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2015/06/08

『旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』

 『列島創世記』は、ボリュームに対してリーズナブルなのに驚いた。次にひとりの著者で四万年を横断しているのに驚いた。著者の松木武彦は、「文化と社会の全体を対象に、一貫した物質資料を分析と解釈の方法論の基軸として、ひとりの著者が日本列島四万年の歩みを綴ろうとする試みはまれだ。その意味で、私にとってもこの本の執筆は、能力の限界ぎりぎりに奮迅する大仕事となる」と書いている。これは、素人として琉球弧の思考に接近しようとするぼくなどには励みになる。

 社会変動の大きな引き金になった気候変動のアウトラインとその特徴を書いておく。

 1.[1寒]第一寒冷化期:後期旧石器時代の約2万年前まで
 2.[1温]第一温暖化期:後期旧石器時代後半~縄文時代前期(約2万年前~7000、6000年前まで)
 3.[2寒]第二寒冷化期:縄文時代前期~晩期(7000、6000年~2800、2700年前
 4.[2温]第二温暖化期:弥生時代前半(2800、2700~紀元前後)
 5.[3寒]第三寒冷化期:弥生時代後半~古墳・奈良時代(紀元前後~紀元後八世紀)

 [1温]:植物資源への依存が増し、定住という社会が生み出されたことにより、旧石器から縄文へ移行
 [2寒]:東日本を中心に、植物資源が減退し、それに依存して定着する集団的伝統の強い社会から、個人や小集団の才覚で資源を求めて動く機動的な社会への移行が出発点となり、縄文から弥生へ移行
 [3寒]:危機を迎えた農耕生産の立て直しを可能にする、鉄と遠距離交易の高まりに端を発し、弥生時代から古墳時代へ移行

 人工物の「凝り」、定着の高まり
 縄文前~中期(7000~4500年前)、弥生中期(紀元前3~1世紀)

 人工物の共通化、流動性の高まり
 縄文後・晩期~弥生時代初頭(4500~2800、2700)、紀元後1世紀~古墳時代

 まず、この本から得られた知見をもとに、「環状集落・環状列石・環濠集落」で書いた認識を更新したい。

 驚きから始まったこの本で最も驚いたのは、旧石器時代の環状ブロック群のことだ。

 環状ブロック群(旧石器時代、3万年前ごろまで)
 ・広場を真ん中にして円く並んだキャンプ地。一時的な集住の地

 これは、ぼくたちの観点からえいば、生と死がひとつながりだった霊力思考の全盛を示す最も美しい住居形態だと思える。

 環状集落(縄文時代前期、約7000年前)
 ・真ん中の広場に遺体を埋葬して墓地とした。ときに住む人々によりも明らかに多い数の墓穴が掘られた例も。
 ・環状集落は全集落数の一割に満たない。分布は派手な土器地帯と一致
 ・真ん中に葬られた十数人に、外側の大勢が対面するような形になっていた可能性が高い(西田遺跡)

 定住期間が長くなると、その場所で生まれて大人になる人間が出てくる。特定の土地と心をつなぐ人びとの出現だ。さらに定住期間がのびて数世代にまたがるようになると、そこで一生を過ごす住人がたくさん出てくる(p.71)。

 生と死が「移行」の段階になるのは、死者との共存だ。死者と共存することにより、次の生としての死という時間性の認識が生まれる。この霊魂思考によって、死は生から移行するものと思考される。

 環状列石(縄文時代後期、約4500年前)
 ・列石の内側は墓地
 ・二つ並ぶ万座環状列石と野中堂環状列石。
 ・万座環状列石の中心→野中堂環状列石の中心→冬至の日に太陽が昇る位置
 ・野中堂環状列石の中心→万座環状列石の中心→夏至の日に太陽が没する位置

環状集落の墓地の部分が肥大して飾られ、住居の部分が縮小して退化すれば、そのまま環状列石になる(p.124)。

 佐々木藤雄は、「住居と中央広場、日常の空間と非日常の時間、生者の世界と死者の世界がはっきりと区別されたことだと読み解く。そしてこれを、中央広場がまつりの場として純化され、その性格を強化されたことの反映だと考えている(p.125)」。

 環状列石について、以前は「他界の空間化の兆し」と見なした。これに少し修正を加えたい。

 佐々木は、環状集落と環状列石の中間形態として、中央広場に石組みの環をもった環状集落の出現を挙げる。そして、石組みの環が集落から独立し、そこから離れた特別な場として設営されるという。

 この中間形態を置くと、中央広場に石組みの環をもった環状集落の出現が、生と死の分離の契機、つまり他界の空間化の兆しであり、環状列石が他界の空間化が根拠を得たことを示す。現世と他界をつなぐ穴、くびれが塞がれるのだ。

 万座と野中堂の環状列石と冬至、夏至との関係は、マンガイア島で死霊が他界へ赴くのが冬至と夏至の日であることを思い出させる(cf.「ニライ・カナイ、地の底から海上への転位」)。もちろん、万座と野中堂の環状列石の構造は、マンガイア島の伝承と同一のものではないけれど、冬至と夏至を重視した思考が働いていることは共通している。

 環濠集落
 ・外敵の襲来から生命と財産を守ることと、自分たちと他の人々とを厳然と分ける(p.168)。

 他界の空間化の完成と遠隔化に対応する。

 琉球弧からみれば、環状列石に対応するモニュメントは、「洞穴」だ。

『旧石器・縄文・弥生・古墳時代 列島創世記』


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