『いちばんよくわかる!憲法第9条』
西修の『いちばんよくわかる!憲法第9条』には説得されなかった。なんというか、憲法九条改正が必要だとする議論について、リアリティを感じなかった。それは、彼が、わかりやすくするためにしている説明に顕著なのかもしれない。
私たちの身近な例を引き合いに出してみましょう。
いじめっ子の暴力に対して、みずからの力で対抗するのが個別的自衛権です。
いじめっ子が親友のA君に暴力を振るうときに、A君を助けていっしょにいじめっ子の暴力に対抗するのが集団的自衛権です。
教室にいじめっ子がいて、暴力を振るったりすれば、教室のこともたち全体でいじめっ子に対抗して、なんらかの制裁措置をとるのが、集団安全保障といえます。集団的自衛権より効果的といえますが、教室の生とのうち、かならずある特定の5人の賛成が必要ということになれば、なかなか決まらないおそれがあります。
わが国の場合、政府は、長年にわたり、憲法上、個別的自衛権を行使できるけれども、集団的自衛権を行使できないという立場をとってきました。
親友のA君との関係で、自分がいじめられたら助けてほしいというけれども、A君がいじめられ、助けを求めているにもかかわらず、「家の決まりで君を助けることができない」といって何もしなかったら、A君との関係はおしまいになるでしょう。また、他からなんて自己中心的なのだろうと見られるでしょう。
一方、ふだんからいじめっ子に「A君をいじめれば、僕はA君といっしょに闘う」ことを告げ、またA君も「彼がいじめられれば、自分も闘う」といっておけば、いじめっ子に対して容易に手出しできないという抑止力になることでしょう。この場合、A君だけではなく、B君やC君など仲間を増やし、おなじような約束を交わしておけば、さらに強い抑止効果を発揮するでしょう。
親友がいじめられているときに、その場で彼を助けようと一緒に闘うことは個別的にはありえる。けれど、「自分がいじめられたら助けてほしい」と、ふつう親友には言わない。そうすることで、親友自体もいじめに巻き込まれることを、A君は恐れるからである。仮に「助けてほしい」と言えるだけの元気があり、いじめっ子が一人であるとしたら、A君は立ち向かう契機を潜在的に持っているし、それがいじめを脱する近道であるとも言える。また、いじめっ子に、「A君をいじめれば、僕はA君といっしょに闘う」ことを告げ」るということにもリアリティはない。それは、「僕」もその場でいじめの対象になると宣言しているも同然だからだ。誰が誰に対して、いじめいじめられの関係になるかが分からないのだから、「約束を交わ」しておくこともできない。ただ、A君には親友がいるのなら、それだけでもいじめに耐える支えを持っていることになる。
こんな風に思えるので、そもそもこのたとえ自体にリアリティが感じられない。人間関係と国家間関係は次元が違うのだから、同列にすること自体に無理があると言いたいのではなく、わかりやすく説明しようとする際に、リアリティが感じられないということが、この本全体を通じて抱く印象を象徴しているように感じられた。
後半の「国家緊急事態条項を導入すべし」、「集団的自衛権を考える」、「安全保障法制の再構築に向けて」は、政府答弁をなぞるようなもので、西修自身の声が聞こえてこない。いや、個別には政府の方針への是々非々も云々しているのだが、独立した声として響いてこない。むしろ、読む者を思考停止に追い込むような話の道筋が、政府と似ているようにも思える。
このもやもやとした感じを抱きながら、後半へ来て、ぼくにも判断できる箇所があった。
日米安保条約がわが国の安全に役立っていることについて、82.9%もの高い比率の支持が出されていることを勘案すれば、わが国の平和と安全にとって、自衛隊の存在と日米安保条約にもとづく米軍の駐留の果している役割が、あらためてはっきりします。
西は、日本が米国に従属していることは不問に付しているわけだ。A君は相当ないじめっ子としてならしている親分の後をいつもくっついている。そして最近、いつも後をくっついているだけだったのを改めて、親分が何か手出しされそうになったら、自分も闘うことを親分に伝えたいと思うようになった。西のたとえ話にならえば、こういうことだろうか。しかし、これでは果てしない現状追認にしかならず、沖縄の米軍基地を本土からの不可視のまま置くことにしかならない。
そこで私は提案したい。第9条を誰が読んでも自衛戦力さえもてない非武装条項に改めることと、誰が読んでも自衛戦力(軍隊)をもてるような条項に改めるための二者択一の国民投票を実施することを。いい加減、第9条に決着をつけるべき時期ではないでしょうか。
という提案が「あとがき」に出てくる。この、あっさりした二択は、その中間のねじれを生きてきた日本国憲法制定から68年の身もだえが抜かれている。それはこの間の智恵も無意味化されるということだ。この方の主張には、三百万人とも言われる太平洋戦争の日本人死者の声が込められていないと感じるのだが、同時に、この68年の先人の努力の上にも立とうとしていない、むしろご破算にしたいのだと思えた。
西修は1940年生まれとある。敗戦を通過した世代だが、少年の彼はそこで何を記憶していて、後年、それをどう捉え直して今日に至ったのだろう。何を背負って、一連の主張をしているのか、そこが見えない。そこで主張は知的エリートの概念操作にみえて、その分、響いてくるものがなかった。
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