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2015/06/09

「産小屋の底になぎさの砂を敷く」

 出たばかりのころ手にした谷川健一の『失われた日本を求めて』を再読した。

 古代日本人は現世と他界は瓜二つの相似と考えた。今でも沖縄の与那国島では五月四日のハーリー船の競争のときには、あの世でもおなじ日に競舟がおこなわれると信じられている。この現世と他界の中心線にあたるものがなぎさであった。古代になぎさに産屋を作ったのは、海の彼方の他界にあるたましいは、ふたたびこの世に生まれ変わると思われたからであった。古代人は誕生はすべて再生と考えたのである。なぎさはもっとも神聖な場所であったばかりでなく、自然なリズムの一番感じられるところであった。潮がみち潮がひき、朝が去り、夕べが訪れる。渡り鳥はるとき、貝や海の藻はながれつく。このすばらしいなぎさを平然と破壊している企業や官僚の心根が私には分からない。

 魅力的な考え方だが、これは誤解ではないだろうか。他界が「海の彼方」にあるということは、すでに生と死は、移行から分離の段階に入っている。そこでは、再生信仰は、衰退あるいは断念されているはずだ。そして衰退あるいは断念された再生信仰に代って、来訪神がやってくるのだ。

 この考えを打ち出すもとになった見聞も谷川は別のエッセイで記している。立石半島の常宮では、「産小屋の十数メートル前の海の砂をはこんで底に敷き、その上にワラをのせた。ワラの上にはムシロを、ムシロの上には蒲団を敷いた。産婦は縄を握りしめてお産をした。この話に感動した谷川は、「産屋の砂が新生児の母胎となった」としている。

なぎさは常世の神が海の彼方からやってくるとき、最初に足跡を記す場所であった。トヨタマヒメの伝説に見るように、古代に産屋をなぎさに立てたのは、そのことと無縁ではないと私は考える。産小屋の底になぎさの砂を敷くのも、また産小屋の砂をウブスナとして神にまつるのも、もはや私たちが忘れてしまった太古の信仰の無意識の表白にちがいないと私は思っている。

 「産小屋の底になぎさの砂を敷く」のはとても魅力的だ。けれど、「南島産育資料」(「南島研究17号」)に当たったが、なぎさに立てる習俗は見当たらない。また、そうするには、海に近い平地に居住地を持った段階でなければ考えにくいと思う。

 徳之島の松山光秀は印象的なエピソードを書いている。子供の時分、秋の暮れごろの晩、祖父に連れられ四、五人で漁をするために松明をつけて浜辺に降り立ったが、少しはやく来てしまったらしく潮待ちをするこなった。その時、祖父が銛で、白砂の上に一辺四、五メートルほどの四角形を引き、その囲いのなかで、なにごとかを小声で唱えながら両手を合わせて祈り始めた。それから用意してあった筵を囲いのなかに敷き、祖父は子供たちをその上に座らせ、漁の終わりまで待たせたという。後年、松山は父から、「これだけの囲いは、今宵私に貸してください」という意味ではないかと聞く。

 松山は考える。祖父が、「貸してください」といった相手の神は、ニライの神だったろうか。しかし、海はニライの神のものでも、砂浜は陸地だ。また砂浜のそばには邪悪なものを含めてさまざまな神たちがいる。砂浜とかかわりを持つ神は多い。「なぜ砂浜にはこのように神々がつきやすいのか、不思議なことである」。(cf.『徳之島の民俗〈2〉』

 もし、祖父が海に向かって祈ったのなら、それはニライの神だと思える。田畑英勝は『奄美の民俗』のなかで、これと位相同型と思える口むとぅ(呪言)を紹介している。

 夜待ちをする時のたぶぇ

 とおとぅがなし  神様
 よね 一夜(ちゆゆる)  今晩一晩
 わんねぃん くぅま  私に ここを
 貸らしくんそーれじ  貸して下さい(名瀬市)

 *猪待ちをするために木の上などに棚をこしらえて待つがその時座敷の四隅に柴をさし、こう唱える。

 祖父はこの呪言を知っていたのだ。松山の経験している時点は、海の彼方の他界の段階に入っている。そこでは、砂浜も禁忌の場所でありえた。やはり、産屋の場所ではないのではないだろうか。

 

『谷川健一全集〈23〉評論2―失われた日本を求めて(抄録)評論 随想』


『徳之島の民俗〈2〉コーラルの海のめぐみ』


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