『「こうしよう」と言える日本』
ロナルド・ドーアは、「つたない日本語」であることを断ったうえで憲法九条の「焼き直し」を提案している。
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。(原文そのまま)
2 以上の決意を明確にするために、日本国民はここに宣言する。日本が保持する陸海空軍その他の戦力は以下の目的以外には、これを発動しない。
一、日本の国際的に認められている国境に悪意をもって侵入するものに対する防衛。
二、国内外の災害救援。
三、国連の平和維持活動や、国連憲章第四七条による、国連の直接指揮下における平和回復活動への参加。
ロナルド・ドーアは、憲法九条の「焼き直し」だけを提案しているのではない。国連の再建を推し進めるなかで、これを行なう。かつ、その国連の再建を担うのに最もふさわしいのは日本ではないか、という問題意識から、この提案をしている。
最後の、「平和回復活動」は、「武力の行使によって侵略者に対処すること」を指している。
第四七条は、湾岸戦争の場合の米国の総司令官の指揮下における「多国籍軍」ではなく、国連自体が任命する司令官の指揮を規定している。今まで発動されたためしはないが、日本の憲法がこう改正されたら見直されるかもしれない。
つまり、「特に米国にとって代わって国連が、真の人類社会の警備隊を形成できるか」という問題意識がここにはあるわけだ。ここでの「武力の行使」には、抵抗を覚えるが、それでもロナルド・ドーアがこう言うのには、頷かざるをえない。
政府は「平和四原則」のように、「これだけでお終い。軍事力、軍部の行動の自由をこれ以上拡大することは絶対しない」と約束してきた。そして次の段階でその約束を徐々に浸蝕してゆく。その歴史的過程をほこりをもって顧みられる日本人がいるだろうか。
少なくとも、「徐々に浸蝕」される標的が九条第二項であるとしたら、浸蝕の余地を許さない第二項を作るべきである、という考えに導かれる。
この本は、1993年に書かれている。書名で察しがつくように、1989年の『「NO」と言える日本』をもじってつけられたものだ。なぜ、この時代に書かれているのか。それは著者が、冷戦の終結を、新しい国際社会形成の好機と見なしているからだ。それから二十年以上が経り、状況は変わっている。けれど、この本は、日本が国連中心外交に舵を切った際に、起きうる問題や対処について、詳細な検討を加えていおり、「浸蝕」が限度を越えてきた現代においても、とても参考になるものだと思う。
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