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2015/06/30

『沖縄の「岐路」』

 この本は、近世以降の琉球・沖縄の歴史を振り返ったものだ。出版されたばかりではあり、琉球・沖縄の自己認識の現在形であると言っていい。ところで、このテーマは、いまだに感情に翻弄されてすっきりした視点に辿り着けないので、個別の箇所にコメントを付していくしかない。

(前略)明治政府は、1872年の琉球藩設置から79年の沖縄県設置などを経て、琉球を自国内に段階的に併合。
 中国との朝貢関係の断絶や王権剥奪で、王権国家の基盤は無くなり、琉球は近代日本の一部に位置づけられた。この一連の歴史的、政治的過程が「琉球処分」と呼ばれる。

 この本では、「処分」か「併合」かを巡って記述の揺れを指摘しているが、そのことの前に、「琉球処分」とは、1879年の「沖縄県設置」に終るだけではなく、同時に「鹿児島縣大隅國大島郡」も併走している。そういう認識を示してほしい。

 沖縄と奄美は、薩摩の間接統治と直接統治の違いはあれ、対清としては、「琉球国」としては同じだったのだから、「琉球処分」が、沖縄諸島と先島諸島に留まるものではなく、奄美諸島も隠れた処分対象としてあったのだ。 

 「琉球民族独立総合研究学会」が、「学会の名前に『琉球』とあるが、決して王を据えて琉球国に戻るという復古主義ではない。王府と離島との関係など琉球国が抱えていた問題を直視し、新しい形を作るのが目的」と、「王府と離島との関係など琉球国が抱えていた問題を直視し」と言うなら、なおさらそうだ。

 ぼくは「琉球国」の版図を重視しているのではない。いまさら「琉球国」を持ち出すのは、主体化の方便、手段として有効ではあるが、中途半端だと思う。持ち出すのであれば、「琉球国」以前に遡るべきであり、ぼくなら、自然と文化とそこで培った島人の思考の共有を根拠にする。「琉球国」が奄美を武力によって版図にし、ろくな政治はしなかったとしても、そこには島人として似たもの同士という基盤がある。それが、1609年の薩摩の琉球侵略とは決定的に違う点だ。

 そうでなければ、大は小を、中央は辺境を無視することに対して、批判が根底的にならないし、自分たちだって似たことをしているという気づきを得ていないことになってしまう。 

琉球民族独立総合研究学会に代表されるように、沖縄を一つの民族としてとらえる動きが登場し、日琉同祖論の無効性が明らかになっている(照屋信治)。
日琉同祖論が乗り越えられようとしている今、伊波普猷から継承すべきは、いかに民衆をエンパワメントしようとしたか、その闘う姿勢にあるべきではないか(照屋信治)。

 とあるように、「民族」はすっかり政治になってしまった。「沖縄を一つの民族としてとらえる動き」が出てくると、「日琉同祖論」は無効だと言うのだから。もちろん、伊波普猷の「日琉同祖論」は政治性を持っている。それは、「大和文化の南漸」を強調するあまり、それ以前はまるで無いかのような認識になってしまうことだ。だが、伊波の論考は、個別には、「大和文化の南漸」以前に遡るものがふんだんにあり、そこをさらに掘り下げてゆくことが、彼から継承できる豊穣さがある。求められるものがあるとしたら、伊波を政治から解放してあげることではないか。

 方言論争について、日本民芸協会が標準語励行運動の行き過ぎを指摘したのに対し、県は「県民性が明朗闊達となり進取的気風が養成されつつある」「標準語励行こそ県民を繁栄に導く唯一の道」として協会側に反発した。これに対して、「今日さまざまな形で捉え直されている」。

 中でも論点として指摘されるのは、民芸協会が沖縄文化を尊重する姿勢の背後にある、次のような視線だ。
 「日本において現存する各種の地方語のうち伝統的な和語を多量に含有するのは東北の土語と琉球語とである、就中後者はその点において寧ろ国宝的価値をすら有する」(柳宗悦「敢て沖縄県学務部に答ふの書」)
 標準語の「純正」強調のため「方言」を重視する視点は、沖縄語の価値を「純正な和語」に貢献させ、日本のナショナルな枠組みを強化する。
 他方、この柳の主張に対して県内世論は共感とは逆に、強く反発。新聞投書では「復古病者」「沖縄の前進を阻む」などとして、標準語を徹底し県民の劣等感を払拭すべきだとする声も相次いだ。
 珍重される地域個性を持った沖縄語の保存を訴える民芸協会と、標準語獲得を急ぐ県民の心情はねじれた。

 問うべきことは、民芸協会の主張の背景にあった「日本のナショナルな枠組みを強化する」側面だけでは不充分だ。それを批判するのであれば、現在、日本で英語を学ぶ人が、誰も日本語を話せなくなることを目標とはしないのに、なぜ当時、「標準語励行運動の行き過ぎ」というそれ自体は妥当な指摘に反発して、方言を「撲滅」しようとしたのか、という島人の洞察まで至る必要がある。

 途中、飛ばします。

 この本を編んだ沖縄タイムスの記者は「あとがき」で書いている。

 ヤマトとは違う自意識を、かつてないほど自信を持って鍛え直している沖縄で、歴史観が現在どうあるのかを捉えること。この連載の意味はそこにあると感じた。
 近世、近代、復帰前、復帰後とたどりながら書いていく中で、現在の沖縄の人々の歴史観が「日本復帰史観」の超克の途上にあることがよくわかった。沖縄住民の権利が守られない米国の支配下、「祖国」日本への復帰を求める中で、沖縄の歴史の主体を日本史の一部に位置付ける歴史観を「日本復帰史観」と定義し、論を展開していった。
 復帰40年以上を経ても変わらず国家の矛盾が集中する沖縄には、「日本復帰史観」では解けない問題が山積している。今沖縄独自の軸から歴史論が展開するのは、復帰以降の社会認識の積み重ねの結果である。

 「「日本復帰史観」の超克」というのは、その通りなのだと思う。小さな島の出身者からみれば頼もしく逞しい歩みだと思うし、ぼくも沖縄の言説が厚いからこそ考えていく足場をつくろうとすることができている。その上でいえば、「ヤマトとは違う自意識」を、「対ヤマト」に過剰に取り込まれないように、そこからはみ出るように築かれるといい。それは、主体を尖らせるというより、厚みを持たせるということではないか。この本を読んでそんな感触を持った。


『沖縄の「岐路」』

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