においては、この形式の典型的な事例は本土にはない」という(「南島稲作伝承の系譜」)。

 さて、琉球弧に、殺害による作物生成という伝承が希薄であることが重要ではないだろうか。岩倉敏明は、「女を殺し、その屍体から産まれた価値物を享受する欲望」をハイヌウェレ・コンプレックスと呼んだが(「可食性の人類学」2014/07/19)、希薄な、殺害による作物生成伝承は、「母殺し」による原罪化の希薄さを意味するように思える。殺さない、けれど、死者の食人を行っていた。だから、「屍体から産まれた価値物を享受する欲望」のもとにはあった。

 代わって、鳥がもたらした、持ち帰った、盗んだとされる。死体である場合には、人間である以外にも、鯨や魚であり、むしろ有用なものは、鯨や魚で語られる。有用なものは、むしろニライ・カナイからもたらされるのだ。

 言い換えれば、自然に対する人間の優位性を打ち立てていないと言ってもいい。

 ぼくは、中山太郎の「人身御供の資料としての『おなり女』伝説」を思いだしてしまう。本土においては、おなり女は穀物生成の生贄として殺害されたという伝承が残っている。谷川健一は、「ヒルマモチは田植のときに弁当をはこぶ役であるが、オナリとも呼ばれる。神酒をかもす早乙女の十七は神に仕える巫女であり、また南島で言うオナリ神とみて差支えない」(『南島文学発生論』)と断言している。琉球弧のおなり女は、同じ神でも、殺されることはなく、制度に生きる神と化していった。このことは、殺害される女の神話の希薄さと深いかかわりがあるのではないだろうか。

ひと口に「神」の代りに擬人化され、命名されたすべての「自然」の事象と現象が登場し、「父」の代りに対乳児に反映された「母」の存在が登場しするところに、わたしたちの大洋のイメージがある。そしてわたしたちが設定させたいのは前意味的な胚芽となりうる事象と現象のすべてを包含し、母音の波をそのなかに含み拡張された普遍化された大洋のイメージなのだ。(「大洋論」『『母型論』』)

 「母」との関係は、吉本隆明の言う大洋のイメージが近いと思える。琉球弧の場合は、ハイヌウェレ・コンプレックスというより、すべての関わりにおいて受動的な「まれびとコンプレックス」とでも呼ぶのが相応しいのではないだろうか。

 

「物言う魚」たち―鰻・蛇の南島神話

『母型論』

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