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2015/07/03

『21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ』

 佐々木俊尚の『21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ』。タイトルより、サブタイトルの方が本書の主張を表わしている。

 それはどんな内容なのか。

 その可能性を考慮すれば(偶発的に戦端が開かれてしまう可能性-引用者)、日本は単独で中国と向き合うべきではなく、アメリカや東南アジア諸国と軍事的な連携を強めておく必要がある。だから集団的自衛権を容認し、備えをしておくのは当然のことだ。軍事大国になる必要はないが、軍事力は必要だ。これは中国を敵視するというようなことではなく、偶発的な戦争を恐れたうえでのリアルな戦略である。軍事的な均衡が平和のいしずえとなるという考え方が大切だ。
 いま日本にはグローバリゼーションという極めつけの論理が押し寄せ、「情」をどこで確保すればいいのかがわからなくなっている。この結果、一方には強い論理があって論理だけで押し通す世界と、ひたすら「情」に頼り切り、ノスタルジーや自分の皮膚感覚だけを根拠に非論理的な言説を打ち出す世界に二分されてしまっている。前者がリバタリアニズムの強者の論理だとすれば、後者は根拠なく「国民を戦地に行かせるな」「改憲反対」と繰り返す日本の「リベラル」だ。
 しかし私たちに必要なのは、この両極端ではない。理も情もともに大切にしながら、中庸の優しいリアリズムを目指していく政治である。
 優しいリアリズムを牽引する政治の主体は、もはや民主主義である必要はないのかもしれない。中国やシンガポール、そして戦後日本の自民党一党支配を振り返ってみれば、専制政治こそが社会を豊かにし、ある程度の平等を担保するというアジア的な仕組みが存在してきた。このありようを否定することは、もはやできない。

 印象としては、ネオ・アジア的専制とでも言うようなイメージを持った。そこで、アジア的専制のよさでもある相互扶助が、そこはかとなく浮かんでくる。それが、優しいリアリズムと言われているものではないだろうか。

 記者の文体で、抵抗の少ない導体を流れるように、ひっかかりというか、こちらが熱量を帯びることなく、通過してしまって、判断する足場を持てなかった。ただ、著者の真摯な姿勢はひしひしと伝わってきた。

 


『21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ』


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