マンガイア島の貝利用
生と死の分離、分離後の死者の他界への道行きについて示唆を与えてくれるマンガイア島について、五十嵐由里子の論考を助けに理解を深めたい。
cf.「ニライ・カナイ、地の底から海上への転位」、「他界への道を塞ぐ(生と死の分離の契機)」
マンガイア島は、ポリネシアのクック諸島の最南端に位地する。平均気温は、21度から27度。面積は、51.8K㎢、人口は2141人(1991年度)。与論島の面積は20K㎢だから2倍以上ある。地形は、中央部の火山円錐丘(169m)、それを囲む隆起サンゴ礁段丘(マカテア)。マカテアは、幅250-2000m、標高は70m。裾礁は幅が120-300m、最深部の深さが1m。これは浅い。
先史時代に確実に利用された貝は、マルサザエ、オオウラウズガイ、コオニノツノガイ、ムカシタモトガイ、リュウキュウヒバリガイ、シシガシラザル、シオオナミガイ、アラヌノメガイ、リュウキュウマスオガイの9種類。9種類の貝は、いまでも島民の重要な食用種。
遺跡の人びとは貝を採集するために、礁池の陸に近い部分から沖に近い部分まで、さらに干瀬から礁斜面にいたるまで、裾礁全体を利用していたと考えられる。(「先史ポリネシア人の貝利用--南太平洋クック諸島マンガイア島の先史遺跡から出土した貝殻遺物の分析」『エコソフィア (3)』)
ところでワイロガ遺跡の人は、遺跡近くの海岸(オアウ・トカテア間)で採集した。五十嵐は、「ではなぜ、人びとは限られた範囲の海岸で貝の採集を行ったのだろうか」と自問している。
沿岸の漁場が分割され、各区域が特定の集団に占有されている例が太平洋の各地でみられる。マンガイア島では、一九世紀ごろには土地と裾礁が分割され、各人が利用できる土地が厳密に定められていた。一九世紀のよな裾礁の分割がワイロロガ遺跡の時代にもあり、人びとが利用できる裾礁の範囲が定められていたとすれならば、約八キロメートル離れたカタンガヌイ海岸へも、また南へ約二・五キロメートル離れたテクル海岸へも貝の採集に出かけなかった、という可能性も考えられる。
この状況は、琉球弧からもよく理解できる。五十嵐の推測は当たっているのではないだろうか。
実は、アレマウク(Aremauku)という他界への出発点の地名の場所を知りたくて、当たってみたのだが、さすがに見当たらなかった。
cf.「Subsistence activities of prehistoric Polynesians : analyses of shell artifacts and shell remains excavated at prehistoric sites on Mangaia, Cook Islands」(五十嵐由里子、1999年)
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント