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2015/07/08

『ペリーと大琉球』

 『ペリーと大琉球』は、1995年に全国放映された琉球放送の番組が元になって編まれたと解説されている。

 番組の反響は高かったようで、「沖縄に牧志朝忠のような先人がいたことを誇りに思います」という言葉に象徴されるという。

ペリーという強国を相手アメリカの提督に英語を駆使して対峙した一人の男の存在は、私たちウチナーンチュの心を強く揺さぶり、日本・中国・アメリカという列国のあいだで翻弄されつづける琉球史にとって、何か「魅力的」で嬉しくなる存在なのです。

 その牧志が中心になってという王府の外交方針は、「偽装策」と「遅延策」につきる(大城将保)とされている。「偽装策」とは、王府の国王や摂政、三司官という官僚が交渉に出ることはなく、摂政の代わりに総理官、三司官の代わりい布政官という架空役職の人物がことに当たることで、あたかも架空の王府にペリーと対応させたことを指している。「遅延策」は、ペリーの要請に対して、のらりくらりと交わして、交渉を延ばしのばしにしたことを指す。

 ダミーという点は琉米修好条約の締結書にまで徹底されていて、摂政でも三司官でもない、「総理大臣」と「布政官」が署名しており、高良倉吉はこれを、「条約締結の場面においてさえ、琉球側は王府ダミーを駆使するしたたかさを発揮したのである」と評している。別のところでは、「武力を背景に迫るペリーを手玉にとった最高の作品」とまで言ってのけている。

 ぼくは、牧志のような人物を頼もしく思う島人の心情は分かるが、琉球側の対応が「したたか」であり、ダミー署名を「ペリーを手玉にとった最高の作品」という評価には首を傾げざるを得ない。

 こう評する執筆者もいる。

 ペリーに対する琉球王府の応対を、ごまかしだ、まやかしだと非難する人もいるかもしれない。しかし、圧倒的な力に相対することができるのは智恵しかないのだ。僕は朝忠をはじめとする琉球の人々がもつしなやかな知恵に感服した。そしてそれは強靭な精神力があればこそだと実感したのである(松石泉)。

 また、別の執筆者はこうだ。

 軍事力を拝啓にした砲艦外交は、ペリーの時代も現在も、アメリカ外交の基本である。
 ペリーの交渉態度は終始、強硬で高圧的で半ば脅迫的ですらあった。まさに軍人そのもので固められた人物だった。
 これに対し、武器を持たない小国、当時の琉球はあくまでも交渉による平和外交に徹し問題解決にあたった。

 琉球王府の応対を「ごまかしだ、まやかしだ」という非難は当たらないと思うが、そこに「智恵」はあったと言えるだろうか。また、何らかの主張をしているわけでもないのだから、これを「平和外交」と呼ぶのもためらわれる。王府はむしろ「問題解決」を避けているようにしか見えない。

 思うに、「偽装策」は、中国に対して、奄美も琉球国の一部であり、大和との交流は一切ないという外交上の偽装の延長線で出ているものだ。そうだとして、架空の王府を設定することのメリットは何だっただろう。強いて挙げるとすれば、国王を事態に直面させないで守ろうとする意識かもしれない。そう考えると、それは戦前の天皇制のあり方と似ているという印象がやってくる。しかし、三司官まで登場しないのはなぜなのだろうか。これでは、王府そのものをペリーの目から隠していることになるが、言い換えれば、王府自体が事態に直面するのを避けていることになる。

 また、「遅延策」にしても、ペリーを苛立たせることに効を奏しても、それがどういうメリットをもたらすだろうか。むしろ、婦女暴行を起こしたウィリアム・ボード死亡の事件を、条約締結を迫られる材料として使われる結果を招いているのではないだろうか。

 もっと直截に、「偽装策」と「遅延策」は、琉米修好条約という不平等条約のどこかに、琉球の国益を高める結果をもたらしているのかを問えば、それは無いようにみえる。ダミー署名がそうだと、高良は言うのかもしれないが、それは当時の国益をいささかも高めるものではないし、現在では、この条約は無効であるという揚げ足を取られかねない弱みになる可能性だってあるだろう。

 この本を読み、ぼくが「智恵」だと感じるのは、「石炭倉庫」の設置要求に対して、アメリカの賃借料を「そのつど支払でなく、米艦が立ち去るときにまとめて受け取る方法」にしたことだ。

