『与論島慕情 YORON BLOOD』(川畑兄弟)
与論の島人が口ずさめる島唄がほしい。与論(ユンヌ)の島人なら、誰でもそう思っているのではないだろうか。もちろん、与論の島唄ならいくつもある。けれど、最初の一節から鳴るやいなや、あああれだと誰もが心ほぐれる一曲は、ないと言っていい。
「与論島慕情」があるじゃないか。そう思うかもしれないけど、これは与論島の観光ソングで、島人のための島唄ではないのだ。けれど、ぼくは批判したいのではない。面白いことに、にもかかわらず「与論島慕情」は、与論ではもはや島唄の地位を占めているのかもしれない。かく言うぼく自身も、この曲のイントロが流れただけで、涙する準備ができてしまうくらい、やられてしまう。帰島や離島の際に、客船クイーン・コーラルでいつも聴いていたので、その時のたまらない気持ちが蘇ってしまうのだ。
与論の島人は、高校を卒業すれば一度は、島立ちをする。ほとんどの島人は、帰島や離島の際に「与論島慕情」の洗礼を受けることになる。そこで、観光ソングであるにもかかわらず、まるで島人のための曲のような顔つきをして、島人(ユンヌンチュ)の琴線に触れ続ける。これは、そういう特別な曲なのだ。
だから、川畑兄弟が「与論島慕情」をカバーするのはよく分かるし、これはカバーされるべき曲だった。同じように、「与論島慕情」の前に、その地位にあった「与論のサンゴ祭り」がカバーされているのも頷ける。
「YORON BLOOD」。与論の血とはどんな血だろう。お茶目で、万事にこだわりなく、大人しい。長いものに巻かれるんじゃなくて、長いものに巻かれるものにくっついていく。放っておかれることは常なので、諦念はそれと気づかないほどの習い性。これも皮肉ではなく、小さな島の、それでいて過酷ではなかった自然がもたらした性分だ。ヌガ、ナユンマーニ。
けれど、血が騒ぐ。そういうことはあるものだ。「川畑兄弟」という、よく響くユニット名を得て、川畑アキラの血も騒ぐのだ。こうして生まれたのがこの作品だと、ぼくは当て推量した。ウトゥショー。
この試みがもっともっと続けられ、いつか、島言葉を含んだ、琉球音階メロディの島唄誕生まで、辿り着くといいなぁと思う。ションシ。
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