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2015/05/29

「沖縄古代の生活-狩猟・漁撈・農耕-」(島袋源七)

 狩猟から農耕にいたる考察として島袋源七が「沖縄古代の生活-狩猟・漁撈・農耕-」(『村落共同体:叢書わが沖縄〈第4巻〉』)があった。さすが国頭出身の人だ。

 と思ったものの、狩猟については思いの他少なく、漁撈中心の論考だ。

 千葉徳爾が猪に照準しているのに対して、島袋は猪の前段の鹿(コウノシシ)について、慶良間に残存した狩猟方法を挙げている。

荒目の網を造り鹿の通路に張り廻し大勢の人々が太鼓や鉦(しょう)等を撃ちながら追い込んだものである。鹿は網目の中に角をかけたり、脚をかけたりして捕えられたもので追込式猟法である。

 漁撈は、漁場(ナバ)という言葉が示す通り、境界の観念を持つようになる。

 大宜味村に現存するものを参照すると、「部落境界線を基準とし海へ延長した線内がその部落所有の漁場となるごとく、以て昔の習も推定することができる」。この延長戦を「見透(ミトウシ)」という。

 平安座島では、「干潮時において大男が徒渉して漁猟できる範囲内が部落所有の漁場で、徒歩できない深い処、すなわち舟でなければ漁猟できない地域は、共同魚場で、各部落の共有となっている」。

 各漁場には、「部落の支配者や祝女」所有の漁垣(ナガキ)が造られてあった。小潮時に使用する垣は海岸近く、大潮時に使用するものは遠ざかったところにある。漁垣(ナガキ)私有は祝女一人に限られた。祝女垣は陸上における御嶽のように尊崇された。

 つまり、祝女の漁垣(ナガキ)私有が、琉球弧の土地所有の嚆矢ではないだろうか。

 漁場(ナバ)が荒らされないように見張るのも集落民の務めだったが、祝女は仲裁に入ったり、戦神霊(イクサセジ)を降ろして作戦にも加わった。

 ウンジャミなど、海に関する祭儀は、祝女垣で行われた。

 島袋は、歴史的推移を仮説している。

 1.漁(イサリ)時代
 ・素手で岩陰にこもった小魚をつかみ取る。夜の漁も同様。

 2.漁垣(ナガキ)時代
 ・祝女はこの時代に確立

 3.漁垣と漁網併用時代
 ・約500年前

 4.遠洋漁業時代
 ・現在

 この区分はあまりに海人を見くびっていると思う。はやい段階から3までは至っていただろう。初期に、漁垣(ナガキ)も存在したに違いない。

 蘇鉄が15世紀、甘藷が17世紀渡来だから、「これより以前の主食物が五穀」である、としている。島袋は、その時期に触れていないが、「稲作行事は農作物のすべてを代表して最も古くから行なわれていたと見てよい」としている。ここには何か不自然な遡及がある。古来からの稲作への言及は、日本化の強迫を伴っているようにみえる。

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