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2015/06/06

神とトーテム

 吉本隆明の『アフリカ的段階について―史観の拡張』)(Ⅲ)について、注釈を入れるようにして、以前の考えを更新しておく。(cf.「『アフリカ的段階について』Ⅲ-1」

(前略)ヘーゲルのいうとおり、人間の肉体も他の生物とおなじように<知覚する自然物>だとするナチュリズムでは、人間以上の存在は自然のうちにかんがえられないことになる。だから自然の動きで眼につく現象はすべて、人間によって統御できるものでなくてはならない。風が方向を変え、温度や強度を変え、それが季節ごとに循環する自然現象も、人間の力で変更したり、統御できないとすれば、人間以上の存在を認めるほかなくなってしまう。人間は自然の動きを変えさせることができる存在とみなされるほかない。人間の力能を最高だとすれば、他の動物や植物や無機物自然がもっていない何かがあるからだ。これが精霊、霊魂、守護神、悪鬼、物の怪を生みだす人間の想像力のはじめの形だとかんがえられる。人間がじぶんを最高の存在とみなすとすれば、精霊、霊魂、守護神等々の感官にうつらないものだけが尊崇されることになり、また感官に何とかしてうつる存在のようにみなしたい願望や錯覚や思い込みも当然生れてくる。この可視性(感覚性)と不可視性、あるいは天然の物象尊崇と霊魂尊崇とを接続する原点は、じぶんの先祖をさかのぼることで、ひとりでに人間が神に変身するという概念と、先祖としてトーテム動物や植物や生物を設定する概念とが一致するところにあるといってよい。デュルケム的な言い方をすれば「霊魂とは、一般に、各個人の内に化身したトーテム原理そのもの」(『宗教生活の原初形態』下 岩波文庫)だということだ(p.79)。

 「じぶんの先祖をさかのぼることで、ひとりでに人間が神に変身するという概念と、先祖としてトーテム動物や植物や生物を設定する概念とが一致するところ」というのは、今の考えでは、霊力思考の母体のうえに、霊魂思考が駆動する地点と言うほかない。

 霊魂思考の進展とともに、霊力思考を凌駕し、「精霊、霊魂、守護神、悪鬼、物の怪」を生み出していった。

 吉本の思考の助けを得ると、この段階では、すでに「人間の力能を最高」だと認識していた、ということになる。


『アフリカ的段階について―史観の拡張』

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