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2015/06/01

『琉球宗教史の研究』(鳥越憲三郎)

 鳥越憲三郎の『琉球宗教史の研究』は素晴らしかった。琉球弧の村落共同体の構築について本質的に把握することができる。これは、1962年に鳥越が博士論文として執筆したものが元になっている。こういうものを読みたかったと思うと同時に、なぜ琉球弧内部からこれに相当する考察が出なかったのだろうかという疑問も浮かぶ。


 御嶽は神に住み給う場所。村落の存立は、御嶽の神とそれと血縁関係をもつと考えられる成員との相互関係のもとに成立する。

 もちろん、生業もかかわった。「不定住な狩猟・漁撈の住民にとっても、やはり獲物の多寡或は移動によって彼等の住居は規定される」。この鳥越の見解に対して、現在の考古学の知見は、定住が漁撈から始まったことを教えている。

 村落の形成は御嶽の設定から始まる。それは、「中山世鑑」に見られるように、御嶽の生成から国土の発祥が語られていることにも現れている。

 御嶽は、タキまたは森(ムイ)とも呼ばれる。御嶽には石の香炉が置かれた「イビの前(めー)」があり、その奥に「イビ」がある。そこにある厳岩か老樹がイビ。老樹は蒲葵の木であることが多い。御嶽の神はその集落のみの神であって、その他の集落の御嶽とは排他的な関係にある。

 人の住む共同体には、開拓者・創建者に当たる「根所」があり、根所は御嶽の入口に構えられた。根所で神託を受ける者を「根神(にーがん)」、戸主であり根神の兄弟を「根人(にーちゅ)」と言う。「根所は祭事の実験者としての根神と、政事の実験者としての根人をもつことによって、根所の威厳を確保した」。

 ここで鳥越は、「古事記」の兄猾、弟猾などの名を挙げ、これを「兄は年上を意味し、弟は年下を示すもので、それらは兄妹か姉弟の何れかの組み合わせになっていたものと考えられる」として、「姫彦」であると見なしているが、これは「彦彦」であると思う。姫彦だけとは限らなかったのだ。彦彦もありえた。琉球弧でいえば、ソールイガナシがそれに当たる。両者に前後をつけることはできないけれど、初期において根神は、男女ともに可能性があったのだと思う。巫覡としてトキユタ、ユタの両性があったように。

 按司が出現すると崖の上に城郭を築き、その前面の斜面が集落が構成される。ここで、御嶽は城郭の内部に移動し、支配所の実質としての根所も、城郭内の按司家に移動する。集落の構造は以前と同じ。ただし、根所の向かいには「ノロ殿内」が設けられる。祝女は按司の姉妹から選ばれた。ただし、根所は按司家と血縁関係のない者に委ねられている。

 神アシャギは本質的に御嶽と同じ。「部落が山腹から平地へ移動したため、参詣の便宜上から御嶽に代わるべく拝所を部落内に設けるようになったものと考えられる」。島尻、渡嘉敷では神アシャギは僅少だが、国頭ではほとんどの村落に見られることにも示される。

 神アシャギの広場には御嶽から移植された聖木がある。しかしそのことは忘れられている。

神は聖木を依料として部落に迎えられるのではなく、巫女の長であるノロ自らが御嶽の神として臨場している。しかし原初的な形態においては、(中略)聖林の神は聖木を依料として部落に迎えられていた筈である。

 それが忘れられてしまった。思うにそれは、祝女が神として振る舞うようになったためではないだろうか。この聖木はコバデイジ、榕樹、松が多い。

 鳥越は沖縄県でカウントしているが、御嶽の数は901。このなかには城郭内の御嶽も含まれるから、そのことを斟酌すると「少なくとも七〇〇ほどの村落が発生したことになる」。

 火の神は家の神。家も竈の火と同時に発生した。それは所帯のことを「煙(けぶり)」と呼ぶことにも現れている。火の神には不絶火の信仰がある。それは主婦の責任。

 御嶽の聖名による分類。

 1.ツカサ(司) 120
 2.イベ 20 *
 3.森・御 25 *
 4.グスク(城) 4
 5.マキ・クダ(村) 20 *
 6.海・崎 8 *
 7.水・泉川 6 *
 8.植物 78(蒲葵系が60) *
 9.イシ(石)・イシラゴ(斎白砂) 60 *
 10.カネ(金)・コガネ(黄金) 30
 11.スズ(鈴) 4
 12.シマ(島)・クニ(国) 17
 13テン・アマ(天) 4
 14.アフリ(天降) 6
 15.ヨリ・ヨセ(寄) 10
 16.ヨリアゲ(寄上)・オシアゲ(押上) 23 *
 17.コシアテ(腰当) 15
 18.カサ(傘) 6
 19.ヨナフシ(世直) 5
 20.テル(照) 10
 21.タマ(玉・霊) 4
 22.ゲライ(嫌ひ) 6
 23.ニライ・カナイ 2
 24.キミ(君) 10
 25.セジ(神霊) 15
 26.ガナシ(尊称の接尾語) 7
 27.ヌシ(主) 15
 28.カミ(神) 16
 29.火 3
 30.弁財天 1