これらは、倉庫を恒常化して琉球が寄港地として位置付けられないための重要な方策であった(小野まさ子)。

 これは理解できるとともに、この「石炭倉庫」が、現在の米軍基地の前身であるのに気づかされる。

 しかし、その他の点では、「智恵」や「したたかさ」、「平和外交」を見い出すのは無理があると思う。琉球王府の対応は、どこまでも身を縮めて、自分たちを小さく卑小にして、取るに足らない存在として見せようとするものだ。あわよくば、無色透明に見なしてほしかっただろう。この弱く小さく見せるという処し方は、島人として、自分のことのようによく分かる気がする。ただし、それは一人ひとりの島人の個性としてであって、王府の対応としては、積極的な意義を見い出せない。

 ところで、1970年に島尾敏雄は、「ヤポネシアと琉球弧」で、こう書いている。

大雑把な言い方をしますと、日本の歴史の曲がり角では、必ずこの琉球弧の方が騒がしくなると言いますか、琉球弧の方からあるサインが本土の方に送られてくるのです。そしてそのために日本全体がざわめきます。それなのに、そのざわめきがおさまってしまうと、また琉球弧は本土から切り離された状態になってしまうという、何かそんな感じがして仕方がありません。

 島尾の言うとおりなら、歴史はまた「曲がり角」に来ている。そして今回の琉球弧からのサインは、反日本政府という形を採っており、そのなかには琉球独立という声も含まれている。ここで、ペリー来航の際に、「偽装策」と「遅延策」で対するしかなかった琉球王府と異なり、「琉球弧は本土から切り離された状態」を厭い、仮に独立を果たしたとしてみる。

 するとその後、どうなる可能性があるのか。これは思考実験として行なうもので、願望を含むものではなく、言葉遊びにもならないようにしたい。「抑止力」が、どこまでがリアルで、どこからが幻(「抑止はユクシ(嘘)」)なのか、正体が定めにくいように、言葉遊びにならずに済ませるのは難しいのではあるが。

 現在の「日本」は、「アメリカ属国」であると位置づける。また、独立した「琉球」が奄美を含むかなど、範囲はここでは不問にする。

 1.琉球、日本
 2.琉球、日本(アメリカ属国)
 3.琉球、日本(中国属国)
 4.琉球(アメリカ属国)、日本
 5.琉球(アメリカ属国)、日本(アメリカ属国)
 6.琉球(アメリカ属国)、日本(中国属国)
 7.琉球(中国属国)、日本
 8.琉球(中国属国)、日本(アメリカ属国)
 9.琉球(中国属国)、日本(中国属国)

 1は、最も望ましい状態かもしれない。ただこういう絵が見通せるなら、現在の独立論は不要になる。
 2は、現在の状態から「琉球」のみが独立した場合だ。しかし、この立ち位置はただちに、8(琉球(中国属国)、日本(アメリカ属国))の不安を島人に喚起させる。
 3は想定しにくい。4はどうだろう。4は、「日本」が現状よりさらに「アメリカ」に「琉球」を差し出し、切り離すことで「日本」が独立するとしたら、考えられなくもない。この場合、「琉球」の反日本感情は修復できないほど固定化されることになってしまう。

 5は現状のままと同じだから、独立の意味を失う。6は想定しにくい。7と8の場合、「琉球」から「日本」への移民の増加が考えられる。そうなれば、またしても琉球人は日本における外国人という位置から始めなければならないことになる。そして、両者の関係は分断国家のようなきつい状況になるのではないだろうか。9は、今の「日本」が怖れていることで、「琉球」にとっても独立の意味を失う。

 この、素人の単純な思考実験では、2(琉球、日本(アメリカ属国))が果たせたとして、それは、8(琉球(中国属国)、日本(アメリカ属国))か、7(琉球(中国属国)、日本)への不安を喚起することが、独立論の考えるべきことのように思えてくる。それとも、独立もへちまもない。仮に果たせたとしても、「日本」もろともの「中国属国」化への不安のほうが大きいかもしれない。

 また、1(琉球、日本)は望ましいが、そうであれば「琉球」が独立する必要はなくなると考えたが、それでも、1(琉球、日本)が望ましい場合があるとしたら、「日本」が核保有国になり、それを厭う「琉球」ということならあり得るのかもしれない。すると、「琉球(日本属国)、日本」という不安を喚起するだろうか。止めよう、これは言葉遊びの部類になってしまう。


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