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2015/06/02

「古層の村」(仲松弥秀)

 仲松弥秀の「古層の村」(『村落共同体:叢書わが沖縄〈第4巻〉』)で気づきを得たことがいくつかあった。これは1977年の文章。

 まず、御嶽のこと。御嶽には、「他の場所に鎮座している神を招請して、作為的につくられた御嶽がある」。「通し御嶽」と称されている。

 ニライの神を祭祀に際してのみ招請する通し御嶽。この場合は、そこから遠く海の開けた方に向って手を合わせて招請する。また、招請されたニライの神が鎮座している通し御嶽。この場合は鎮座する神に向って拝むが、海の方向を向くことがほとんど。

 ここで思い出されるのは、折口信夫の「琉球の宗教」だ。

 琉球の神道の根本の観念は、遥拝と言ふところにある。至上人の居る楽土を遥拝する思想が、人に移り香炉に移つて、今も行はれて居る。
 御嶽拝所(オタケヲガン)は其出発点に於て、やはり遥拝の思想から出てゐる事が考へられる。海岸或は、島の村々では、其村から離れた海上の小島をば、神の居る処として遥拝する。最有名なのは、島尻(シマジリ)に於ける久高(クダカ)島、国頭(クニガミ)に於ける今帰仁(ナキジン)のおとほしであるが、此類は、数へきれない程ある。私は此形が、おとほしの最古いものであらうと考へる。(中略)
 琉球神道に於て、香炉が利用せられたのは、何時からの事かは知られない。けれども、香炉を以て神の存在を示すものと考へ出してからは、元来あつたおとほしの信仰が、自在に行はれる様になつた。女の旅行者或は、他国に移住する者は、必香炉を分けて携へて行く。而も、其香炉自体を拝むのでなく、香炉を通じて、郷家の神を遥拝するものと考へる事だけは、今に於ても明らかである。また、旅行者の為に香炉を据ゑて、其香炉を距てゝ、其人の霊魂を拝む事すらある。(中略)
 此様におとほしの思想が、様々な信仰様式を生み出したと共に、在来の他の信仰と結合して、別種の様式を作り出して居る所もあるが、畢竟、次に言はうとする楽土を近い海上の島とした所から出て、信仰組織が大きくなり、神の性格が向上すると共に、天を遥拝する為の御嶽拝所(オタケヲガン)さへも出来て来たのである。だから、御嶽(オタケ)は、遥拝所であると同時に、神の降臨地と言ふ姿を採る様になつたのである。

 「通し御嶽」は仲松の言うように作為なのだから、「海上の島」が先にあり「天」が出てきたというのは誤解だが、折口の洞察はこの作為にも思考の必然性はあったということを伺わせる。「通し御嶽」は作為で新しくても、「お通し」の思考は古いということだ。「香炉」を含め、ここには、他界と家をつなぐ火の神のお通しの思考が息づいている。この「お通し」の思考によって、「通し御嶽」が可能になり、ニライ・カナイの神を招請するという作為が可能になった。

 もうひとつは、ニライの神の来方にかかわる。仲松は書いている。

久高島の神聖視も同様である。すでに名城村落の西方手前の小島に、ニライ神を祀ったアイゲナ森御嶽が在ることを記しておいたが、祭祀の場合は、その小島に渡ったものである。渡島することは手前の島であっても、何かにつけて不便であり、支障が生じることから、台地上の村の崖端に遥拝所が設けられている。ニライの神は、西方の海から来られて一応手前の島に渡られ、そこから村へと来訪されるのである。

 これを折口文の冒頭近くの、「海岸或は、島の村々では、其村から離れた海上の小島をば、神の居る処として遥拝する。」に対応させてみる。

 ニライの神は手前の島に寄るが、その島も神のいるところとされている。これは、「海上の島」が他界であったことの痕跡ではないだろうか。海のはるかかなたのニライ・カナイへと他界が伸びていく、その前段としての近しい他界があったのではないか、ということだ。言い換えれば、他界が遠隔化されて海のはるかかなたのニライ・カナイが思考されたのは、これまでに掴んできたことだが、その中間地点の痕跡もあると考えられるのだ。

 そしてもうひとつ。

 草分家を中心とした血縁村落の葬所グスクが拝所となって、「森」(例、知念森グスク、真玉森グスク、コガネ森、見上森、その他)、「拝み」、「拝み山」、「神山」と言われ、それが首里方面からと思われる「御嶽」なる呼称が流布して、現在は御嶽という呼称が一般化している。

 ここで考えたいのは呼称のことではなくて、「祖先の葬所を屋敷に接した場所に選んでいる」ことだ。これは、死者と共存した段階の共同体であることを示しているのに他ならない。

 そうして振り返ると、「お通し」という信仰があり、祝女の神権による作為にも生きるのは、洞穴を介して他界と行き来できるという段階の思考が強く生きているからだ、と言うことができる。

 祖先を身近に感じる仲松は書いている。

 「死ねば神と成る」、と観じていたのが古代沖縄である。神と成っているものに供養祭祀するはずがなく、そこには祈りがあるのみであり、神と人との歓会と共食があったのである。三十三年などとはもっての他である。

 仲松がもっとも言いたかったのはこのことだろう。仲松の身体感覚もまた、生と死が移行の段階をよく保存している。
 
 
 

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