 鳥越はイザイホウに出席した感想も書いているのだが、それは「少しも楽しいもの、和やかなものを感じさせないものであった。それに反し怖ろしいほどの引き締まった厳粛さをもって神事が終始されたことである」。

 この雰囲気に呑まれた先に、こう書いている。

 祭の期間、特に神事の際は、ノロは人間としてではなく、神の憑依したノロというより、むしろ神自らとして感じているのである。この感じはノロだけではない。村人もその時の彼女を神として仰ぎ、又彼女自身も神としての態度をもって行動している。この島には海事を司る者として、古老の中から順番にソーレーガナシという神役を務める男が選ばれるが、ソーレーガナシはその一年の任期中、平常他の人から御辞儀をされても決して彼は返礼しない。ただ胸の前に両手を合わせて、神としての儀礼をもって相手に拝ます。男の神役でされそうなのであるから、まして巫女としてのノロが、人々から如何に神として崇められているかについては説明するまでもないであろう。私が御辞儀をした時も、ノロは顔を緊張させ、実は神としての態度を持して私に拝ませたのである。私は普通の挨拶のつもりであったが、彼女は神を拝む者として私を遇したのであった。

 臨場感のある印象的な文章だ。鳥越はこの印象を大事にとどめて仮説している。

 琉球では神の憑依者した者に先行して、神そのものとしての巫女が存した。

 これは、実感に裏打ちされた面白い仮説だと思う。だが、やはり観察の印象に呑み込まれてしまったのではないだろうか。

 神として振る舞う祝女は、仮面を取った来訪神のようにも見える。けれど、祝女のそれは高神に寄るのであり、やはり来訪神とは異なる。祝女の出現する以前、生きながらにして巫覡や老人はカミと見なされた。そして霊魂観念の成立とともに、仮面と高神は根拠を持ち、その元で、神として振る舞う祝女が出現したのだ。

 憑依者がいて、それとは別にあるいはそのなかに共同幻想である神を対幻想にする巫女が発生する。そのなかで、祝女は共同幻想そのものとして振る舞うことがありえたのだ。

 また、鳥越の考察を踏まえると、御嶽の神の発生は、定住化とともにその根拠を持ったと言えるかもしれない。旧居住域の聖なる樹木や巨石を神体として御嶽に連結したとき、御嶽の神は発生した。旧居住域は祖霊のいるところでもあるから、祖霊と樹木・巨石の二重化がここで起こっていると思える。

 定住化は他界の発生を促す。そこで、そのお通しの場として火のカミの観念も生まれた。

 鳥越の労に敬意を表して、分類された御嶽のなかで、名称から古層に属する可能性のあるものを、ぼくの考えでカウントしてみる(*を付した)。鳥越が挙げたのは、計550で、うち古層に属すると思しきものは240。約44%。それ以降のものが56%になるということは、これはグスク時代以降の集落の増大と拡大に対応するように思える。

 「ヲナリ神の霊力とは、要するにヲナリ神のもつこの「スヂ」の力によるものである。女性一般には男性と異なった、かかる神的霊力が生得的・本有的に保持されているものと信じられており」という記述を見ると、やはり、「霊力」に当たるものは「セヂ」であり、それが女性に特化されて男性から脱落したのかもしれない。

 


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コメント

 今まさに、同書を読んでいます。

色々なものを、特に久高島関連を読んできましたが、
これが一番濃くまとまっている、ように感じました。
鳥越氏の戦前のイザイホーのルポは迫力を感じました。

岡本太郎の沖縄文化論は、如何な感想をお持ちでしょうか?

また、ちょくちょく貴ブログ拝読させていただきます。

投稿: オナリ | 2015/09/08 16:22

オナリさま

私事でブログを離れていたため、お返事遅くなってごめんなさい。鳥越さんの論文、面白いですよね。

岡本太郎の沖縄文化論は、うろ覚えですが、言うべきことに言葉が届いていないけど、感じるべきことを感じている、という印象です。

投稿: 喜山 | 2015/09/15 08:52

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